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2008年1月 アーカイブ

2008年1月 4日

スラップスティック(Slapstick)

スラップスティック―または、もう孤独じゃない (ハヤカワ文庫 SF 528)
カート・ヴォネガット 浅倉 久志
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副題は「または、もう孤独じゃない!」。ヴォネガット1976年の作品で、昨今のヴォネガット復刊ブームのラインナップから外されてしまった一作。ここでのテーマは拡大家族。そう、ヴォネガットが生涯テーマにした「拡大家族計画」だ。こんな重要な本が復刊されていないなんて! この本をはじめて知った人が図書館で読めますように。

「スラップスティック」は、設定も展開も登場人物も、なにもかもがハチャメチャで奇想天外。特に、主役のスウェイン医師と姉のイライザとの「お祭り騒ぎ」のくだりは爽快そのものだ。この爽快感がヴォネガットらしさなんだなぁ。

テーマ的としては、「猫のゆりかご」でヴォネガットが提唱したボコノン教をうんと推し進め、現実的にしたもののように感じた。人びとをカラースで分類した代わりに、「スラップスティック」ではミドルネームを政府が発行し、無数のいとこ兄弟姉妹を提案した。アイス・ナインで人類が瀕死のふちに立たされる代わりに、重力の激しい変動を用意した。SF的な要素が濃いながらも、「タイタンの妖女」のようなやりきれなさは感じなかったし、「猫のゆりかご」のように突き放した絶望感も感じなかった。ただ訪れるものを受け入れつつ、人々が変容していくことにも動じず、淡々と生きてゆく数少ない登場人物のありようは、ヴォネガット文学を貫く普遍的なテーマに則っている。この作品は、設定の奇想天外さにおいても、根底に流れるテーマの普遍性においても、ヴォネガットらしさがバランスよく含まれている。秀作。

なお、訳者あとがきでは、拡大家族のヒント、星座占いがなぜこうまでも受け入れられているかについてヴォネガットが語ったコトバが引用されていたが、この作品を理解するうえでとても大きな助けとなった。うーん、さすがだ。

追記:2008年9月に復刊しました。


2008年1月12日

タイムクエイク(Timequake)

タイムクエイク (ハヤカワ文庫SF)
カート ヴォネガット Kurt Vonnegut 浅倉 久志
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最後に執筆された小説。ヴォネガットのこれまでの小説たちの総括のような作品で、この本から読むと、おそらく意味がわからないのではないだろうか。ヴォネガットが、あらゆる場所で訴え続けてきたことが書かれている。デジャ・ブのように、その記述は現れて、軽やかに去ってゆく。あれ?これどこかで読まなかったでしょうか、その他いろいろ。

新しいテクノロジーへの警鐘は「プレイヤー・ピアノ」を思い起こさせ、拡大家族の必要性は「スラップスティック」や「死よりも悪い運命」の復活のようだ。オヘアの思い出は「スローターハウス5」とともに。そしてなにより、ずっと孤独だったキルゴア・トラウトが最後の最後で独りぼっちでなくなった! 作者の優しさを感じずにはいられない。

亡くなった人々への回想は甘く優しく、ともに生きている人には厳しい気がした。先妻ジェインとの関係が悪いままでなくて本当によかった。「ヴォネガット、大いに語る」や「さよならハッピー・バースデー」のときのヴォネガットは本当につらそうだったから。

それにしても、これはやっぱり最後の本なんだなぁと思った。グランドフィナーレもあったし。あんたは病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある。なんという心強い言葉! アウフ・ヴィーターゼーン。

2008年1月14日

タイタンの妖女(The Sirens of Titan)

タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF 262)
カート・ヴォネガット・ジュニア 浅倉 久志
4150102627

しまった! 「タイタン」と「母なる夜」のレビューを忘れていた! 「タイムクエイク」でヴォネガットの小説レビューは全部かなと思っていたら、うっかりしてました。ということで、まずは「タイタン」を。

