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2007年7月 アーカイブ

2007年7月 4日

きよしこ

2002年の重松清の作品。
表紙の少年がいい。
ドラゴンズのキャップを目深にかぶって、うつむきがちな少年。


重松さんの描く小説に生きる人たちは、どこか少し不器用で
取り巻く状況だって、なかなかシビアです。
変な人もいれば、いい人もいる。
いい人が優しいとは限らないし、
常識的な人がすべて良識的とも限らない。

重松さんの小説は、いろんな出版社からたくさん出ていて
ハードカバーも文庫も、何冊も書店で見ることができます。
それだけ人気のある作家さんなんだと思いますが、
それって、小説に生きる人たちのことを愛する人が
日本人にはたくさんいるんだ、ということに
なるんじゃないかな。

昔から、非常識な人はいたし、いじめだって普通にあった。
だから、今がおかしいとは思わないし、
思ってはいけないとおもうけど、
それでもあまりにもおかしな主張を振りかざす人のことを
ニュースなどで見聞きしてしまうと、
おかしいんじゃないの、この国は
なんて悲観的な気持ちになってしまう。

けれど、重松清が受け入れられている限りは
まだまだ世の中って捨てたもんじゃない。


と、思うのでした。
…「きよしこ」に直接関係ないけど、
そんな気持ちになってしまった。

個人的には「どんぐりのココロ」と「ゲルマ」が大好きです。

きよしこ
重松 清
4104075043

文庫も出ていますが、せっかくのエピローグが台無しになってしまうような
解説が載っているので、上製本のほうをオススメします。
上製本のほうは、すばらしい扉イラストをカラーで見ることができますし。

2007年7月 8日

巨人たちの星(Giants' Star)

J.P.ホーガン1981年の作品で、ガニメアン3部作の完結編。

読んでいるあいだ中、その小説の居心地のよさに浸れる作品で、
460ページもあるのですが、長さを感じることはありません。
登場人物は皆、魅力的です。
個人的には、やはりダンチェッカーがいい。
「巨人たちの星」でのダンチェッカーは、ややコミカル過ぎるかなと
思わないでもなかったですが、とても人間くさくていいです。

ここに描かれるその結末を最初から想定して
この物語をホーガンが書いたとすればいいのですが、
もしそうでなかったとしたら、ちょっと結末に無理があった気が
しないでもありません。
勧善懲悪モノになってしまったところも、少々残念。

ですが、世界の不協和音に警鐘を鳴らしながらも
人類に限りない愛情を注ぐ、ホーガンの姿勢に敬意を表したいです。
地上から争いごとがなくなる日の到来を願わずにはいられません。
3作を通じて、すばらしい作品でした。


巨人たちの星
巨人たちの星
ジェイムズ・P・ホーガン 池 央耿
4488663036

2007年7月22日

人それを情死と呼ぶ

初出は1961年週刊文春の作品。
わたしが読んだのは光文社文庫版で、
これは1977年角川版を底本に鮎川哲也自らが若干改訂を施したものです。
鮎川の改訂癖はスゴイですね。
鮎川マニアの人は、いったい同じタイトルの本を
何冊持っているのでしょうか。

鮎川哲也は、推理小説のなかでは
美しく読みやすい文章を書く作家だと思います。
水のようにするすると入ってくる感じは
独断ですが重松清に通じるものがあるように感じます。

「人それを情死と呼ぶ」というタイトルが示すとおり、
情死とされたものの、実は偽装殺人ではないのか、
と疑惑がもたれるところから物語が進行します。
そこにいたる描写のよどみない感じ、さすがだと思いました。
ひとつひとつのアリバイを裏付けてゆく過程も
多少の意外性を含みながらも、あくまでもリアルです。

ひとつだけ、どうしても気になった点というのは
女性の描写が一辺倒であるところでした。
鮎川作品に登場する男性は、皆、際立った個性をもち
魅力的であるのに、なぜ女性キャラの魅力に欠けるのだろう。

「黒いトランク」や「憎悪の化石」では
女性キャラというのはそんなに重要ではなかったと思います。
「トランク」に登場する唯一の女性は
鬼貫の捜査の原動力として描かれているに過ぎなかったし、
「化石」では、極論から言えば女性が男性になったところで
そんなに意味に違いはなかったと思います。
が、「情死」での女性キャラクターは、とても重要な存在であり
「聡明な女性」と評されている由美と
「美しい妻」の照子が入れ替わったところで
どう違いがあるのかわからない。そこが、ほんとうに残念。

ラストの余韻は美しいと思いました。
面白くて一気に読み進めてしまう手腕に、今回もやられたー
という感じですが、細かいところが気になってしまったのは
この作家の文章がわかってきたせいもあるかもしれません。

…と、いろいろ書きましたが、とても面白かったためです。
太鼓判押せます。ドン!

