2010年3月12日
浅倉久志先生のこと。
浅倉久志先生の訃報からひと月近く経って、その間何をしていたかというと、まさに不幸中の幸いとばかり、仕事の締め切りが連日あり、作画に追われていたり、3月5日には徳間三賞のパーティーとその前にSF作家クラブの総会があったり、また、企画が動いてその資料を作っていたり、別件でサンプルイラストを描いていたりと、実に充実していた。けれど、心にぽっかり穴が空いてしまったような状態に陥っていたのは本当で、しばらく本棚に近づくのがいやだった。
個展の準備に忙殺される前に(すでに忙殺の段階には入っているけれど)、浅倉先生のことを書いておこうと思う。
さっき、「しばらく本棚に近づくのがいやだった」と書いたが、わたしの翻訳文学好きは浅倉久志仕込みであると言っても過言ではない。読了した本は、あふれかえる前にケースに詰めて、納戸にしまっておくのだが、気に入っている本や再読したいモノは書棚の一番いい場所に陳列しておく。そこに並ぶ翻訳本の内、三分の一くらいは訳者に「浅倉久志」と銘打たれている。エッセイ集が国書刊行会から出たときは嬉しくて嬉しくて小躍りした。今もリビングの書棚には、これらの本が一番いい場所に納まっていて、いつでも手に取ることが出来るようになっている。
わたしが初めて「浅倉訳」に出会ったのはカート・ヴォネガットの「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」。「スローターハウス5」で受けた衝撃そのままに、二冊目のヴォネガットとして選んだのがローズウォーターさんだった。そして『訳者あとがき』の穏やかな文章にすっかり魅了された。読後感を損なわない暖かな幕引きのコトバを、おそらく本文以上に何度も繰り返し読んだと思う。その次は「ジェイルバード」だったはず。伊藤典夫さんの名訳「猫のゆりかご」は、白状してしまうと、他のヴォネガット作品をある程度揃えてから手にしたのだ。ずっとずっと後になったその理由は「訳者が違うから」であった。当時19歳。なんとまあ。「スローターハウス5」であんなに感動したくせに……。(ちなみにこの頃は夢野久作をはじめとする探偵小説にもはまっていた。久作とヴォネガット……なんという取り合わせだろう)
ヴォネガットにすっかりはまった頃、文庫で「九百人のお祖母さん」が出た。わぁ、浅倉久志訳だぁー!と、迷わず手に取った。書店でお祖母さんのポップがゆらゆら揺らめいていた様子を今もハッキリ思い出せる。しかし、勇んで手に取ったのはいいが、当時のわたしにはラファティの良さがさっぱりわからなくて、実はギブアップした。ちなみにラファティの面白さに目覚めたのは二十一世紀に入ってから。なにやってんだか一体。それでも、「翻訳物なら浅倉印」というのが翻訳文学を選ぶ際の基準になっていたのは、ずっとずっと変わらなかった。なんだかわからないけど、とにかく安心して読めたのだ。ヴォネガット、ディック、ティプトリー、それから初めて聞く名前の作者による短編集……。彼らの傍には、いつもの『訳者あとがき』があった。
2007年にヴォネガット逝去のニュースが飛び込んできて、わたしは一度もヴォネガットにファンレターを書かなかったことを後悔した。「大切なことを沢山教えて貰いました、ありがとう」となぜ伝えなかったんだろう。本当にそのことを悔やんだ。そうこうしているうちに、ヴォネガットの最後の著書(エッセイ集)がハヤカワでない版元から出るというニュースが。しかも、訳者が浅倉久志訳でも伊藤典夫訳でもないという。どうなっているんだ!?と、発売されるや否や購入、帰りの電車で読み始めた。……何かが違う。書いてある内容は「タイムクエイク」とかなりかぶっている。なのに。何が違うのかわからない、けれども、いつものようにヴォネガットの世界に飛び込めない。
ヴォネガットに手紙を出せなくて後悔したことを思った。こんな形でヴォネガットを読むのではなく、ちゃんといつものように読みたい。そう思って、わたしは早川書房に手紙を出した。(この頃はまだハヤカワとのつきあいはなかった)。「浅倉久志さんの訳で出してください」と。数日後、早川書房からは丁寧なハガキが届いた。無理です、と。当たり前だ。
その数日後、丁寧な筆跡の封書が届いた。差出人に「浅倉久志」とあった。腰が抜けそうなくらい驚いた。返事を下さいとは書かなかったのに。本物!?えー!!!本当に驚いた。そして、その手紙には、ファンレターを貰ったのがとても久しぶりで感激したこと、あの本についてはやはり無理でしょう、ということが書かれていた。これがきっかけで、浅倉先生と手紙をやりとりするようになった。
そして、横浜で開催されたワールドコンで浅倉先生にサインを頂いて感激の対面を果たしたのだけど(この辺の顛末は当時のブログ「ワールドコンに行ってきた」参照)、やはりワールドコンで巽孝之教授と知り合うきっかけが生まれたり、その後にSFマガジンでお仕事をさせて頂いたり、SF界に徐々に縁がつながっていった。そしてSF作家クラブに入会したり(これは巽先生のお力添えが大)、周辺でいろいろあったのだけど、節目節目で浅倉先生にはいつもお世話になった。わたしが2009年のSFマガジンの読者賞(イラストレーター部門)を頂いたとき、真っ先に祝辞をくださったのは浅倉先生だった。また、二年前の個展にも足を運んでくださって、その場に居合わせたお客さんみんなが直立不動になってしまったのを思い出す。そして、わたしが好きそうな翻訳が出るたび、浅倉先生は一冊送って下さった。特に2008年は出版が多く、月に三冊出たときには「さすがにばてました」と「訳者謹呈」の札に書かれてあった。わたしが最後にいただいたのは、ヴォネガットの「お日さま お月さま お星さま」だった。イブに届いたその本には、クリスマスカードが添えられていた。
浅倉先生にとってわたしはファンの延長のちっぽけな存在だ。それなのに、そんなわたしにもすごく優しく、真摯に接してくださった。本当に大きな存在だった。もう新訳が読めないなんて信じられない……。改めて、追悼の意を捧げたい。読者としては人生の半分以上お世話になり、知人としては二年半もの間お世話になり、ありがとうございました。どうかゆっくりお休み下さい。
余談。
浅倉先生逝去の報の後、しばらく他の本が読めなくなって、ヴォネガットをパラパラと読み返していた。が、ホントはそんなことしている時間はない。個展の準備が大幅に遅れているのだ。そこで、個展の題材にヴォネガットを一つ選ぶつもりだったので、モチーフを探すという理由で読もう、と自分自身を納得させ、「追憶のハルマゲドン」を再読した。なかなか短編でいつものヴォネガット節を堪能することは難しいのだけど、これは珍しく「いつもの調子」が発揮された短編作品で、以前大絶賛したことがある。今回読み返してみて、改めてこれはすごいぞと思った。ヴォネガットというプールにどぼんと飛び込んで、クロール、バタフライ、平泳ぎ……なんでもござれ! そんな感覚は、やはりヴォネガットならではだ。そしてそれは「浅倉久志訳」でなくては味わえない醍醐味なんだろう。ヴォネガットを読み終えるのがいつも惜しいのは、きっとそういう理由なんだ。なんと幸せな読書体験だろう!
投稿者 YOUCHAN : 21:59 | コメント (2) Tweet
2009年5月11日
キヨシロー
キヨシが死んだニュースはなんだかすごく衝撃的で、みんなガーンってなってた。泣いた人も一杯いた。日記にみんな書いてた。9日の葬儀に行った人もいた。
わたしも高校生の頃はいっぱいRCを聴いた。でも、アルバムは一枚も持ってなかった。一番仲の良かったあの子がみんな持ってたから、テープにダビングしてくれた。すごいファンの人を差し置いてレコード買うのってなんだかはばかったんだ。そんな気がする。
高校を出た後も、RCはずっと聴いてたけど、「スペードのエース」くらいでちょっと合わないなって思うようになって、それ以来疎遠になってしまった。けど、キヨシローがTVに出てたりしたら、あっ、キヨシだ、って思って、用事をしていた手を止めて見入った。何年か前に出たライブDVDも買って、あーカッコイイねぇなんてNORIちゃんと言ってたんだ。
2年前、クロッパーとCD作ったときのドキュメント番組は、すごくすごくかっこよくて、あー、キヨシすげぇってホント思った。CDスグに買えば良かった。Amazonでぽちっとすりゃよかった。
なんかね、キヨシのこと思い出すと、気になってるのに後回しにしちゃって疎遠になってしまったコトへの取り返しのつかないような後悔ばっかりだ。こんなへなちょこファンが書くことじゃないけど、キヨシロー、死んですごくショックだった。信じられなかった。いつでも聴けるような気がしてた。
10代の時、一番たくさんステージをみたのが、RCサクセションだったからだ。
キヨシロー!
