バゴンボの嗅ぎタバコ入れ
カート・ヴォネガット 浅倉 久志 伊藤 典夫 
2000年に上製本として発売されていた、ヴォネガットの短編集がこのほどようやく文庫化された。書かれたのは1950~60年代で、半世紀も前のもの。ヴォネガットが短編を生活の糧として量産していた時期があり、その大半はスリック雑誌に掲載された。かつて、短編集「モンキー・ハウスへようこそ」が編まれたが、そこから漏れてしまった23篇がここに収録され、短編の大方が網羅されたことになる。めでたい。ただし、2007年10月の時点で、ハヤカワ文庫の「モンキー・ハウスへようこそ」は事実上の絶版状態になっているので、併せて読むのに本来最もふさわしいこの本は、簡単には手に入らない。古本もとんでもない値段に跳ね上がっている。全く持って皮肉な話。そういうものだ、というべきか。図書館で探すのをお勧めする。間違っても、法外な値段の古本に手を出さないでください。
話を「バゴンボ」に戻そう。ここに収録されているのは短編で、しかもアーリー・ヴォネガットと言うべき作品群。彼一流の文明批判や、どうしようもない人への「諦めと愛情いっぱいのまなざし」はすでに健在、さすがというべき。ただ、長編に見られるようなあの独特の味わいはほとんどないので注意が必要。短編としての出来は決して悪くない。この前に紹介したヤングの「宇宙クジラ」と比べたって遜色ないと思う。が、やはりヴォネガットは長編でユニークな存在になったと思う。圧倒的に。
もしもあなたが、先に出た「国のない男」を読み、ヴォネガットに興味を持って、この短編集を手にしたのであれば、おそらく頭の中は「?」でいっぱいになったと思う。前者は辛口政治評論家であり、後者はちょっと皮肉の効いた短編作家だ。この両者に、ヴォネガットの真の面白さは存在しない。この2冊を読んだなら、どうか「プレイヤー・ピアノ」へ駒を進めていただきたい。頭の中でこの3冊はおそらく1本につながると思う。
ということで、次は「プレイヤー・ピアノ」をご紹介する。
余談:
この短編集の上製本を持っており、文庫は特に入手する予定はなかった。ところがある日、書籍小包が手元に届いた。差出人は浅倉久志先生。「先日のワールドコンのお礼に差し上げます」と手紙が添えられており、恐縮すると同時にいたく感動し、ありがたく拝読させていただいた。新たに浅倉先生によって書かれた「文庫版に寄せて」が追加されており、そこには上製本が出た2000年以降、亡くなるまでのヴォネガットについて書かれていた。多くのヴォネガット本を手がけてこられた訳者としての感慨も、控えめながらに綴られていた。ヴォネガット最後の著書が浅倉先生・あるいは伊藤典夫さんによって翻訳されなかったことは、わたしは個人的に納得できなかった。しかし、この数ページを読んで、わたしのなかで締めくくることの出来なかったヴォネガットが、ようやく決着したし、これが浅倉先生からの回答なのだろうと受け取った。
ダス・エンデ。