スローターハウス5(Slaughterhouse5)

また読んでしまった。読みかけの本もあるし、読んでない本だって山のようにあるのに。(ということで、このブログでもレビュー2回目です)
この本は、生涯で最も繰り返し読んだ一冊だ。10代のときに購入した文庫は、卒業制作のモチーフにしたため、赤がいっぱい書き込まれている上、相当ボロボロになった。今年の4月のヴォネガット逝去の際、書店に平積みができ、「さよならヴォネガット」のPOPが、ゆらゆらゆれている棚があった。そこからわたしは一冊取り、購入した。二冊目だ。値段は当時のほぼ倍になっており、物価の推移が伺える。新版も、結局付箋だらけになってしまった。いい言葉がたくさんあった。
けれど、ヴォネガットのよさは、コトバひとつだけを取り出して眺めるものではないなぁとも思った。前後のモチーフがあってこそ輝きを放つエピソードも相当ある。もちろん、一部を引用したとしても、それはとても美しかったり、切なかったりするし、十分すぎる魅力に富んでいる。しかし、それを上回る魅力は、本一冊を通じて貫く芯にあると思う。あたりまえですが。
それにしても。改めて、伊藤典夫さんの訳文は無駄がない上、美しいと思った。ヴォネガットは、どうしてこんな本が書けたのだろう。多くの人が、この「調子っぱずれな」本のことを受け入れた事実にも祝福したい。
トラルファマドール星人の言うところの「なぜわれわれが? なぜあらゆるものが? そのわけは、この瞬間がたんにあるからだ」。過去も現在も未来も、常にそこにある。この本が、単純な反戦小説の枠に収まりきらないのは、このトラルファマドール星人の言葉に理由があるように感じた。スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)
カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤 典夫