投稿者 YOUCHAN : 01:02 | コメント (2) Tweet
2009年1月24日
スキップしたい
仕事も押しているので、ホント言うと浮かれている場合ではないのだけど、年始から情報が錯綜していたSparks来日の詳細が正式に発表されて、わたしを含めて(ごくごく限られた)わたしの周囲は色めき立った。チケットをどうするか、スタンディングか着席か、大阪どうするよ、東京は二日ともか、その他いろいろ、とにかく落ち着かない! メイル兄弟の人気が日本で高まっているのだろうか、それともそれはごくごく限られた身内だけの話なんだろうか、東京2daysはそもそも会場埋まるのか、いや、それどころかチケット争奪戦になるのでは、などなどといった心配(?)が駆け巡った。言えることは、2006年の来日公演と、去年のフジがよかったから、みんな興奮している。しかも今年は前座がない! うっ、嬉しい!!
と、興奮冷めやらぬ中、一時Sparksの公式サイトから来日公演の日程が下げられたときに、ちょっとこれは落ち着かなくては、と思い、ずっと懸案だったライブDVDの「Dee Vee Dee」を買うことにした。Sparksファンの友人がUKのAmazonで買って、思ったより早く来たとか、内容が良かった話をしてたので、思い立った。というのも、コレ、PALしかないのだ。日本で買うのはムリで、海外から買うしかなかったので、うだうだしていた。でもPALならPCで見られるし、それにいつまでもうだうだしてても仕方がないから、もういいよ、買うべーと思ってUKの密林に行ったら、あれー!?売り切れてるじゃん!! USも売り切れ。これは困った。どうしようか、と思ったときに見たのが本家、Sparks Mart。
素っ気ないほどのインターフェイスと安い送料($5)に不安を覚えながら、まぁ長々放置しておいたんだから、いつ来たっていいやーと思い、ぽちっとした。NORIからは「船便じゃない?だったら下手したら三ヶ月後とかになるかもよ」と言われるも、もーいーよと思った。それが先週の金曜日のこと。
注文して実は結構スグにこのことは忘れていたのだけど、昨日ポストに封筒が入っていた。なんか買ったっけ?と取り出してみたら、あらー、DVD!? びっくりした。一週間で届いたよ、Dee Vee Deeが!偉いぞ、Sparks Mart!!
仕事を終えて夜に見だしたら、もの凄くいいライブ過ぎて、やばいなと思った。2006年に見たSparksの来日公演とほぼ同じ構成で、こんなスゴイモノを結構間近で生で見れて、途方もないほどの幸せモノだったなぁわたしって、と感動した。気持ちを落ち着かせるためにDVD買ったのに、却って火をつけてしまった。どーしよう。チケット来るまで落ち着かないよ(ってまだ買っても居ませんが)。

と、とここまで書いて、ふと思い出した。27日はデヴィッド・バーン(写真)の来日公演に行くんだった。バーンだって相当好きなミュージシャンなのに、遙か先の4月のことが気になって仕方ないのは、4月と今とでは状況に差がありすぎるからだと思う。
4月は、前半にミレージャ・ギャラリー(銀座)のグループ展「ベストアーチスト展」に参加予定で、後半はFIELD(大手町)のグループ展「ムーンライダーズ・トリビュート展」に参加予定(※)なんだけど、Sparksの来日が個人的に忙しい状態の時なので、その不安もあって非常に心配な気持ちでいる。どっちにしても、作品は展示までには描き上がっているはずなので、体調さえ壊さなければ万事オーケーなはずだ。一足飛びで来日の当日になればいいのに。時間がスキップしてほしい(ただしスキップした間に仕事と作品の制作両方がちゃんと完了していることが大前提)、と本気で思う。特に仕事は進めているからまだしも、他の準備が全く手つかずなのに、どんどこ予定だけが埋まってゆくのは怖い。待ち望んだ来日日程とこんなに予定が被るとは。贅沢な悩みだったと後から振り返って思えれば良いな。という気持ちの一月。
※展示の詳細は近くなったら正式に告知します。どちらも新作を描く予定なのですが、特に2月が忙しいので、描く時間があるのかちょっと不安。が、がんばります。
投稿者 YOUCHAN : 23:53 | コメント (0) Tweet
2008年12月30日
SはSFのS
Sparksのことを書いたらスグにこのエントリーも書こうと思っていたのに、仕事机周りを片付けだしたら全然終わらなかった。しかもまだ片付いてないし。年内に片付くのは無理かもしれない。とほほ。ということで、今年の個展のテーマだったSF。元々、カート・ヴォネガットが好きで、そのヴォネガットが亡くなったのが2007年。追悼の意味も込め、今年の個展をSFにしようと思い立った。これまでは、そんなにSFを読んではいなかったけれど、一昨年に読んだ浅倉久志先生の「ぼくがカンガルーに出会ったころ」が契機となって、どの作家を攻めていったらよいかの目星がついたのがラッキーだった。そして、ちょうどよいタイミングで発売された河出書房新社の「奇想コレクション」や、国書刊行会「未来の文学」シリーズの存在がとても大きかった。
それまで、「ヴォネガットはハヤカワから出てはいるけどSFではない」とずっと信じていた。だけど、スタージョンやディヴィッドスンを読んで、その認識が180度転換してしまった。あの発想、あの切り口、あの展開をSFと呼ばずしてなにをSFと呼ぶだろう。宇宙船が出てきたり、ヒロインが出てくるだけがSFではない。例えば、広瀬正「マイナス・ゼロ」のように、ミステリの持ち味を十二分に発揮したSFの存在だって忘れがたい。この間口の広さがとてもいいと思った。気づくのが遅すぎたけど、気づけてよかったなぁと本当に思った。
個展に話を戻すが、2006年に開催した個展でも小説をモチーフにしていた。けれど、ジャンルがまちまちで、ターゲットがよく絞れていなかったように思う。今回はSFに絞って、しかもわたしの嗜好に偏ったセレクションになったが、却って目指す方向性がはっきりできたようにも思う。絵そのものよりも、チョイスした小説をほめられることもあった。それはまたそれで嬉しかったりする。
また、今年は早川書房さんとお仕事させてもらえる機会を初めて得たことが、本当に大きかった。今年は2回描かせていただき、1回目はS-Fマガジン 2008年8月号「SFマガジンギャラリー」の掲載だった。2色刷りの5ページ展開で、その号の特集テーマにあったイラストレーターをチョイスされている、と伺った。わたしが描かせていただいた号は「スプロール・フィクション」特集で、わたしの世界観に合うからということらしかった。編集部の方々がわたしの作品の方向性をよく理解してくださっているのが実にありがたかった。また、修正依頼にしても、どういう意図でこういう絵にしたかを説明すると、その主張をとても大切にしてくださったのに驚いた。普段、有無を言わせぬ修正変更が当たり前になっていて、こういう感覚がとても久しぶりだったので、いたく感激したことを思い出す。あの感動はなかなかない。「SFマガジンギャラリー」は残念ながら12月号で終わってしまったので、滑り込みセーフで機会を頂戴したことに感謝している。
2回目はS-Fマガジン 2008年12月号 「ファンタジー小特集」の1編、キジ・ジョンスン著の「<変化(チェンジ)>後の北公園犬集団におけるトリックスター伝承の発展」の挿絵。犬をたくさん描いた。原稿を読んで、イメージを形にする。「本を読むのを仕事にする」をちょびっとかじったような、とても楽しい体験だった。小説が好きなんだなぁと改めて思う。雑誌に絵が載ることはそんなに大げさなことではないし、イラストレーターなら何らかの形で関わっていることではあるけれど、大事にしているSFの世界に、ちょっとだけでも関われたことが本当に幸せだと思ったし、明日につなげて行ければ......と思う。
さらには、第20回SFマガジン読者賞のイラストレーター部門を頂き、たいへん驚いた。これは、読者投票によって選ばれるもので、歴代の受賞者を見るとそうそうたる方々のお名前がある。わたし自身は、今年に入ってから、ようやく読者の方々にお目見えすることが叶ったような、いわば「新人」のようなもの。特に読者層の意識の高さはSFマガジンは群を抜いている。この受賞は、どんな賞よりも嬉しいと本当に思った。改めまして、ありがとうございました。来年2009年は、この世界がさらに広がればとてもとても嬉しい。そのためにも、来年もたくさんよい本を読んで、いい作家さんのいい作品に出会っていけたら、最高に幸せだと思う。
投稿者 YOUCHAN : 18:18 | コメント (0) Tweet
2008年12月28日
SはSparksのS
今年を振り返って、大きく二つの柱があったように思う。一つは、仕事の方向性で、SFへの関わりが少しだけどできてきたことと、もう一つは音楽の趣味についてで、Sparksがすごかったこと。この「二つのS」について、2008年を振り返る意味も込めて記録しておこうと思う。まずはSparksのこと。