前期ヴォネガットを語る上ではずすことのできない作品。世間的には、「猫のゆりかご」と人気を二分する作品だが、ヴォネガット一流の、読後のしみじみ感を満喫できる「タイタン」のほうがわたしはお気に入りだ。ヴォネガットと言えば、しっちゃかめっちゃかな話の展開だが、ここでのしっちゃかめっちゃか度合いは半端ない。地球を飛び出して、はるかかなたの星の世界へ飛ばされまくる人生も、そういうものだと受け入れるべきか。トラルファマドール星人、大活躍。パンクチュアルな意味において、カートは今、天国におります。

私自身、この長い物語は、ラスト3ページの"サロの贈り物"のためだけにあると思っている。ここを読むだけで、ほらまた鳥肌が立って、目頭が熱くなる。天国にいる誰かさんは、あんたのことが気に入ってるんじゃないかな云々は、いろいろな作品で使われている言葉だけれど、「タイタン」ではとても重く、やさしく、トーストみたいにあったかだ。まさに名作。また読もうかな...。(またかよ!)


母なる夜(Mother night)

母なる夜
カート・ヴォネガット 池澤 夏樹
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母なる夜 (ハヤカワ文庫SF)
カート,Jr. ヴォネガット 飛田 茂雄

母なる夜


「母なる夜」は白水Uブックス・池澤訳とハヤカワ文庫・飛田訳の2つが出版されていて、これについては甲乙つけがたい。残念なのは、後発であったハヤカワ版が入手困難になっていて、なかなか高値がついていること。池澤訳は現在も書店で平積みになっているので、「母なる夜」そのものが読めなくなったわけではないので、まだ救いがあるものの、ハヤカワ版には白水版にはないよさもあるので、とても残念に思う。

というのは、後発だったためもあると思うが、ハヤカワ版はちょっとしたオマケをつけている。それは、ヴォネガットによる「読者のみなさん」という序文が収録されている点。序文に書かれている言葉がすこぶるいい。機会がある方(あなたの街の図書館に、この本がありますように!!)は、序文だけでも目を通してほしい。復刊してもらいたい一冊。

肝心の内容は、ヴォネガットの小説の中で、最もシビアな作品と言えるが、読みやすいとも思う。自分自身がこの立場だったらどうするだろうと、ヴォネガットの作品では珍しく感情移入しながら読むことができる。「スローターハウス5」が産まれた後、フィクションの形をとりながらも、あくまでもリアリティをもったこの作品が世に出されたことは、作家にとって必要だったのかもしれない。

なお、「マザーナイト」のタイトルで映画化もされており、ラスト間際でヴォネガットもカメオ出演している。なかなか原作に忠実に作られた映画だった。(日本では未公開、ビデオのみ販売)

(追記:やっぱ「ハイ・ホー」より「ハイホー」のほうがしっくり来るなぁ...いや、どうでもいいですが)
(追記その2:2008年9月に飛田版復刊しました。)

2008年1月18日

人間以上(More than human)

人間以上 (ハヤカワ文庫 SF 317)
シオドア・スタージョン 矢野 徹
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Amazonの画像がないな。スタージョン1953年の長編作で、矢野徹による訳が1963年と、半世紀も前のもの。3部構成で、特に第2部の「赤ん坊は三つ」がすばらしかった。と思ったら、「Baby in three」という短編で最初発表されたものだったらしい。登場人物も多岐にわたり、3部構成を通じて共通の登場人物が出てくるものの、オムニバスの中にオムニバスが入っているような複雑な構成だったが、結構すんなり読めた。構成が巧いな、と思った。

読んでるときには、次の展開が気になって、面白かった。面白かったんだけど、私自身、超能力モノ・超人モノが不得手と言うこともあり、読後感は「うーん」だった。宗教観の差もあるのかな? いや、スタージョンの短編を読む限りはそのあたりは特に感じなかったので、やはり超人モノが苦手なんだなと思った。以前読んだ矢野徹の「折紙宇宙船の伝説」の読後感に非常に似ていた。「人間以上」の影響が大きいのではないだろうか。「人間以上」による影響と言えば、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の発想の源になったと言う説もあるが、たしかにそれは感じた。特に、イワンに相当する赤ん坊の存在とか、超人ならではの悲しみと矛盾に対する苦しみなど、テーマや描写に相通じるものを感じた。古典的な名作なのだと思う。

