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浅倉久志 アーカイブ

2007年4月15日

チャンピオンたちの朝食(Breakfast of Champions)

goodbye blue monday!

→「スローターハウス5」の後に書かれた1973年の作品である。
この作品には、魅力的なヴォネガットの自筆イラストが多数収められている。
そして、段落の前には「→」がつけられている。

→「人生は危険だよ、それは知ってる。それに、苦しみもいっぱいある。
だからといって、まじめなもんだとは限らんよ」
など等、キルゴア・トラウトの名言が多数収められている。
トラウトの短編小説のあらすじも、たんと収められている。
召し上がれ!

→化学物質のせいで狂っているのは、ドウェイン・フーヴァーに限ったことではない。

→感想の書きにくい作品である。わたしの知る限りでは。
「スローターハウス5」とはもともとひとつだった、という解説には納得がいく。
そういう話だ。その他いろいろ。

→解説の浅倉久志さんが粋である。彼は素晴らしい翻訳者だと思う。
1930年生まれの彼は、今年でもう77。はてなには「相当の高齢」と書いてあった。
言いえて妙である。
ただ、ヴォネガットの最後のエッセイ「A man without a country」が
浅倉さんでないことが、本音を言うと寂しい。
ラストまで浅倉節で行って欲しかった。
今、翻訳している人には申し訳ないが、許して欲しい。
それが読者のわがままというものだ。


...「チャンピオンたちの朝食」風(?)にまとめてみました。
ちなみに、現時点で、ハヤカワは絶版扱いのようです。
なんということ! 翻訳権を独占しながら!
しかも、ブルース・ウィリスによって映画にもなった作品だというのに!
(映画について語る気力は持ち合わせてないです。原作とは別物として楽しまれたし)

そんな事情なので、古本で求めるしかありません。
が、その価格がかなり流動的なので、リンクをふたつ紹介しておきます。
これから欲しいなと思う方は、適切と思われる価格のものをお求めください。
1,000円くらいで収まりますように。
(追記:2007年秋に文庫版復刊されました)

チャンピオンたちの朝食
チャンピオンたちの朝食 (1984年)
カート・ヴォネガット・ジュニア:著 / 浅倉 久志:訳
B000J75XLU
※ハードカバーのリンク。ユーズドには文庫と思われるものも入ってくるようです。

チャンピオンたちの朝食
カート・ヴォネガット・ジュニア:著 / 浅倉 久志 :訳
415010851X
※こちらは文庫のリンクです。
追記:2007年秋に復刊されました。めでたい!

Breakfast of Champions
Kurt Vonnegut
0385334206
これは原著。日本語版と見比べるとすごく楽しい。イラストの扱いがいいですよ。

2007年4月22日

青ひげ(Bluebeard)

bluebeard

「こうした偶然の一致をいちいち真剣にとっていたら、
だれでも気が狂ってしまう。この宇宙には、
自分にかいもく理解のできないことがわんさと進行中らしい、
と疑いを抱くようになる」(本文より)

1987年のヴォネガットの長編です。

戦争体験をベースに、しっちゃかめっちゃかになった
人生の回顧録である点においては、いつものヴォネガット。
「青ひげ」にはラストにオチが用意されているので、
いつもよりもちょっとわかりやすいヴォネガットかなと思います。

わたしがヴォネガットを好きな理由は、
奇跡的な出来事が、それが幸運であれ、その真逆であれ
いつ起きても、「ひとつの事実」として受け止める姿勢が
貫かれているからです。
登場人物がどんなに自分勝手でも自己中心的でも、
どんなにはた迷惑な存在でも、「存在」として尊重しているところかな。

「青ひげ」を再読して思いました。

青ひげ
カート ヴォネガット Kart Vonnegut 浅倉 久志
4150112053

2007年5月20日

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(Do Androids Dream of Electric Sheep?)