Sparksはアメリカのバンドの名前で、わたしはただの一ファンなだけであるし、当然知り合いでもなければ、今年の来日公演を見に行けたわけでもない(仕事とバッティングしててフジロックに行けませんでした)。春頃、Sparksの21枚目のオリジナルアルバムのワールドプレミア公演をクライマックスに、それまでリリースしたアルバム全部がライブ公演されるというニュースが飛び込んできた。「21x21 Live」などと呼ばれ、場所はロンドンで、一夜一枚の割合で、3日くらい毎日公演して一日休みのペースで、ほぼ丸一ヶ月くらいかけてのライブ、ということだった。
そのライブの詳細が発表され、ロンドンっ子がうらやましい!と、mixiのSparksコミュのメンバーと共にため息をついた。そしたらなんと!そのライブの模様がインターネット生中継されることが判明した。ロンドンはその時期サマータイム、夜九時からスタートのライブは日本では朝の五時である。
ちょうどわたしは個展の準備の真っ最中の時期で、あまり個展以外に力を割く気がなかったので、朝起きるにしても寝る前であっても、さすがに朝の五時は無理だろうと思っていた。コミュのメンバーの中には、初日から中継を見た人もちらほらいた。すごいエネルギーだなぁと思っていた。
そんな折り、5月16日の夜は仕事が長引き、寝る時間が五時前になってしまった。せっかくだし、と思い、2夜目の「A Woofer In Tweeter's Clothing」の公演を見てから寝ようと思った。まぁ眠くなったら寝ればいいや、程度に思っていたが、ああ、それがまさしく運の尽き。
......どえらいものを朝っぱらから見てしまった。コレを見逃すことは大きな損失と気がついたわたしは、翌日からは毎朝五時前に起きることにし、結局その習慣を身につけてしまったのだった。ライブの期間だけだったけど。そして、ライブの日を追うごとに、コミュニティーでは「見てます」という書き込みが徐々に増えていった。該当するスレッドは、中継が始まる15分前くらいからチャットのような盛り上がりを見せ、期待や感想をみんなが書き込んでいった。わたし自身もコミュの常連になっていき、見知らぬ人同士、だんだん仲良くなっていった。
わたしはライブの様子をキャプチャーツールで画を取り込み、フォトアルバムにして「全体に公開」にした。ほかのメンバーにもキャプチャーをとる人がいて、フォトアルバムを一緒に作り合った。撮り損なったシーンをお互い補完する意味もあった、と思っている。それまで公開範囲を「友人まで公開」にしていた日記を「全体に公開」にまで広げた。マイミクさんでないコミュのメンバーがコメントを残せるように、あるいは閲覧できるように、と思ってのことだった。当然、日記の内容も、個展の準備のことと、Sparksの中継のことが交錯していた。
ライブのすばらしさは言うに及ばずで、そのときのことはブログにも残してあったけど、今思うとコミュニティの存在が大きかったことを強く感じる。さすがに一ヶ月近く毎朝ライブを見ることは大変で、ライブは楽しいのだけれど、疲れもたまっていった。個展もあったし、平日は普通に仕事もあった。それでも続けて見ることができたのは、コミュの存在だったと思っている。
音楽のすばらしさや臨場感をリアルタイムで語り合うこと。学生時代、周囲に同じような音楽を聴く友達がほとんどいなかったため、一人で音楽を聴いていた。しかし本当は、誰かと音楽を語り合いたかったんだと思う。YMOファンの文通仲間と盛り上がっていたのが唯一の楽しみだったが、地方に住んでいたので、なかなかライブにも行けなかった。だんだん音楽から疎遠になっていったのは仕方がないことだったと思う。
それを大人になってから、インターネットという場所を介して体験できたことはとても喜ばしいことだった。21x21のライブが終わって、しばらくわたしたちは放心した。寂しかった。ロンとラッセルに毎日会えなくなったことがまず何より寂しかった。わたしたちは、大好きなSparksをネタにして笑い合い、感動し、時には中継の途切れにやきもきした。ラッセルの歌の力に圧倒され、ロンの存在感に目が釘付けとなった。ついにはロンドンまで飛んでいったコミュのメンバーもいた。彼女の勇姿をライブカメラで見たときのあの感動。いったいあれはなんだったんだろう。眠いのをこらえてがんばってるお互いを励まし合う。寝ればいいのに、ばかだねわたしたち、なんて笑い合いながら。一日一時間そこそこの体験の中に、いろいろなことが起きた。音楽を、ライブを中継で見る、たったこれだけのできごと。これが終わったことが寂しかったのだ。
「あの一ヶ月は、まるで夏休みの強化合宿みたいだった」と例えた人がいた。まったくもって同感だった。21枚ものアルバムを完全に再現し、毎日ステージに立ったロンとラッセルに深い愛着を覚えたのは、この「強化合宿」の体験があったからだと思う。音楽はすばらしい。そして、音楽を通じて交流し合う友の存在もまたすばらしいのだと実感した。
投稿者 YOUCHAN : 01:33 | コメント (2) Tweet
2008年4月27日
長野で起こったこと
昨日の聖火リレーで起きた一連の「騒動」は、TVを観ているだけでは、まるでチベットサポーターが聖火リレーを妨害しているとしか見えませんでしたが、それ以上に不思議だったのが、ここは日本なの?なぜ真っ赤な旗ばかりなの?ということでした。
まず断っておきますが、わたしは反中ではありません。中国人の友人もいます。中華料理も好きです。中国と日本は、経済的にも相互助け合っているパートナーであるべきだと信じています。
それから、反五輪でもありません。北京五輪のために、どれだけの労苦を選手が積み重ねてきたことか。それとこれとは別物です。別物ですが、このタイミングでチベット問題が浮き彫りになったのは、それだけ中国に世界の注目が集まっているからに他なりません。わたしの中では「切り離して考えたい」のですが、キレイごとでは済まされない状況である、ということも承知しています。
話がそれましたが、わたしは、中国政府に、民族浄化を辞めてほしい、信仰の自由を認めるべきだと思っているだけです。情報操作をしている中国の政府に憤りをも感じていました。
ところが、それと変わらない、いえ、ヘタしたらそれ以上に日本がひどい状態だということを、mixiのある方の日記から知ることが出来ました。mixiでは動画もあがっていました。日本のマスコミは、日本の警察は、日本人の尊厳を踏みにじっていることがわかります。長文ですが、ご一読ください。
世界最低の国、日本 (アリ@FreeTibetさんのmixi日記より転載)
聖火リレー、行ってきました。
まず皆さんにお願い。
この日記を転載、リンクして頂いてかまいません。
動画3つまでしか載せれないため、
動画ありと書かれたものは僕のメインページの動画にあります。
(※mixiでは動画が載っています。YouTubeではないため、転載できません--引用者注)
4/26日を振り返ります。
早朝、善光寺へ向かった。
Mちん、Tさん、F君、Yちゃんと5人で。
町には何台もの大型バスが乗り入れ、中国人が降りてくる。
僕らがそれぞれ旗を作り、プラカードを作り、前日からカラオケボックスで寝ていたのに対し、
彼らは中国大使館から支給された巨大な旗と、チャーターバスで堂々登場した。
善光寺参拝が終わり、街中へ。
とりあえず聖火リレー出発地点へ向かった。
ここで日本とは思えない景色を目にした。
出発地点に、中国の旗を持った人は入場できるが、チベットの旗を持った人は入れない。
警察の言い分。
「危険だから」
じゃあ、何で中国人はいいんだ?
「......ご協力お願いします。」
は?
それやらせじゃん。
中国国旗しかない沿道って、警察が作ってるんじゃん。
この後TBSの取材が来た。
チベットサポーターの1人が、
「日中記者交換協定があるから映せないのか?」とアナウンサーに聞いた。
アナウンサーは「は?勝手に叫んでれば?」
と吐き捨てて消えた。
街中に行くとどこに行ってもFREETIBETと叫んでいる。
そこに中国人が押し寄せ、罵声を浴びせてくる。
交差点で中国人と僕らが入り乱れた。
突然Mちゃんが顔面を殴られた。
僕は殴った中国人のババアを捕まえて、目の前の警察に言った。
「こいつ殴ったぞ!!」
警察は何もしなかった。
ババアが俺の手を噛んだ。手から血が出た。
警察と目が合った。
警察は何もしなかった。
ババアが僕の顔面を殴ってきた。
周りのチベットーサポーターが、
「おい、警察、現行犯だろ、捕まえろよ!!!!」
と言ったのに、
警察は何もしなかった。
これが抗議活動中じゃなかったら、普通にブチ切れて乱闘になってる。
でも非暴力を貫く為、ひたすら耐えた。
Mちゃんが1日かけて一生懸命書いたプラカードを、
中国人が叩き落とした。
拾おうとするMちゃん。踏みつける中国人。
「おい、てめー何やってんだよ!」と制止に入った。
2mくらいの距離に警察がいたが、何もしなかった。
街中いたるところで抗議合戦。
救急車が来たり大騒ぎ。
僕らはひたすら抗議活動をした。
(動画あり)
雨が降ってきた。
それでも誰も抗議を辞めなかった。
中国人がかたまってる交差点を、
Tさんと旗を振りながら渡った。
沿道の中国人は蹴りを入れてくる。
とても沿道に入れず、車道を歩いていた。
警察が来て言った。
「早く沿道に入りなさい!!」
は?今入ったらボコられるじゃん。
なんで日本人の安全を守ってくれないの?
