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2009年1月 アーカイブ

2009年1月 2日

夜の果てへの旅(Voyage au bout de la nuit)

夜の果てへの旅
Louis‐Ferdinand C´eline 生田 耕作 訳
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ヴォネガットが「スローターハウス5」を書く際に着想を得たと言われる、ルイ・フェルディナン・セリーヌの文壇デビュー作。1932年の作品。日本語版は1994年に訳者が没する直前まで手を入れ続けたもので、渾身の一冊と言ってよい。(上下巻なので二冊ですが)。独特の言い回しが特徴的で、はじめはこれおもしろいだろうか、読み通せるだろうかと不安になっていたが、この奇妙な文体に慣れていくうち、どんどんはまってしまった。

半自伝的小説らしく、主人公の名前もフェルディナン、作者と同じ名前を持つ若者である。貧困に対する、どうしようもないほどの諦めと憎悪がリアルに迫ってくる。追い詰められた境遇にあって、人がどんなに美しく生きるのかを説く小説が多い中、セリーヌはずばり貧困のもたらす、膿み爛れた人間性を暴き立てる。

主人公のフェルディナン・バルダミュは、ごくごく普通の青年だと思うし、才能もないわけではない。バルダミュの人生を追いかけると、彼の人生は言うほど爛れたものではないし、なかなかうまくやっている方ではないかと思う。ただ、バルダミュを取り巻く人々はどうもそうとは言い切れないものがあり、人生っていうのは、当事者の才能そのもの以上に、取り巻く環境が大きいのかもしれないとつくづく思った。違った環境に行けばもっと自分自身が発揮できるかもしれない、もっと幸せになれるかもしれない、と放浪生活を続けるバルダミュの姿勢は、現代人にも当てはまるだろう。

そして、バルダミュの人生に影のようにつきまとったロバンソン。読むうちに、この老人の姿が一人の作家と被って見えた。その作家の名は、キルゴア・トラウト。ロバンソン・レオンとは、もしかしてキルゴア・トラウトのことなのだろうか。「タイムクエイク」で、ヴォネガットが用意したトラウトの末路が孤独ではなかったことは、回り回って幸せなことだったんだなぁと思った。

2009年1月21日

スプーク・カントリー(Spook Country)

スプーク・カントリー
ウィリアム・ギブスン 浅倉久志
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ウィリアム・ギブスン2007年の作品。「ニューロマンサー」「ディファレンス・エンジン」などの名前は知っていたけど、今までギブスンはずっと読んでこなくて、今回初めて読了した。何故かものすごく時間がかかった。

ホリス、チトー、ミルグリム三者三様の視点で物語が進み、徐々に彼らの中核に近づいていき関係がわかったとき、あっという間にクライマックスを迎える。物語の運びはスロースターターで、徐々に加速度が増し、ラストは華々しい。そしてラストの着地はとても穏やかだった。細かな点では、チトーが逃走するシーンの展開がとても好きだ。

読んで気になったのは、「臨場感アート」の存在。物語は2006年の設定で、臨場感アート以外の描写に関しては、現代のアートシーンやカルチャーで普通に使われているテクノロジーが縦横無尽に登場する。ところが、「バイザーを被ることで立体視によるインスタレーションを様々な場所で体感できる」技術は、2009年現在でも普及していない。ディズニーランドやテーマパークに行ったら近いモノは体感できるかもしれない。しかしながら、少なくとも新宿の街にそういったインスタレーションが発生する可能性は、少ない気がしてリアリティを感じなかった。そこが実は残念だった。

2009年1月31日

定本久生十蘭全集1

定本久生十蘭全集 1
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2008年10月より国書刊行会より刊行が始まった久生十蘭全集。とにかく分厚くて、でっかくて重いので、ベッドで読むことも出来ず、電車に乗る際に持ち込むのも苦痛なので、リビングで一日の終わりの限られた短い時間(15分とか30分とか)をこつこつと積み重ねて、ようやく三ヶ月かかって読了した。読了した前の日に第二巻が届いた。

長い時間をかけて、ようやく読み終えた本ではあったけれど、持ち運びに難があるだけで、内容についてはするすると入ってくる調子の良さ、おもしろさがあり、ちっとも苦ではなかった。こんなペースで一体いつ読了するんだろうと思っていたら、いつの間にか読み切ってしまった、といった感じだった。別のトコロでも書いたけど、なんと言っても組み版が美しく、紙の色も優しいクリーム色でイメージの妨げにならない。

内容に話を移す。この全集では、発表年代順に収録されているので、作風や時代の遍歴を把握しながら読み進めることが出来る。これは非常にポイントが高い。最初が「ノンシヤラン道中記」で、しゃれっ気たっぷりな内容と、弁士が読み上げているような調子の良いリズミカルな文体と、めちゃくちゃと言っていいほどのタヌ(主人公の女の子の名前。ちなみに相方は、タヌの尻に敷かれっぱなしの情けなさ満載の日本男児、その名をコン吉という)の活躍にすっかり魅了され、あっという間にユニークな世界観に魅了される。「ノンシヤラン」の名調子は、その後の「魔都」にも引き継がれることとなる。東京の魔的な魅力に彩られた光と影は、普通の文体では表現しきれなかったように思う。

また、第一巻には「金狼」「黒い手帳」そして「湖畔」といった、短編の名品が収録されている点も見逃せない。特に、これらの短編を読んで感じるのは、十蘭の人間観が少し従来の作家とは違うように感じられることだ。死の扱いがあっけらかんとしているように感じる。もっと読み込んでいくうちに、そのアウトラインがはっきりしてくると思うが、デビューして間もない十蘭のこの作品群は、新人らしからぬ力量と個性を発揮していることは間違いない。

さらに、語彙の豊富さ、文体の多様さも久生十蘭の魅力の一部だと思う。例えば「黒い手帳」と「ノンシヤラン」が同じ作者の手によるとは思えないほどである。文体がくるくると変化する。ちなみに、第二巻の冒頭は、いきなり時代モノだった。こういう表現も出来てしまうのか! 驚きを持って第二巻に進むこととする。次に読了の更新が出来るのは、また三巻が届くころだろうか。

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