映画「ブレードランナー」の原作としても名高い、
フィリップ・K・ディックの1968年作品です。
翻訳は、かの浅倉久志さん。

「訳者あとがき」で浅倉さんが太鼓判を押していましたが
この言葉に偽りなしの名作! 息をつかせぬ展開でした。

わたしが受け入れられるタイプのSFといえば
ヴォネガットやブラッドベリといった類でした。
ハードSFは言葉使いが難解なだけでなく、その世界観への
感情移入(あっ!「電気羊」のキーワード!!)が
なかなかできなくて、うーん、わたしはあんまり
SFって好きじゃないのかしら…と自信を失っていましたが
それは間違いだった、と気づきました。

第3次世界大戦がおわって、放射能に汚染されきって
荒廃してしまった地球では、生きている動物を
飼うことがステイタスになっています。
以前飼っていた、ホンモノの羊が破傷風で死んでしまい、
その代わりに電気羊を飼っているリックは
隣人が飼っている馬を見て、どうしても生きている動物が
ほしくてたまりません。
火星から逃亡している8人のアンドロイドを仕留めれば
賞金が入り、憧れている動物を買うことができる…。

…動機はいたってシリアスなはずなのですが、
あらすじにしてしまうとなんともチープな印象。
この物語が「打ち解けやすい」のは、そういう設定に
あるのかもしれません。

そして、登場するお尋ね者となっているアンドロイドたちは
みんな魅力的です。
アンドロイドをつとめて「それ」と呼ぶことにしているリックの
気持ちがぐらぐらと揺らいでいき、生きていることとそうでないことの
価値観の境目がわからなくなってくる様子が圧巻でした。
サブストーリー的に登場してくるイジドアが、リックの追求劇に
絡んでくる描写は美しい展開でしたし、
途中で、状況がひっくり返されるような描写があり、
めくらましにあっているような錯覚を覚えます。

ラストシーンは、まさに映画のようです。
あ。映画化されてるんだった。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
フィリップ・K・ディック 浅倉 久志
4150102295

2007年5月28日

ぼくがカンガルーに出会ったころ

浅倉久志さんといえばヴォネガットの翻訳で
伊藤典夫さんと並ぶ「おなじみの方」です。
いや、日本のSF界にはなくてはならない存在というか、
逆に言うと、名作といわれている海外SF小説の翻訳の
かなりの割合を占めているスゴイ人と言っても過言ではないでしょう。

いつも「訳者あとがき」で見せる、謙虚で人懐こく、
暖かな視点をもったこの翻訳家のおじさんは、
やっぱりエッセイを書かせても優しさとユーモアに満ちています。

巻末には、2005年までの翻訳リスト(ものすごい膨大!)が載っています。
こんなに膨大な作品を訳しているのに、海外旅行の経験が一度もないなんて…。
そして何よりも未だに第一線でご活躍ということに、もう脱帽です。

余談ですが、わたしが読んだ浅倉さんの最新翻訳は、
新潮社の「yomyom」に載っていた
ヴォネガット「キヴォーキアン博士」の抄訳だと思います。
(ぜひとも浅倉訳で単行本になって欲しい~!)

ああ、それにしても、SFっていいなぁーと思いました。
ずっとお元気で素晴らしい翻訳を続けてください。
プーティーウィッ。

ぼくがカンガルーに出会ったころ
浅倉 久志
4336047766

2007年6月 3日

どんがらがん(Bumberboom)

河出書房新社「奇想コレクション」アヴラム・ディヴィッドスンの巻。
編者は「ハサミ男」の殊能将之氏です。

内容は、まさに奇想と呼ぶにふさわしい短編が16個。
その中でも「ナイルの水源」にやられました。
不条理とリアリティが渾然一体となっている世界観。
こういうのを読みたかったんだよーと思いました。

まさに文学でしか成し得ない世界です。

こういういい方は、本来いけないのかもしれないですが、
洋風内田百間、という読後感を持ちました。
「冥途」「東京日記」をデイヴィッドスンに読ませたかった!
星新一とともに内田百間もF&SF誌で紹介してほしかった!!