「じゃあ、あいつらに蹴りいれるの辞めさせろよ!!」と僕は叫んだ。
警察は「ご協力お願いします」と言った。
雨の中、聖火リレーのゴール地点へ向かった。
何故か中国人とチベットサポーターに分けられた。
警察は、「後で聖火の方に誘導するから。」と言った。
嘘だった。
ゴールの公園の外の何も無いスペースにチベットサポーターは閉じ込められた。
聖火なんか、どこにもなかった。
目の前には警察が何十人も取り囲んでいた。
こんな場所じゃ、声すら届かない。
数百人のチベットサポーターは、泣きながら警察に向かって叫ぶだけだった。
国境無き記者団もこちら側に来させられていた。
代表がマスコミのインタビューに答えていた。
(裏から撮影した動画あり)
聖火リレーがいつ終わったのかも分からないまま、
土砂降りの中僕らは叫び続けた。
この声を、伝えることすら出来ないのかと思ったら涙が溢れてきた。
MちゃんもF君も泣いていた。
こんなのってあんまりだ。
せめて伝えて欲しいだけなのに。
この叫びを聞いていたのは目の前に並んだ警察だけだった。
チベット人の代表が弾圧の現状を訴えた。
涙が止まらなかった。
内モンゴルの代表が弾圧の現状を訴えた。
涙がとまらなかった。
伝えたい。ただ伝えたいだけなのに、国家権力によって封殺された。
悔しい。悔しい。
日本は最低な国だ。
平和だ、人権だと騒ぐ割には、
中国の圧力に負けて平気でこういう事をする。
警察を使って。
帰りに携帯でニュースを見た。
「聖火リレーは無事終了。沿道は大歓迎ムード。」
「聖火リレーで日本人5人逮捕。中国人留学生に怪我。」
僕は愕然とした。
この国のマスコミは終わったと感じた。
あの怒号は、
僕らが受けた痛みは、
彼らの悲痛な叫びは、
どこに反映されたのだろう。
警察によって意図的に中国人のみの沿道を作り、
そこをマスコミは撮影し、
中国人の暴力を黙認して、日本人を逮捕する。
これが日本のやることか?
ここは本当に日本なのか?
中国の旗を持たないと歩けない沿道って何なんだ?
この国は最低な国です。
チベット人は泣きながらありがとうと言っていたけれど、
僕は彼らに謝りたかった。
初めて日本人であることを恥じた。
帰り道、僕らは泣いた。
これが真実です。
僕は日本政府は中国以下だと思った。
弾圧にNOを言えずに、言いなりになって彼らの叫びを封殺したこの国は、もう民主主義国家ではない。
そこには言論の自由はなかった。
歩行の自由すらなかった。
中国人を除いて。
投稿者 YOUCHAN : 14:08 | コメント (0) Tweet
2008年4月15日
中国とチベットについて
チベット弾圧については、政治的なことだし小難しいので
敬遠されている向きの方も多いと思う。
正直言うと、私自身も、深くは理解していない。
しかし、知れば知るほど、これは根が深い。
ということで、先日読んだ、ヴォネガットのエッセイ
「ヴォネガット、大いに語る」から今一度引用したいと思う。
ビアフラがナイジェリアから独立運動を起こした際に失敗した。
ビアフラの人民は飢えて、そして死んでいくしかない。
ビアフラを訪問したヴォネガットは、そのときのことを
帰国した後にアメリカの聴衆に伝える。
ビアフラのために、わたしたちにできることはないかとの聴衆からの問いに
「なにもないね」とヴォネガットは答える。
あるいは、せめてもの償いに、これからもナイジェリア人を憎むべきだろうか、と。
その問いに、ヴォネガットはこう答えた。
「そうは思わない」
わたしたちができることも、おそらくそうなのだろうと思う。
チベットを弾圧することは間違っている。
しかしながら、だからといって中国人を憎むことも間違っている。
民族浄化という恐ろしい言葉が、聞かれなくなるような世界になってほしいと思う。
思うことは、それだけだ。
あとは、自分のするべきことをするだけ。
仕事をきちんとしよう。
納期を守り、関わる人に迷惑をかけないようにしよう。
請け負っている仕事が、自分のスタンスに合っているかどうか位は
せめてはじめに確認しておこう。
もうひとつ、やはりヴォネガット「タイムクエイク」から引用する。
ぜひ読んでほしい。
トラウトの物語から思いだすのは、わたしの死んだ大叔母のエマ・ヴォネガットが、
中国人は大きらいといったときのことだ。
大叔母の娘婿で、ケンタッキー州ルイヴィルで《ステュアート書店》を経営していた、
やはり故人のカーフュート・ステュアートが、彼女をたしなめた。
そんなにおおぜいの人びとを一度に憎むのは邪悪なことだ、と。
投稿者 YOUCHAN : 22:15 | コメント (2) Tweet
2008年1月27日
泣く
わたしはヴォネガットを読むと結構な確立で泣く。誰かが死んで悲しいとか、逆境に立たされてかわいそうだとか、そういうことではなくて、ヴォネガットの親切に触れたときに沁みる。それも、かなり深いところまで沁みとおる。ストーリーが思い出せなくてもずっと心に残る。20年来、ヴォネガットを飽くことなく読み続けられるのは、そういうところにあるのかなと思う。
ヴォネガットは誰にでも薦められるタイプの作家ではない。「ある出来事がおきて、誰かが巻き添えを食って、力をあわせて解決に導いてゆき、その過程において出来事の真相が明らかになる」といったお決まりの手順を全く踏んでいないからだ。最初からネタバレをしている。掴むまでに慣れを要すると思うし、嫌いな人は絶対すごく嫌いだろう。しかも、主張が一筋縄ではいかない。
たとえば、彼はいかなる戦争に対しても否定的な姿勢を断固貫いているし、広島や長崎の惨劇には非道であるというスタンスを崩さない。が、と同時に、広島や長崎に原子爆弾を落とした当事者の立場を尊重する姿勢も崩さない。この一見、矛盾ともとれる姿勢に戸惑う人は多いと思うが、わずかな違いには、しかしながら決定的に大きな差がある。戦争を、政治的な見解ではなく、市民の目線で描いているという点において。当事者になるということは、運命に翻弄され、巻き込まれることであり、政治的意図を持って動くこととはまた別の次元の話なのだ。
話は変わるが、わたしは昨日、ずっと幽霊部員状態だったSCBWIのイベントにようやく参加して、新しい友人を得た。彼らは、わたしにとってカラースであり、また拡大家族なのであろう。ヴォネガットの言葉が沁みる。その言葉は、やさしく、そして暖かい。以下に引用する。
しかし、誕生のときにもらったこんな種類のおつむのおかげで、その乱雑さはさておいて、バーナードもわたしも人工的な拡大家族の一員となって、世界のどこへ行っても、自分の身内に会うことができる。
バーナードは世界各地にいる科学者たちの兄弟、わたしは世界各地にいる作家たちの兄弟。
わたしたちふたりはこれでずいぶん愉快な思いをし、心を慰められている。いいものだ。
幸運であるともいえる。なぜなら、人間にはありったけの身内が必要だからだ---必ずしも愛でなくていい、ごくありふれた親切の贈り手や受け手が。(「スラップスティック」より)
投稿者 YOUCHAN : 19:46 | コメント (0) Tweet
2008年1月 6日
2008年になりました
今年もよろしくお願いいたします。前のエントリーでも述べておりますように、5月26日からゑいじうにて個展があります。
気合を入れなくては! そろそろかからないとなぁ~。半年、切ってしまいました。
今年は他にも、E-spaceのカレンダー展があるので、昨年よりは外に出る機会が増えると思います。
ご無沙汰している皆様、お目にかかりましょう。
今年のお正月は、1月1日の深夜、氏神様の杉山神社に初詣に行ったら
その途中でREMのお二人にばったり遭遇! ビックリビックリ。
午後は赤坂見附の豊川稲荷へ恒例の初詣に。1日に行ったのは初めてでしたが、混んでる~。
3日はズーラシアに行きました。人、多いです。なんで3が日にいったんだろう...。
休み中は、1冊本が読めただけでした。ああ、なんか悔しい。もっと読みたかったにゃぁ~。
※イラストは、阪神高速2008年カレンダーイラスト「伏見稲荷」より。
投稿者 YOUCHAN : 20:44 | コメント (0) Tweet
2007年12月31日
今年を振り返って