ところで、わたしが読んだのは、ポケミスと同じ装丁の大変古いもので、以前、富士鷹屋で購入したものだ。この古本、巻末には訳者の検印がある。そう、「矢野」というハンコなのだ。これをたまたま筒井好きの某編集者に見せたとき、「矢野さんのハンコじゃない!!」とすごい食いつきだった。いーでしょいーでしょ。はっはっは。

2008年1月20日

首無の如き祟るもの

首無の如き祟るもの
三津田 信三
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横溝正史を「最後の探偵小説作家」と呼ぶらしいが、一度絶滅してしまった探偵小説がまるでトキやコウノトリのように復活した...初めて読んだ三津田信三を、わたしはそんな風に感じた。設定、時代背景、猟奇的な犯罪、なまめかしさ、どれをとっても推理小説というより探偵小説と呼ぶにふさわしいテイストだった。すばらしい。

読者は、この禍々しい物語の犯人が誰で、どう犯罪が行われて、その動機は何かを、神経を研ぎ澄ませて、作家が綴るコトバ一つ一つをかみ締めながら読む。それでも、あのラストの大どんでん返しには驚かされるし、確かにフェアだよなぁ...と思いながらも、そこに気を止めず読み進めてしまったことを悔しく思った。再読の必要性に迫られる一作だ。1回目は単純に楽しむため、2回目は確認をするため......。ヤラレター! このどんでん返しは、想像つかなかった。トリックの複雑さはクロフツの「樽」を少し思わせ、覆い尽くす黒く不気味なムードは、やはり横溝正史の遺伝子だと思った。夢野久作っぽくはない。

ただ、大ラスの不気味さは、「ドグラ・マグラ」の『ブゥーーーーーーーン』に匹敵すると感じた。このラストが描きたいがために、作者はこの形式を取ったのだろうか。作家の筆を借りる形で、物語が進む方式はこれまでもあったが、これは......。

ひとつ気になったのは、主要人物のひとり・使用人の斧高の言動がとても6歳に感じなかったこと。これはもう読んでて気になって気になって仕方がなかった。それから、見取り図は入れてほしかった。建物の配置が複雑だったし、せっかくここまで探偵小説魂を引き継いでいるのだから、見取り図はほしかったなぁー。

戦後ミステリの好きな方なら、クスリと笑ってしまうようなトリヴィアがいっぱい詰め込まれている点も見逃せない。だって、主要登場人物の一人に江川蘭子ですよ! これを知ったら、もう読むしかないでしょう。

2008年1月27日

警官の血

警官の血 上巻
佐々木 譲
4104555053

警官の血 下巻
佐々木 譲
4104555061

今、書店に行くと平積みされまくりの話題の本なので、コレはと思い手にとって拝読したところ、たいへん面白かった。まず、なんといっても、人情味あふれる人物の描写がいい。特に、第1部「清二」は誰をとっても魅力的だった。第2部、第3部と進むにつれ、時代がどんどん現代に迫ってくる。今のわたしたちの世代にまでまたがってくるが、時代の移り変わりの鮮やな筆運びは、読んでいて気持ちがいい。

ラストが近づくにつれ、あれ?残りのこのページ数であれだけのことが解決するの!?と変な心配をしたものだが、......すごかった。あのラストは、鬼気迫るものがあった。ああいうラストは好きだ。

個人的には、清二の描写の細やかさが、民雄と和也にもほしかったなぁと言う気がした。が、上下巻、あっという間に読ませてしまう力がある。これは映画になるんじゃないかな。中井貴一あたりが適任かと。モチロン3部作で。どうでしょ?

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