余談ですが、「どんがらがん」収録作品のうち、
半数近くの翻訳を浅倉久志氏が手がけているのも
ファンとしては嬉しかったです。

ちなみに、この奇想コレクションには、キルゴア・トラウトの
モデルとなった(らしい)シオドア・スタージョンが2冊出ているのです。
その上、編訳者はかの大森望氏。これは外せまい!
ということで、次に読む奇想コレクションの予定はスタージョンです。


どんがらがん
アヴラム・デイヴィッドスン:著/殊能 将之:編
4309621872

2007年6月11日

たったひとつの冴えたやりかた(The Starry Rift)

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの遺作であり、
代表作のひとつです。1986年。
「The Starry Rift」を直訳せず、邦題に
「たったひとつの冴えたやりかた」を選んだセンスはスゴイ。

異性人の描写と、ヒューマンとの交流のいろいろ、
よくできてるなぁと思いました。表題作のラストは切ない。
たったひとつの冴えたやりかた、ほかに手はなかったのか
と思わないではいられない。

ただ、全体的にSF描写がちょっと嘘っぽい印象がしました。
ホーガンを読んだあとだったから、
なおさらそこが気になったのかもしれないです。
それもあって、素直に泣けなかったなぁ…。
出来としては第3話の「衝突」が一番良かった。

それにしても、死がモチーフとして描かれているのは、
ティプトリーの衝撃的な最期のせい
(寝たきりの夫を射殺して、自身も自殺した)
だったのだろうかと、ちょっと深読みしてしまいました。

…で。ここに一番文句を言いたい。
挿絵は、いらんっ!!!!
描きすぎなんだよね、ディティールを。
イマジネーションの妨げになると思った。
川原由美子氏の漫画は嫌いじゃないけど、
小説の挿画には向かないと思った。
いや、そうではなく、こういう挿絵の入っている小説は
わたしには向かない、ということなのでしょう。
この絵がきっかけで本を手に取った人もいるようなので
否定ばかりしてはいけないのかもしれない。


たったひとつの冴えたやりかた
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア:著/浅倉 久志:訳
4150107394

2007年6月27日

グラックの卵(The egg of the Glak)

国書刊行会「未来の文学」シリーズ、2006年。
浅倉久志・編訳の、ユーモアSFアンソロジー集。

カバーのデザインがハードな印象なので想像できませんが、
楽しい短・中編がぎっしり詰まっています。
わたしが気に入ったのは、ヘンリー・カットナー「ギャラハー・プラス」。
SFらしさがふんだんに盛り込まれ(しかもとても重要な役割をしめています)
登場してくる人物がユニークで楽しい。
構成もすばらしいと思いました。

ジョン・スラデック「マスタースンと社員たち」は
非現実的でいながらも、どこか現実的な印象で
(社会なんて、きっとそういうもの!)
読後感、ずっと尾を引いた作品でした。
ディヴィッドスン「ナポリ」「ナイルの水源」、
百間「旅順入城式」の非現実感に近いものを感じました。
こういうのって、どうやって思いつくんだろう。
不思議です。

「グラックの卵」には、全部で9編が収められていますが、
これまでほとんど日本に紹介されていなかった希少SFです。
まだまだこういう面白いものってたくさんあるんだろうなぁ。
国書のこのシリーズ、面白そうなものがたくさんあるので
ぼちぼち攻略していきたいと思っています。


グラックの卵
ハーヴェイ ジェイコブズ他/浅倉 久志:編訳
4336047383

2007年7月24日

ガラパゴスの箱舟(Galapagos)

ヴォネガット1985年の作品、浅倉久志:訳です。
昔、読んだはずなのですが、内容を忘れていたので再読しました。

1980年代当時のヴォネガットが、いかに人類に
絶望していたかがわかります。
どうしたってなくならない大量殺戮兵器。
どうしたってなくならない戦争。
どうしたってなくならない貧困や格差。
それらすべては巨大脳のせいだ、これは自然淘汰なんだ。
そう結論付けて笑い飛ばすしかない。
だってそれ以外に思いつく理由がどう考えたって見つからないもの。
広島や長崎も、ベトナムも、すべては百万年後の
新人類への進化のための布石だったのだと思うしかない。
そうにちがいない。(ヒロシマは「にこ毛」のための布石なのだ!)
……痛烈です。

しかし、ユーモアもたっぷりあります。そこがいいところ。

ヴォネガットの読者であれば、この百万年の年月を俯瞰して
語った人物が誰なのかは、おそらく読んでいるうちに
察しがついたことでしょう。私自身も察しがつきました。
ラストで、スウェーデン人医師に尋ねられたことで
号泣してしまうくだりにほろっときてしまいました。
本編にはあまり関係ないけれど。