大みそかです。今年一番のできごとは、なんといってもヴォネガット逝去でしょう、わたし的に。つらいときにヴォネガットを読めば結構ダイジョウブになる。わたしにとってヴォネガットは特別な作家で、ファンレターを一度出してみたいと思いつつ、なんとなくモジモジ躊躇していたら、ああ、死んじゃったよ! 死んだらどうしようもないじゃないかー!そこで、わたしはヴォネガットを読み返してみた。ところが、一度は読んだことのある話のはずなのに、「わたしはいったいどこをどう読んでいたのだろう」状態だった。これまで何回も読んだ「スローターハウス5」でもその感覚があった。わたしは、ヴォネガットの本を持っているコレクターであって、読者ではなかったのだ。今年になって、ようやく読者になれたと思う。人の死から得るものもある。また、これが契機になって、SFを読みまくることになった。シオドア・スタージョン、ジーン・ウルフ、コニー・ウィリスは大きな収穫だったし、改めてヴォネガットはやっぱSFなんだなと思った。スタージョンがSFって言うなら間違いない。
趣味以外では、今年の大きな動きは、企業カレンダー2社採用かな。あいおい損保と阪神高速。片や卓上カレンダーで、片や大判壁掛けカレンダー。しかも、同じエージェントさんなんだけど、まさか2社取れるとは! ありがたいなぁと思った。なによりも実績になります。カレンダー以外にもいろいろ描かせていただいて、ご依頼くださったみなさま、本当に感謝です。ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
今年は、グループ展への参加があまりない年だった。というのも、来年に個展を控えているから。来年の個展は「第二文学山房」で、テーマはSFにすることにした。そろそろ描き始めないと間に合わないぞぉー。きゃー。
と言う感じでした。来年も、趣味と仕事を大切にしていきたいとおもいます。どうぞよいお年をお迎えください。
投稿者 YOUCHAN : 20:05 | コメント (2) Tweet
2007年12月16日
キャスティング
シンプソンズ・ザ・ムービーのキャスティングが、TV版のオリジナルではなく、タレント起用になったことはファンの間で大問題となり、「声優変更を考える会」まで発足した経緯はご存知だろうか。シンプソンズといえば、CCレモンのCM。大平透の「ドゥ~!」がものすごくツボで、一時期、ことあるごとに「ドゥ~!」を連呼したことがあった。が、ケーブルTVが見れないので、わたしはシンプソンズを観たことがない。ないのだけど、あまりにもあのCMのインパクトがすごかった。日本のシンプソンズファンはどちらかといえば熱狂的な人が多いように思われる。地上波でやってくれればなぁ~。DVDボックスも出てるみたいです。この声優問題については、わたしは直接はあまり知らなかったのだが、友人がその運動に深く関わっていることもあり、その経緯を友人の話や会のブログを通じて知り、非常に驚いた。シンプソンズファンの力というのはすごいもので、FOXサイドは、DVDにはオリジナルキャスト版を収録すると約束をした。また、FOXサイドのみならず、今回の声優交代劇をうけて、「今後はホーマー役を一切やらない」と激怒していた大平透をも動かした。シンプソンズファンがこんなにたくさんいることや、「ホーマーといえば大平透」を熱望している人がたくさんいる事実を、大平透ご自身がほとんどはじめて実感されたらしい。こういう事実にもわたしは驚いた。その声が届いたことは、今回の騒動の唯一の(しかしながら、たいへん大きな)収穫ではないかと思う。
この騒動を知って思い出すのは、ヴォネガットの「国のない男」の翻訳が浅倉久志さんではなく(伊藤典夫さんでもなく)、金原瑞人さんである事実だった。ヴォネガットといえば浅倉・伊藤両氏だと思っていた。が、当たり前だと思っていたら、それは違っていた。編集者の「従来路線を打ち破る」方針で、浅倉・伊藤ラインはパスされた格好になり、私自身はものすごいショックを受けた。従来路線を打ち破ったため、いつものヴォネガット節ではなく、個人的な本音を言えば納得できないものであった。
ただ、「国のない男」は、売れまくっている。ハヤカワだったらこうはいかなかったんじゃないだろうか。今日、書店で「国のない男」の奥付を見たら、なんと6刷りだった。20年以上ヴォネガットを読んでいるが、ヴォネガット本がこんなに長い間、平積みになっている状態を、わたしは見たことがない。何が違うのだろうか。
それは、「国のない男」がいい本だからだ。内容はモチロンだが、それだけではない。編集者の気遣いが、隅々にまで行き渡っている、いい本だからだ。そう思う。手に取ったときの重さや大きさもいい。字の大きさもいい。本当に、とてもいい本だと思う。こんな風に大切に作られている本ってあまり出会えない。そこが消費者の心の奥底に訴えてくるのだと思う。
ある日、友人から「このまえ、タイトルを忘れちゃったけど、太田光の推薦文が帯に書いてあるヴォネガットを読んだよ。初めてだったけど、凄く面白かった」とメールが来た。「その本のタイトルは「国のない男」だよ~。大切に作られてる、いい本だよね」と返事をすると、「ああ、よかった!いい本だったんだ」とさらにお返事をいただいた。そして、ヴォネガットに興味を持ってもらった。次に読むなら、これこれがいいよ。楽しんでね。そう伝えることができた。
キャスティングについてはいろんな思惑があるし、古参のファンにはいつも享受されている環境がいつまでも保障されているなんてことはありえない。けれど、古参のファンがとる行動のために、「騒動の蚊帳の外の人」にとって、近寄りがたいものにすることは、誰のためにもならないと思う。事情があって、想像し得なかったキャスティングとなってしまったとしても、それまで仕事をしてきたベテランの味は落ちることは絶対にない。また、新キャストだってきっといい仕事をするはずだ(と思う)。もちろん、誠意のない仕打ちをする人もあるだろう。特に、今回のシンプソンズの所ジョージの発言については、ろくな評判を聞かない。が、いい仕事にしようと奔走している人は必ずいる。
いい仕事には敬意を払いたい。それが、味方を増やす近道なのだと思う。
投稿者 YOUCHAN : 21:44 | コメント (0) Tweet
2007年10月28日
10月はたそがれの国
...というのはブラッドベリの短編集のタイトルで、収録されている短編も、その挿絵もすばらしい。「10月の季語だよね」と言った友人がいた。すばらしいと思う。ブラッドベリといえば、「たんぽぽのお酒」の続編がこないだ出たらしくて、びっくり。あのおじいさん、もう80代をゆうに超えて、なおも新作を、それも何十年も前に書いた作品の続きを書くとは。こんなことって、長生きした作家だからこそなしえる業だと思う。若いときに傑作を生み出してしまうと、その後の作品への評価がほとんどなされない、ってことが多々あるけど、人は生きてこそ。積み上げてきた人生経験。その過程での出会い、決別、理不尽な思い、人の親切に触れたこと、その他いろいろなことが積みあがって、生まれる。文章であれ、音楽であれ、絵であれ、そういう過程を経たものは深い。わたしは、その深いものに触れることが好きだ。
どんな人も生きてこそだ。たとえ、具体的に生みだすものがなくっても、人と関わる事で、その人に何かを与える。だから、うんといいものにしようと心がけよう。晩年のヴォネガットは、あっちこっちのインタビューでそんなことを言ってたっけ。長編、読みたかったよ。などなど、つらつらと考えている。
投稿者 YOUCHAN : 18:58 | コメント (0) Tweet
2007年7月27日
社会への根っこ
先日、ヴォネガットの新刊「国のない男」を読了したので、
本に関する感想などなどを「書かでも」のほうに載せました
(興味があったらそちらも併せて読んでください)。
「ガラパゴスの箱舟」を読み終えたところだったので
ヴォネガット節に浸りたいと思い、エッセイ「死よりも悪い運命」を
読んでいましたが、その最中に新刊を入手。
中断してこちらを先に読みました。
「死よりも悪い運命」は、エッセイ「パームサンデー」の続編で、
おそらく位置づけとしては「国のない男」は
「死よりも」の続編と見ていいと思いますが、
年々、その怒りの度合いは増しまくってて、
最後の「国のない男」では、とにかくアメリカに怒りまくってた。
この本を読み終わって、思い出したことが。
いつだったか、「あなたは社会的なことにも関心が高くてえらいね」
みたいなことを同業者に言われたことがあった。
社会と切り離してイラストレーターという職業が、
これっぽっちでも成り立つとでも思っているのだろうか?