人それを情死と呼ぶ―鬼貫警部事件簿 (光文社文庫―鮎川哲也コレクション)
鮎川 哲也
4334731791

2007年7月24日

ガラパゴスの箱舟(Galapagos)

ヴォネガット1985年の作品、浅倉久志:訳です。
昔、読んだはずなのですが、内容を忘れていたので再読しました。

1980年代当時のヴォネガットが、いかに人類に
絶望していたかがわかります。
どうしたってなくならない大量殺戮兵器。
どうしたってなくならない戦争。
どうしたってなくならない貧困や格差。
それらすべては巨大脳のせいだ、これは自然淘汰なんだ。
そう結論付けて笑い飛ばすしかない。
だってそれ以外に思いつく理由がどう考えたって見つからないもの。
広島や長崎も、ベトナムも、すべては百万年後の
新人類への進化のための布石だったのだと思うしかない。
そうにちがいない。(ヒロシマは「にこ毛」のための布石なのだ!)
……痛烈です。

しかし、ユーモアもたっぷりあります。そこがいいところ。

ヴォネガットの読者であれば、この百万年の年月を俯瞰して
語った人物が誰なのかは、おそらく読んでいるうちに
察しがついたことでしょう。私自身も察しがつきました。
ラストで、スウェーデン人医師に尋ねられたことで
号泣してしまうくだりにほろっときてしまいました。
本編にはあまり関係ないけれど。

それから、これまた本編には関係がないけれど、
キルゴア・トラウトはいつ死んだことになっているのだろう?
その他いろいろ。

わたしが読んだのは、ハードカバー版ですが、
95年に文庫化された際に、訳文に手を入れているそうです。
「カンガルーに出会ったころ」の『ガラパゴスの箱舟』に
その旨が書いてありました。
もしかしたらちょっと雰囲気が違うのかなぁ。
どうちがうのだろうか。
やっぱ文庫版も読まなきゃいけないかしら。

現在、正規で入手可能な数少ないヴォネガットの著書のひとつです。
読んだあとに、じわりじわりときます。
これこそ、まさにヴォネガットだなぁ…と再認識しました。
人類必読の一冊なのではないかと、あれから20年がたった今、
改めて思います。

ガラパゴスの箱舟
カート ヴォネガット:著/浅倉 久志:訳
galapagos.jpg

2007年7月26日

国のない男(a Man without a country )

ヴォネガット2005年の遺作です。満を持して邦訳版が出ました。

早速、書店にて買い求め(Amazonの到着が待てますか?)
新宿からの帰りの電車でずっと読み、帰宅してからも読んで
さきほど読了しました。

基本的には、あちこちでヴォネガットが発言している
言葉が何箇所も収録してあり、ときには
過去に出したエッセイと同じことまで書いてありました。

言いたいことは言い尽くした感がありますが、
これまでのエッセイと色が違うとしたら、
アメリカが世界中から嫌われてしまったことを
とてもこの老作家が悲しんでいることでしょうか。

タイトルの「国のない男」とは、途方もない反語といえるでしょう。

こてんぱんなまでに叩きのめされるアメリカ。
ヴォネガットの痛烈な政治批判は、
もうどうしようもなく祖国を愛しているのだなと
感じずにはいられません。

そして激しく論破したあと、肩で息をしながらも見せた
アメリカ人や人類への深い愛を12章で感じ取りました。
キルゴア・トラウトもちょっぴり出演してます。
これはウレシイ。