それから、これまた本編には関係がないけれど、
キルゴア・トラウトはいつ死んだことになっているのだろう?
その他いろいろ。

わたしが読んだのは、ハードカバー版ですが、
95年に文庫化された際に、訳文に手を入れているそうです。
「カンガルーに出会ったころ」の『ガラパゴスの箱舟』に
その旨が書いてありました。
もしかしたらちょっと雰囲気が違うのかなぁ。
どうちがうのだろうか。
やっぱ文庫版も読まなきゃいけないかしら。

現在、正規で入手可能な数少ないヴォネガットの著書のひとつです。
読んだあとに、じわりじわりときます。
これこそ、まさにヴォネガットだなぁ…と再認識しました。
人類必読の一冊なのではないかと、あれから20年がたった今、
改めて思います。

ガラパゴスの箱舟
カート ヴォネガット:著/浅倉 久志:訳
galapagos.jpg

2007年8月14日

輝くもの天より墜ち(Brightness falls from the air)

輝くもの天より墜ち
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア:著/浅倉 久志:訳
4150116237

ティプトリー、1985年の長編です。550ページ超のボリューム。
「たったひとつの冴えたやりかた」の冒頭で、図書館の主任司書と
若い二人の学生(コメノというエイリアン)とのやり取りで
話題に上った作品で、今年になってようやく邦訳版が登場しました。

この長い物語は、24時間の間に起こったこと。
<ザ・スター>がダミエムという星を通過する間におきました。
ダミエムに接近するまでの前半は、楽しく明るい雰囲気
(それでもちらほらと不吉の影は落ちています)。
しかし、<ザ・スター>がダミエムを通過した途端に事態は急変し
凄惨な出来事が起こり、眼が離せなくなります。

事件が一応の解決を見せた後、まるでエピローグのように描かれる
老いと死に対する描写のすさまじさは、何でしょう。
ティプトリーの「こだわり」というにふさわしいこの描写こそが
この長い物語で一番伝えたかったことのように思います。

死とは恐れるに足らぬものとして、エレガントにすら感じる描写をするも、
老いについてはどこか自虐的に捕らえているような気がしました。
ティプトリーの壮絶な最後は(介護の必要な夫を撃ち殺した後に
自らも拳銃自殺した)やはり無視できない出来事なのかもしれません。

老いとは、正視に耐えないほどみじめなものなのだろうか。

10年、20年と年齢を重ねていけば、もしかしたら違った感想を
もてるかもしれない、と思った一冊でした。

2007年10月 6日

バゴンボの嗅ぎタバコ入れ(Bagonbo snuff box)

バゴンボの嗅ぎタバコ入れ
カート・ヴォネガット 浅倉 久志 伊藤 典夫
4150116350

2000年に上製本として発売されていた、ヴォネガットの短編集がこのほどようやく文庫化された。書かれたのは1950~60年代で、半世紀も前のもの。ヴォネガットが短編を生活の糧として量産していた時期があり、その大半はスリック雑誌に掲載された。かつて、短編集「モンキー・ハウスへようこそ」が編まれたが、そこから漏れてしまった23篇がここに収録され、短編の大方が網羅されたことになる。めでたい。ただし、2007年10月の時点で、ハヤカワ文庫の「モンキー・ハウスへようこそ」は事実上の絶版状態になっているので、併せて読むのに本来最もふさわしいこの本は、簡単には手に入らない。古本もとんでもない値段に跳ね上がっている。全く持って皮肉な話。そういうものだ、というべきか。図書館で探すのをお勧めする。間違っても、法外な値段の古本に手を出さないでください。

話を「バゴンボ」に戻そう。ここに収録されているのは短編で、しかもアーリー・ヴォネガットと言うべき作品群。彼一流の文明批判や、どうしようもない人への「諦めと愛情いっぱいのまなざし」はすでに健在、さすがというべき。ただ、長編に見られるようなあの独特の味わいはほとんどないので注意が必要。短編としての出来は決して悪くない。この前に紹介したヤングの「宇宙クジラ」と比べたって遜色ないと思う。が、やはりヴォネガットは長編でユニークな存在になったと思う。圧倒的に。