イラストレーターは、クライアントの意向を
一瞬の印象で受け手(消費者)に伝えることが仕事です。
極論かもしれないけど、人の一生を左右しかねない責任すらある。
わたしは、自分の信念に反するような理念を掲げる
企業や団体の仕事なんか、絶対したくないです。
社会への関心うんぬん言う以前に、わたしたちは社会に大きく
関わって生きているし、その責任がある。
わたしたちは、ヴォネガットのように
言葉を用いて、直接的に(ときには間接的に)、
間違いを間違いと指摘をし、講演をしたり文章をいろんなところに寄せたりは
(こういうブログを除いては)しない立場であるけれど、
忘れてはいけない。
わたしたちは、いつだって社会につながって生きている。
実を言うと、「死よりも悪い運命」は、ある理由で読まなかった本です。
訳者あとがきでも触れられていたけど、アメリカによる
ヒロシマへの原爆投下についての言及が、どうしても納得いかなかったから。
でも、今は読まなかったことを後悔しています。
ヴォネガット亡き今となっては、疑問を手紙にしたためて
送ることが出来なくなってしまった。人はいつまでも生きているとは限らない。
まずは知ること。
投稿者 YOUCHAN : 14:02 | コメント (0) Tweet
2007年6月 6日
新旧交代
毎月Yahoo! Internet Guideで個人的に気に入っているサイトを
紹介する連載を持たせていただいて、今年で4年目になります。
面白いサイトというのは、湯水のようにあちこちから湧いてきて
ああどうして今まで知らなかったのだろうと後悔するような
ものも少なくないし、面白い人というのはいっぱいいるなぁと
つくづく感心します。
感心するのであるけれど、去年の末くらいから、ちょっと
WEB界隈に異変が起きてる気がしています。
ご存知のように、ここのところメインなのはブログです。
ブログに移転して、マニアックな情報を発信し続ける
人たちがたくさんいる一方で、移転をせずに、
そのままサイトを閉じてしまうケースが結構ある。
結構どころではなく、かなりある。
面白いサイトを運営している人は、面白い人と知り合いなものなので、
リンク集のページを重宝しているのですが、最近、リンク切れが激しい。
ひどいものだと、リンク集の9割以上がNotFoundでした。
これは悲しい。
本当に面白い情報は、市井の人から発信されたものでなくては
味気がないのに、そういうサイトがどんどん閉鎖されているのですよ。
デザインなどは後回しでもいいから、面白いサイトは閉鎖しないで。
心からのお願い、マニアさん!
投稿者 YOUCHAN : 21:51 | コメント (0) Tweet
2007年1月25日
おいらの恩返し
「鶴の恩返し」という童話がありますが、
恩返しっていうのは、自分によくしてくれた人に返すだけではありません。
自分が若いときに受けた施しをですね、年をとって
今度は若い人に還元してゆくことも、きっと恩返し。
そんなことを思ったわけです。社会って、きっとそういう場所。
投稿者 YOUCHAN : 02:27 | コメント (0) Tweet
2006年10月13日
知らないものは書けないし描けない
「星を継ぐもの」(Zガンダムではない)というハードSFを読んでおりまして、
もーこれがムツカシーのなんのって!
言葉が難しい。状況が飲み込めない。
飲み込めないながらも、とりあえずゴリゴリと読み進めておりますと、
なんとなく面白くなってきました。
途中なので、結論はまだわかりませんが、なんつーか。
知らないものは想像が出来ない、と思いました。
人は知ってるものしか書けないし描けない、という話を
いつかどこかで聞いたことがあります。
が、「星を継ぐもの」で出てくる、
過去にも現在にも遺伝子学的に存在し得ない魚(のようなもの)について
わたしは「正確に」想像できませんでした。
だって、見たことないんだもん。
表現力や想像力というのは、経験値のことじゃないかなぁと
「星を継ぐもの」を読んで思いました。
絵が上手いとか文章が長けている、といった才能は、
その経験値をアウトプットする能力がある人のことで、
直接であれ、間接であれ、知る機会を得なかった事項については
書けないし、描けないと思いました。
表現で始終悩んでいますが、
なんつーか、たまたま体験できたことって言うのは
神様(のような存在)が与えてくれた「自然の法則」の一部であって、
それに従ってアウトプットしているに過ぎないのねん。
今日の経験が、明日の表現の蓄えになっている。
「悩む」なんて、もしかしたらおこがましいのかも。
もっと謙虚にならなきゃいかんね。なんちって。
投稿者 YOUCHAN : 02:38 | コメント (13) Tweet
2006年9月11日
おじゃる丸
おじゃる丸が好きで、入院してた5年前も
唯一楽しみだったのが食事前の「おじゃる丸」でした。
その原作者の犬丸りんさんが「仕事が出来ない」と
遺書を残して自殺されてしまったとニュースで読み
なんとも身に詰まされました…。
どんな業種でもそうだと思うけど、
同業者でないとわからない仕事の苦しみがあると思います。
イラストレーターって自己完結してしまう孤独な仕事だし…。
仕事が出来なくなるって……同業者ならみんな経験あるのに。
相談できる人がいなかったのかな…。
横のつながりが少なかったのかも知れないですね。
よく存じ上げないでこういうこというのって無責任なんですが。
自殺がいいこととは決して思わないし、
残された人の悲しみを思うとやりきれないものがある。
けど、そんなことを思ったりしました。
…んー……。
うお~~~い、みんな~~~!!!
思いつめちゃったらさー、一緒に飲もうよ!!
(わたしはお酒飲めないけど)
投稿者 YOUCHAN : 23:29 | コメント (9) Tweet
2006年9月 3日
嬉しいこと
最近いただくコメントが、3ヶ月前に開催した個展の
記録のイラストからものが結構あって、とても嬉しいです。
ありがとうございます!
古いエントリーでもちっともかまいませんので、
コメントはお気軽にください。
(URLとメールアドレスは表示されませんので、ご了承ください)
今日「鬼火」エントリーに、襟裳屋さんからご指摘をいただいて、
とんでもないことが発覚!
竹中英太郎氏の名前を、ずーっと「栄太郎」と書いていたのでした。
ぎゃ~~~!
申し訳ないやら恥ずかしいやら…
でも、嬉しかったのが、その竹中英太郎の展示が9月に都内にて
開催されちゃうという情報もいただいちゃったことです。
コレは嬉しい。
弥生美術館
生誕百年記念 竹中英太郎と妖しの挿し絵展
~エロティシズムとグロテスク…闇にきらめく妖美の世界~
会期:2006年9月30日(土)~12月24日(日)
これは見に行かなくちゃ!
こういう出会いが、Blogの楽しさかなーって思いました。
とっても嬉しい日曜日です。
投稿者 YOUCHAN : 14:38 | コメント (2) Tweet
2006年8月18日
30代の至宝
昨日のエントリーの続き。
でもよく考えてみたら、ここ最近聞き始めたカーネーションと
あがた森魚さんはドはまりだから、10代の思い出に浸っていると
一概には言えない気がしてきました…。
それに、わたしが好きなミュージシャンに
懐古趣味に陥らずに長く続けているタイプが多いのは
幸せなことかなーと思います。わたしも長く制作活動がしたいしね。
ということで。カーネーションの新作はカッコイイ。
WILD FANTASY
カーネーション 
投稿者 YOUCHAN : 01:02 | コメント (0) Tweet
2006年8月11日
それもひとつの救い

9日に築地でであった猫。人懐っこくてかわいい。女の子。
だけど、やっぱり厳しい顔つきをしている。
ウチに来たばかりの大賀を思い出す。
ご飯、貰うんだよ。がんばって生きるんだよ。と思った。切ない気持ちになった。
ブライト艦長の声の鈴置洋孝さんが6日に亡くなったと言うニュース。
56歳。肺がん。すごくショックだった。なんでこんなにショックなんだろう。
死んでしまった人には、もう二度と会えないからだ。
先日、「ヨコハマ買い出し紀行」をまとめ読みして、泣いた。
時間の流れは、人の命を死へ間違いなく押し流してゆく。
父のことを思った。
ああ、どうして父は今、生きてないんだろう。
今、話したいことがたくさんあるのに。
そう思うと、涙が止まらなかった。
それを思い出してしまったせいもあるのかもしれない。
ふと思い立って、ヴォネガットの「タイムクエイク」を開いた。
タイムクエイクが起きると、過去をまたやり直さなきゃいけない。
うんざりするような経験がまっていることが解っていても、
1分1秒寸分の狂いもなくそれを「再演」しなければならない。
やり直しはなし。とにかく過去をなぞるだけ。
自由意志のスイッチが入るまで、再演は続く。
耐え難い別れをもう一度再演しなくてはならない覚悟もいる。
けれど、再演で会いたい人に会えるなら、それもひとつの救いかもしれない。
ヴォネガットはどうしようもない絶望感に襲われたとき、効く薬だと思った。
(一応、リンクしときます。こういう本です。文庫も出てます)
投稿者 YOUCHAN : 00:51 | コメント (3) Tweet
2005年10月20日
原 久美子さんの思い出

この絵は、ジャズ・ボーカリストの原久美子さんに初めてあった日に
描いたスケッチの一枚です。
時は2003年4月12日、場所は横浜のライブ会場。
その頃、ミッキー吉野さんの音楽をイラストに起こすライブスケッチの
試みを始めたばかりで、津軽三味線とタブラとキーボードの演奏を
聞きながら、わたしはペンを走らせて「音」を「絵」にしていました。
そのときに、はじめて原さんに会いました。
原さんはわたしの隣に座っていました。
傍には盲導犬のキャシーちゃんがいました。
そのときは、わたしは原さんのことは知りませんでした。
あ、目の見えない方だ、と思っただけでした。
そして休憩中、原さんはわたしに
「なにをされているんですか?」と尋ねられました。
わたしはスケッチをしている旨を伝えました。
「へぇ〜、どんなの描いてるか、見せてもらえる?」
原さんは、そういって、わたしのスケッチブックを手にしました。
アシスタントの女性が、わたしの描いた絵にそって、
原さんの指をなぞらせます。
いま聞いたばかりの音。
このタブラの響きがこの丸。ああ、こんな感じね。
そしてキーボードの音がこのタテのライン、わかるわかる。
ぽーん!と波打つリズムが、このはじける様子。
一緒に、今聞いたばかりの、初めての音楽を
そのまま耳から入るままに線に起こし、
それを指でなぞりながらも、わたしは原さんと
もうひとつのセッションをしたような気がしました。
原さんがジャズシンガーであることを知ったのは、
ステージでミッキーさんが原さんのことを紹介したときでした。
ライブが終わって、しばし歓談の時がもてたとき、
わたしは原さんにこう尋ねました。
「…あの、手で直接なぞれるように、
たとえば線が盛り上がってるとか、そういう工夫ってあったほうが
よかったりしますか?」
すると原さんは、こう答えてくれました。
「うーん。そうとは限らないのね。
たしかに、そういうのもいいんだけど、
今みたいにアシストしてもらえればいいし。ね。
展覧会とかでは、人の目を通じたイメージを
コトバで伝えてもらうことで、新しいアートを感じることが
出来るからね。それでいいの。
ひとつのアートも、一緒に行く人によって、
いろんな解釈ができるのよ。それがまた、面白いの」
原さんは、その後、わたしが参加するグループ展に
何度か見に来てくださいました。
「アートは人生を豊かにしてくれます」と
感想をメールでくださいました。
また、わたしも原さんのステージを何度か見に行きました。
ソウルフルで、かっこいい原さんの歌声に
わたしもNORIちゃんも、すっかり魅了されてしまいました。
わたしにとって、原さんとの出会いは、人生においても
本当に大切なものでした。
そんな原さんの訃報を聞いたのは、17日のこと。
あまりにも突然でした。
会えば必ず「ゆーちゃん!」と声を弾ませて
握手をしてくれた原さん。
もう会えないなんて、信じられないけど。
わたしは、原さんにはじめて出会った日に
あんなセッションをしてしまったことを、一生忘れません。
ライブスケッチを、再開したいと思っています。
投稿者 YOUCHAN : 00:09 | コメント (2) Tweet
2005年10月11日
日々の暮らし
E-space展も残すところあと4日となった。
早いような長いような。
ワタシといえば、連休中は結局ずっとダウンしていて
(さすがに疲れが出ました)
進むはずだった仕事が、ごっそりまるごと溜まってしまった。
やばい!!
