星新一 一〇〇一話をつくった人
最相 葉月

久しぶりの更新。個展もようやく終わって、書くべき本が結構溜まっているが、少しずつ書いていこうと思う。ということで、再開第一弾は「星新一 一〇〇一話をつくった人」である。
厚い本ではあるが、ぐいぐい引き込む力があり、一気に読んでしまう人も少なくないと思う。取材は多岐にわたり、ええっ、こんな人まで!?と驚きながらページをめくった。ノンフィクションの面白さを十二分に堪能できる。
それにしても「星新一」。日本人ならこの名を知らない人は、あまりいないのではなかろうか。本を読まない人でも、一つ二つはショートショートを読んだことがあるのでは。たとえ記憶から滑り落ちてしまったとしても。それほどの「巨人」であるのに、星新一の執筆期間が想像よりも短いことにまず驚いた。ピークを超えた新一の「書けなくなってゆく様」は、もう切なくてたまらない。
すっごい個人的なことになるけれど、たまたまこの本を読んでいたときに、スパークスのライブ中継を連日見ていた。1971年の「Halfnelson」から、今年出たばかりの「Exotic Creatures of the Deep」までの21枚のアルバムを、一夜一枚の割で全曲演奏する、というものすごいイベントだった。今年でロン・メイルは還暦を迎える。新作を通しで聴いたのは、ライブでの公演が初めてだったけれど、正直言って還暦を迎える人が作るような音ではないと思った。弟のラッセルも今年55歳になる。21世紀に入ってから出たアルバムの方向転換振りは驚異的ですらある。
一方、星新一である。「ショートショートは40を過ぎてから書くものではない」と言う。一作一作を、身を削りながら孤独に書き続けてきた。それはわかる。わかるけれど、それにしても、ああ、老いるのが早過ぎないだろうか。孤独な作業は、そこまで心身ともに削ってしまうものなのか。スパークスのライブを見ながら(比較することではないのかもしれないけれど)、ぼんやりと星新一のことをわたしは思っていた。
星新一が生まれ育つのに、江戸川乱歩の存在がかくも大きいことにも驚いた。「探偵小説四十年」で新一に関する記述ってあったかしら?(星新一は、探偵作家ではないので仕方がないのかもしれない)
乱歩は近代日本文学の父だ。乱歩がいなかったら、ミステリはおろか、SFすら生まれなかったのかもしれない。そして、もう一人のSFの父・矢野徹の存在も忘れがたい。あとがきで、取材の申し込みの手紙を出した日に、訃報を受け取ったとあった。なんということだろう。矢野徹がいなかったら、これまた日本にSFは根付かなかったかもしれない。星製薬の衰退の様子からシフトするかのように、SFが日本に根付いてゆく過程が描かれており、大変鮮やかに感じた。SFマガジンの周辺は、綺羅星のごとく。黎明期とは、まぶしい光を放つものなんだ。
だからかもしれない、かえって新一の晩年の描写が弱いと感じたのは。物事は、常に相反する事柄がある。とはいえ、新一の作品に対する評価が、特に晩年については揺らぎすぎていて、読んでいて不安になった。ここは、最相氏の主観で良いので、がっちりとまとめてほしかった。ラスト間際の、編集者の名前と年齢を、カウントダウンのように列挙してゆく描写は鳥肌が立った。この演出、まるで映画のようだった。
あとは、細かいことになるけれど、いくつかの明らかな誤字や、間違って使われている語句などが、ちらちらと目に付いた。この手の本を読者はスピードを持って読んでいる。そこに、記述の明らかな間違いがあると、読者はつまづいてしまう。刷りをこれだけ重ねている本なので、どこかのタイミングで直していただきたいと思った。直ってるかもしれないけど。
......なんだか長くなったなぁ。面白い本だということは間違いがないので、オススメ。