もしもあなたが、先に出た「国のない男」を読み、ヴォネガットに興味を持って、この短編集を手にしたのであれば、おそらく頭の中は「?」でいっぱいになったと思う。前者は辛口政治評論家であり、後者はちょっと皮肉の効いた短編作家だ。この両者に、ヴォネガットの真の面白さは存在しない。この2冊を読んだなら、どうか「プレイヤー・ピアノ」へ駒を進めていただきたい。頭の中でこの3冊はおそらく1本につながると思う。

ということで、次は「プレイヤー・ピアノ」をご紹介する。

余談:
この短編集の上製本を持っており、文庫は特に入手する予定はなかった。ところがある日、書籍小包が手元に届いた。差出人は浅倉久志先生。「先日のワールドコンのお礼に差し上げます」と手紙が添えられており、恐縮すると同時にいたく感動し、ありがたく拝読させていただいた。新たに浅倉先生によって書かれた「文庫版に寄せて」が追加されており、そこには上製本が出た2000年以降、亡くなるまでのヴォネガットについて書かれていた。多くのヴォネガット本を手がけてこられた訳者としての感慨も、控えめながらに綴られていた。ヴォネガット最後の著書が浅倉先生・あるいは伊藤典夫さんによって翻訳されなかったことは、わたしは個人的に納得できなかった。しかし、この数ページを読んで、わたしのなかで締めくくることの出来なかったヴォネガットが、ようやく決着したし、これが浅倉先生からの回答なのだろうと受け取った。

ダス・エンデ。

2007年10月15日

高い城の男(The man in the high catsle)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)
フィリップ K.ディック 浅倉 久志
4150105685

高い城の男

ディック1962年の作品。

第2次世界大戦、ドイツ(ナチ)と日本が勝利を収め、アメリカを両国で二分している設定のお話。西海岸を日本が、東側をドイツが有している。それにしても、海外作家の小説で、これだけ漢字表記を用いられた日本人キャラクターが出てくるものは読んだことがない。日本人が、「古きよきアメリカ」に憧れを抱いていることなど、ディックはよく知ってるなぁと感心した。主人公の一人、田上の描写はそれにしても崇高だ。いや、日本人全体の描写が、崇高に寄り過ぎていないだろうか。そもそも、日本人はそんなに瞑想をしないだろう。まぁいいか。そう言う設定だ。日本軍も健在で、天皇は神だ。もしかしたら現実の日本人とは違った性質を持っている可能性はある。

この物語は、主人公が数人いて、平行してそれぞれのキャラクターの行動が描かれる。そして、お互いは直接的に、あるいは間接的にどこかで関係を保っており、だんだん糸がより合わさっていく。登場人物が多いせいか、感情移入できるキャラがなかなか出来なかったのだが、やはり最後まできて田上の存在は忘れがたいと思った。

11章以降は、それまで比較的淡々と綴られてきた物語の緊張の度合いが高まり、正直、恐怖を感じた。恐ろしいと思った。ラストで、田上が平和でおだやかな公園に腰を下ろして眺めているシーンがあるが、高官たちの間で取り交わされている巨大な動きとの対比が恐ろしい。それにしても、易経がここまで人々の心を支配している世界って、なんだか新興宗教のようではないか。先に、感情移入しがたいと書いたが、このことと関係が深い気はする。

2007年10月23日

デッドアイ・ディック (Deadeye Dick)

デッドアイ・ディック (ハヤカワ文庫SF)
カート ヴォネガット Kurt Vonnegut 浅倉 久志
4150112193

すんません。またヴォネガットです。今年の春にヴォネガットが亡くなってから、折々に読み返しているのだけれど、まとめて読むと非常におもしろい。

「デッドアイ・ディック」の主役はルディ・ウォールツではない。銃であり、ドラッグであり、中性子爆弾であり、人々の偏見だ。これらがたくみに物語の中で影響を及ぼしてくる。その主役たちの 周りで、へんてこなダンスを踊らされているのがルディであり、ルディの父であり、母であり、兄であり、ドウェイン・フーヴァーとその妻だ。途中途中にさし挟まれるレシピ、これがまたいい。そして、人生は演劇だ、ときどき台本までもが登場する。

「デッドアイ・ディック」は「ジェイルバード」のあと、1982年に書かれた小説で、名前から「ジュニア」が取れた『近年の作品』の範疇に入るのではないかと思うが、「デッドアイ・ディック」のヴォネガットはとにかく調子がいい。油が乗っている。職人芸だ。上手い。翻訳もすこぶる調子がいい。コトバが血肉になっている印象すらある。あとがきを読めば、どのくらい調子がいいかがさらに伺える。いいタイミングで訳されたと思う。