今日は午前の当番。
友人・知人が訪ねてきてくれて、嬉しかったなー。
そのおかげで、あっというまに3時になってしまった。
3時過ぎて即効で帰宅。
すぐに机に向かって、やりかけてたラフや原稿を描いて書いて送った。
ああ、なんとか今日、進んだ。嬉しい。
遅れの挽回、なんとかできるだろうか。
そして、送った後は、いつも不安。
直しが来るかな。そのまま通る…といいなぁ。
今日はいっぺんに済ませたので、その不安がどかっとのしかかっている。
もやもやしている。すっきりするのは入稿後。
新たな案件も走り出す。飛び込み台に上がったときのような気持ち。
手帳には、小さな飛び込み台がランダムに書かれてる。
小心者なのです。
これがわたしの日常。
ふと遠くに暮らす妹のことを思った。
日々の暮らしは人それぞれとは言え、
大人になった今、その境遇はまったく異なる。
特に私たちの場合はそうね。
抱える悩みも苦しみも、きっと寂しさも。
投稿者 YOUCHAN : 23:11 | コメント (0) Tweet
2005年6月28日
まあだだよ
松村達雄さんが亡くなった。
わたしにとってこの俳優さんは、「百間先生を演じた人」である。
百鬼園ファンの間で、「まあだだよ」はすこぶる評判が悪い。
百間先生が、ちょっとおばかさんみたいに描かれてるせいだからだと思う。
それに、松村達雄さんが小柄で、大入道みたいだった百間像からは
程遠いものだったからだと思う。
でも、わたしには松村百間はOKだった。
いや、むしろ大好きだ。
あの映画に流れる空気が好きなんだなぁ。
枝も栄えて 葉が落ちる。合掌。
![]() | まあだだよ デラックス版 松村達雄 所ジョージ 香川京子 井川比佐志 ジェネオン エンタテインメント 2002-09-06 by G-Tools |
投稿者 YOUCHAN : 21:27 | コメント (7) Tweet
2005年5月 1日
肩書きの宣言
連休にもかかわらず、某団体の日本サイト立ち上げ準備を
Sさんが一所懸命にしてくださっている。
それにわたしも掲載していただく運びになった。ありがたいこと限りなし。
そこで、これまで出版した絵本の画像とか出版社名とかプロフィールとか
一切合財を整理して送ったわけだけれど、その中に
「イラストレーターなのかライターなのか両方なのか明記してください」
という下りがあった。
「ライター」というと、一般的には
雑誌に寄稿してる人や、企画ありきの文章家を指すことが
多いと思うが、ここでいうライターというのは、
絵本の文章、つまり「おはなし」を書く作家のことを指す。
そこで考えた。
これまでの仕事を振り返ると、この手の仕事の場合、
プロットから文章から、すべて自分で手がけている。
つまり、わたしは「両方」ということになる。
仕事のくくりがボーダレス化してきている、という話題が
E-spaceのBBSであったけれど、まさにそうだなぁと思う。
ということで、こっそり作家としての立場を公言してしまったので、
言葉に関してはより一層の責任を持たなくてはならないなぁ
と思った5月でありました。精進いたします。
投稿者 YOUCHAN : 22:07 | コメント (8) Tweet
2005年3月 2日
焦点を合わせる
月末に終わった仕事(※)の後遺症で、腑抜けです。
すごく大変だったけど、すごく楽しくて、終わってゆくことが寂しかった。
入稿が無事できたことは、よかった。けれど、寂しい。
お話をざっと考えて、構成を組み立てながら、文章を整える。
この段階で、登場人物がもうしっかり自己主張してきます。
そこから荒いラフを起こし、絵で表現できている部分の文章を削り落とす。
もっと詳細のラフを起こして、ほんの少しだけ絵に遊びを付加する。
あまり描き込み過ぎないよう、やりすぎないよう引き算しながらバランスをみて、
文章を削り、絵を直す。行ったり来たりして仕上げます。
このプロセスは、わたしにとても合っているようです。
今年は、こういったお仕事を、何本か取り組めそうな風向きです。
やりたいことの焦点が具体的に合ってきました。
ここまでくるのに、時間がかかりました。
実績として積みあげていきたい。
海原に浮かぶ、大きな船の重い舵を、じっと切る。そんな気持ち。
今は、とにかく、この腑抜け状態をかみ締めながらも
まずは再起動しなくちゃと思っております。
頭の使う部分が全然違う、エンタメ系コンテンツのお仕事も、
今のわたしには、大切なものだと思うのです。
(※)詳細については4月以降に。
投稿者 YOUCHAN : 17:18 | コメント (9) Tweet
2005年2月13日
人に会う
昨日のカレンダー展の帰りに、オーソドキシーに寄った。
革製品のお手入れクリームがなくなったので、それを買いに。
(というのを口実に、今野さんに会いに行ったという感じかな)
いろんなお話をして、お茶までご馳走になって
楽しいひとときをすごさせてもらった。
仕事の話をいろいろしてる際に、
「デザインの仕事をしたあと、絵を描く仕事をしようとしても
簡単にできない。切り替えがここ1,2年難しくなってきている」
といったことを話すと、今野さんは
「それは、完成物の精度が、こう
くーっと高度になってきているからじゃないかな」
というようなことをおっしゃった。すぱっと一言。
ああー、やっぱりすごい人だなって思った。
今回だけの話じゃなくて、私個人的に日常で思う。
不特定多数の人に無理やり伝えようとして饒舌になったり
うまく伝わらなくて微妙に落ち込むよりも、
話すべき人にちょっと電車を乗り継いで会いに行き、
顔を見て話せばいいんだな。
人と会うことの重要さは、きっとこういうことなんだ。
…ということを「不特定多数の人が読む」日記で書くことは、
もしかしたら少し矛盾してるように見えるかもしれない。
けれど、そうではないのだ。
人からいただいたメッセージを、また人に還元することも大事だと思うのだ。
響く人に響けばいいし、どう捕らえてもらってもいいと思う。
だから、これでいいのだ。最後はバカボンのパパなのだ。
投稿者 YOUCHAN : 17:01 | コメント (1) Tweet
2005年2月11日
日本の職人さん
わたしとNORIちゃんは、ブランドに関する考え方が近い。
特に鞄に関しては、「日本製」、そして「職人の顔が見えるもの」を選んでいる。
帆布のバッグなら、断然須田帆布。
帆布のバッグが硬いという固定概念を打ち砕いた。
しかも、シンプルで大人っぽいデザインもよい。
数年前に、取材で須田のおっちゃんにも会えた。
職人だから頑固で融通が利かない。
そのくせして、痒いところに手が届くデザイン。
そして、革製品は、鞄工房土屋だ。
土屋のバッグは、実にいい。
縫製が丁寧。柔らかい皮。奇抜さはないけど、なじむデザイン。
販売価格が適正な点も好感が持てる。
なにより、やっぱり職人の顔が見えるところがいい。
昨年末に、システム手帳を、土屋で購入した。
ふんわりと手になじむ革。細かなところでつくりのよさを実感できる。
それを見てたNORIちゃんも、土屋で手帳を購入した。
そしてそして、いつかバッグを作ってみたいのが
代官山にあるオーソドキシー。
オーソドキシーの鞄は、とにかく軽い。
革のシンプルさと上質さは、ほかのメーカーにはない。
デザインも、無駄が一切省かれているところもよい。
ああ、いつか作ってみたい。
オーソドキシーのバッグは、オートクチュールなので
市販されているバッグよりもとても高いのだ。
いろんなバッグを経験して、この形だ!と思うものが解ったときに
ぜひ作ってくださいね、とオーソドキシーの今野さんは笑顔で話してくれる。
昨年、名刺入れをオーソドキシーで作ったとき、
お手入れ用の革クリームを購入した。
「革はお手入れがとても重要」と、いろいろ教えてもらった。