---

この本は、いつもの「早川書房:刊、浅倉久志:訳、和田誠:カバー」
ではなく、NHK出版から出ており、翻訳は金原パパです。
正直なところ、浅倉節で読むヴォネガットになじみすぎているせいもあり
手に取るまですごーく不安でした。
(帯にはまた太田光だし。もうね、ちょっとね…)
読んでみると、ちょっと硬質なヴォネガットという感じでした。
ところどころに気になる表現はありましたけど、
一気に最後まで楽しく読めました。よかったです。

…が、やはりいつかは浅倉訳で読みたいなぁとも思いました。
タイトルも、もしかしたら少し違ったつけ方になったんじゃないかなぁ。

過去に、池澤夏樹訳の「母なる夜」を読んでから、
飛田茂雄訳の「母なる夜」も読んでみましたが、
そのとき、前者では上品過ぎる!と思ったものです。
今回感じた「硬さ」は、池澤訳に近いかもしれないです。
そもそも、従来のヴォネガット文体が継承されていないのが
違和感なのかもしれない。
それから、他の作品にも出てくる登場人物の表記は揃えてほしいし、
ヴォネガットがいいそうもない言葉遣いは
やっぱり避けてほしかった…。
なんだか最後にケチがついた印象が否めません。至極残念。

国のない男
カート・ヴォネガット 金原 瑞人
国のない男

2007年7月30日

死よりも悪い運命(Fates worse than death)

死よりも悪い運命

1991年のヴォネガットのエッセイ。

エッセイのヴォネガットは、何度も同じことを言っている。「スローターハウス5」「青ひげ」「チャンピオンたちの朝食」そして「猫のゆりかご」。この4冊に書いてあることを言葉を変えて繰り返している。それがヴォネガットのエッセイだと思っていい。しかも、かなりヘビー。かなり飛ばしてる。

第2次世界大戦はヴォネガットの価値観を、良くも悪くも決定付けてしまった存在だった。「広島に落とされた原爆には、少なくとも軍事的意義があった」とあるくだりに、浅倉久志氏は「違和感を感じないわけにはいかない」と訳者あとがきに記しており、実を言うと、それがネックになってこの本がわたしはかなり長いこと読めなかった。

アメリカ人の価値観と日本人の価値観なんて決定的に違うんだ。わたしは少なくとも、アメリカから原爆を落とされたことについて「残虐きわまる行為であり、こんなことは二度と繰り返してはならない」と教育をうけてきたし、今もそう思っている。そこに損得勘定を差し挟む言及があることが、耐え切れなかった。

別の章で、ヴォネガットはかつて内戦中のナイジェリアの取材から帰国したときに「気が付くと犬の吠えるような声で泣いた」のに、今回、モザンビークの取材(ナイジェリアに劣らずひどい有様!)から帰国したとき、感情が動かなかったことを告白している。スローターハウス5でも、感情がどんどん麻痺してゆくビリー・ピルグリムを主人公にすえているが、人は麻痺することで自衛する。

ヒロシマに話を戻すが、訳者あとがきにあるようなバイアスがかかっている以上に、もっと別のわけがあるように思う。友軍によるドレスデン空爆。あれだけひどい状況下に置かれていながら、その残虐行為になんら意義がなかったということに失望感を抱いたのではなかろうか。せめて意義を見出してくれ!

漫画「夕凪の街・桜の国」(こうの史代:作)に、「わたし」は誰かに死んでしまえばいいと思われた存在だった、というくだりがあったが、立場は違うけど根本的にそれに近い感情だったのではないだろうか。

10章のラストにあった2行...「だれの上にも絶対に爆弾を落とすべきじゃないと思います」「それ以上にはっきりしたことはありません」これに尽きるのではないだろうか、と改めて思った。

追伸;
来世への青いトンネルの向こう側にいるヴォネガットさんへ。

ヴォネガットさん、あなたは、第二次世界大戦中、あなたの所属する祖国の軍隊が、夜な夜な日本の都市という都市に連日、爆弾の雨あられを降らせて滅亡させようとしたことはご存知だったでしょうか? 二発の原子力爆弾のことは別にして。


追記:ヴォネガットの著書をまとめて読み返して思ったのは、ヴォネガット自身にその認識はあったと思われる。どのタイミングで自覚したのかはわからないけれど。(2008年1月追記)

追記2:2008年9月、文庫化されました。

死よりも悪い運命
カート・ヴォネガット 浅倉 久志・訳
4150116822

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