どの世界にも原理主義者って言うひとたちがいて、Genesisならピーガブが脱退する前までしか認めないとか、そんな類の主義なんだけど、ヴォネガットもご多分に漏れず、「猫のゆりかご」や「タイタンの妖女」の評価がめっぽう高い。しかし、わたしは職人の熟練した腕で生み出された作品がものすごく好きだ。わたしにとっての最初のヴォネガットは「スローターハウス5」で、何度も読んだ本だし、おそらく一番好きな本は?と問われれば、これを指すだろう。けれど、ほんとうにそうだろうか、とふと思う。ヴォネガットのよさは、熟練の妙味だ。これがなければ、すべてのヴォネガットを読み続けることなんてなかった。その妙味のある作品といえば、70年代後期~80年代に生まれた作品群にあたるのではなかろうか。

それにしても、「チャンピオンたちの朝食」は、もしかしたら「猫のゆりかご」以上にヴォネガットにとって重要な1冊なのではないかと思った。「チャンピオン」と「青ひげ」、「デッドアイ・ディック」は三兄弟のような作品だ。こんな本が読めて嬉しい。当時のわたしはどこを読んで何を考えていたのだろう。もっと読まれていい一冊だと改めて思う。

2008年9月 4日

追憶のハルマゲドン(Armageddon in Retrospect And Other New And Unpublished writings on War and Peace)

追憶のハルマゲドン
カート・ヴォネガット 浅倉 久志・訳
4152089474

ヴォネガット没後一周年を記念して出版された未発表短編集を中心に編まれた本。序文は長男のマーク・ヴォネガットによるもので、これがすこぶるよい文章で、ほんとに泣ける。身内だから書ける追悼文だと思った。ヴォネガットのすばらしさを再認識できた。

収録されている短編集の大半は、第二次世界大戦をモチーフにしたものである。ヴォネガットのエッセイで戦争について語られている本を読んでいたせいか、ちょっと身構えていたが、収録されている作品はユーモアにあふれ、爽やかさすら感じられた。人を描くことに力を注いだヴォネガットならではの着眼点だと思った。

中には、ヴォネガットにしては珍しくミステリタッチの作品がある。「サミー、おまえとおれだけだ」がそれで、これまで発表されたヴォネガットの小説の中でかなり珍しいタッチだと思う。言ってみれば倒叙法か。最初に結末を描くことを信条としたヴォネガットらしい。

唯一、戦争に関係のない作品が表題作であるが、これがどうして未発表だったかと驚いた。というのは、実を言うと、短編ではなかなかヴォネガットらしさを味わうことが難しいのだが、この短いお話の中にはそれがある。読後感はまさにヴォネガット。なぜこれを表題作にもってきたのか、判ったような気がする。

それから、これだけは言っておかなくては。やはりヴォネガットは浅倉久志訳でなくては。今回、つくづく思った。優しさとアイロニーが表裏一体になっているこの語り口こそ、わたしが知っているヴォネガットだから。

お帰りなさい、ヴォネガット。また会えて嬉しいかったです。ほんとうに、ありがとう。R.I.P.

2010年2月28日

さよならハッピー・バースデー(Happy Birthday, Wanda June)

さよならハッピー・バースディ
カート・ヴォネガット 浅倉 久志:訳
Happy Birthday, Wanda June

この本の前書きがすごく好きだ。1時間半くらいの上映時間の戯曲だろうか。ヴォネガット小説の持つ濃密な体験はそこにはないが、他の作家では決して書けないような価値観にあふれている。復刊を願っています。

2010年8月28日

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた(Tales of the Quintana Roo)

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた (ハヤカワ文庫 FT)
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア  浅倉 久志
4150203733

不思議な話だった。そのまま読めば、ユカタン半島のキンタナ・ロー州でおきた、ちょっと不思議なものがたり、で片付きそうなものであるが、ティプトリーに よるマヤ族に関する前書きと、後書きの解説から、物語に隠された意味を示唆されているように感じた。マヤの知識がないとわからないことなのかもしれない。
 

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