他社製品の鞄であっても、手入れが行き届いているのを見て
その鞄は幸せねぇ、と目を細める。
やはり、職人さんだ。
投稿者 YOUCHAN : 22:24 | コメント (4) Tweet
2005年1月27日
カスタマーサポート
わたしが高校1年生の頃、20年くらい前ですね。
当時、音楽を録音するのはカセットテープが主流で、
レンタルレコード屋でいろんなアルバムを借りて録音して聞いていた。
その当時、ライダーズの「青空百景」を
テープに録って大事に聴いていた。
ところが、聴きすぎでテープが延びてしまい、
とうとう聴けなくなってしまった。
困ったわたしは、テープの製造元である
ソニーにハガキを書いた。
「とても大切なテープなんです。治らないでしょうか?」
すると、数日たって、ソニーから返信用封筒が同封された
手紙がやってきた。
「実物を見なければわかりません。同封の封筒に入れて送ってください」
と手紙に書かれていた。
封筒を送り返して1週間くらいがたってソニーからテープが届いた。
「残念ながら、この状態のテープを直す事は出来ませんでした。
ご期待に沿えず申し訳ありません」といった趣旨の手紙と、
1本の新品のテープ(送ったテープと同等品質のもの)、
そして聴けなくなってしまった「青空百景」のテープが入っていた。
テープが治らなかったことはとても残念だったけれど、
こんな子供のいうことをきちんと受け止めて、丁寧に対応してくれたことが
本当に嬉しくて、その後、カセットテープはずっとソニーを使った。
今、そのサポートの人は、なにしてるだろう。
まだソニーにいるのかな。
投稿者 YOUCHAN : 04:26 | コメント (8) Tweet
2005年1月11日
トゴルはドゴルぢゃないよ
今年は年賀状が今日になってもわっしわっしと届く。
皆さん年末進行がまだ終わってないんじゃないでしょうか?
ウチは21日が無事に迎えられることを祈るのみ。
ところで、うちの会社の名前は「トゴル・カンパニー」だけど、
2割くらいの人が「ドゴル・カンパニー」って書いて来る。
まぁ人の会社の名前だし、当事者ほど思い入れがあるわけもないので
しょうがないんだけど、
何度も聞かれることなので「トゴル」の由来をお話します。
「とごる」は、NORIちゃんの生まれた三重県四日市で、
「とこる」は、わたしの生まれた愛知県の三河地方で
普通に使われている方言です。
ただ、同じ愛知県内でも「とこる」を使わない地方もあります。
県をまたいだ四日市で偶然にも共通の方言があるというのは、
なんだか珍しいな、と思い、「とごる」を社名にしました。
その「とこる」「とごる」ってどういうことかと言うと、
カップスープの底にたまってるどろどろであったり、
コーヒーの底にたまってる砂糖のどろどろであったりします。
「砂糖がとこっとるー」と使います。
標準語に直せば「溶け残っている」が一番近いと思います。
でも、方言の「とこる」「とごる」のニュアンスまでを
きちんと言い表せている標準語って、ないです。
近いコトバはあっても、そのものに翻訳はできないような。
方言って面白いなと思います。
ということで、「トゴル・カンパニー」です。
よろしくお願いします。
投稿者 YOUCHAN : 21:33 | コメント (17) Tweet
2004年12月26日
年末年始はヤダ
わたしはこの年末年始のムードが苦手だ。
変わらない毎日がいい。淡々とすごす平日が好きだ。
わたしは小学生の頃、学校でひどいいじめにあっていた。
家に帰るとほっとしたけれど、夜が来るのが怖かった。
朝になれば、また学校に行かなくてはならないから。
しかも、いじめられている事実を親や先生に悟られるのがイヤで、
なんともない顔を一生懸命作っていた。
穏やかに過ぎる淡々とした日常が好きな理由は、
多分この経験が元になっていると思う。
なんてことを思い出した。
2004年12月16日
心に決めたこと
ぶっちゃけて言ってしまうと、アートモスフィアという会社が
わたしの絵によく似た作品をWebサイトにアップしていて、
印刷物にまで出してたという事実がわかり、非常に傷つきました。
ちょっとおちゃらけてみたかったけど、相当なダメージでした。
イラストの盗作被害に多数あっているK野さんが、「万が一のために」と
Webサイトのトップに掲載されていた当該イラストのキャプチャーを
とっておいてくれました。
「万が一」の判断がとっさに出来てしまうK野さん。
いかにこれまで苦労され、傷つけられてきたかということが伺い知れます。
K野さんだけじゃなくて、大勢のイラストレーターがこの問題で
傷ついているということを、自分が被害にあって改めて実感しました。
昨日は、自分の作品なのに、まるで汚らわしいもののように感じられて
すごく悲しかったのですが、
自分がこのイラストを描いたときの作品コンセプトを読んで
改めて見ると、「強い」作品だと思いました。
作品にメッセージを篭めることについて、いろんな意見があるけれど、
思想があってこその作品なのでは、という気もします。
メッセージを受け取る人が自由に判断してもらえるような豊かさを
もっと兼ね備えられると、きっといいのでしょうね。
それで、決意したことですが、
このイラストシリーズは、今後も継続していきたいと思います。
「この子供たちは、それぞれ大切なモノをもっています。
けれど、それらのモノは、どこか誰かの暮らしや環境を犠牲にして
出来たモノかもしれません」というメッセージを篭めて。
結局のところ、アートモスフィアは
わたしの絵の上っ面を取り込んだに過ぎない。
彼(ら)の描いた、3点並んだ絵を見たときに感じたキモチ悪さの原因は、
きっとそこにある。
いくら真似たところで、それはやはり「まがい物」でしかない。
盗めるものには限界がある、ということなのだと思います。
2004年12月 9日
切なさ
昨日から腰痛ですよ。非常に切ないです。
はた!と思ったのは、わたしの重視していることは
「切なさ」なのではなかろうか。
今、おサル展で展示している百間や久作、ヴォネガットにしても
わたしが表したいこととは、「切なさ」だ。
昨日初対面の女性と百間のことを話した。
「百間は、偏屈だし非常識だしわがままだから身内にいたらイヤ」
とその人が話していた。
わたしは笑いながら、あはは、まったくですねって言ってたんだけど、
後からじわじわと そうなのかな、ちがうんじゃないかな、と思ってしまった。
それは、彼女のその評価の中に「切なさ」がなかったからじゃないだろうか。
漱石の「猫」を今読んでいるけど、
一番最初の読みきりで発表したはずの「猫」には切なさがあった。
その後はあんまり切なさがないような気がする。
社会風刺や批判色が逆に濃くなってるなぁ。うーむ。
久作も、ヴォネガットも切ない。ヴォネガットを読むと、わたしは泣く。
ボクハナク。ライダーズもあがたさんもそういえば切ないね。
2004年11月12日
語りすぎてはいけない
唐沢俊一氏の日記に、
「知識をひけらかし自分たちをバカにする都会ものに対する、
非エリート層の反発がブッシュの力だ」とあった。
結構、これは目からうろこだし、気をつけなくては、と思った。
あまりにも完璧に悪事を暴かれて叩かれている人(政治家とか)を見ると、
正常な判断をもっている人は「そんなにいうほど悪い人じゃないんじゃないか」
という感覚が沸き起こるもの、とも書かれていた。
実はわたしもそれは感じていたので、なんだか納得しちゃった。
語りすぎずに、押し付けずに、きちんと思いを伝えるには、
雄弁なコトバをもたぬわたしには、やっぱ絵を描くことが一番
「間違っていない道」なのだろうとも思う。
絵ごときでは世界は変えられないし、本当に傷ついた人は、癒せない。
(気分転換できることと癒すことは次元が違う)
しかし、わざわざ傷を深めることはない。
無視を決め込むこともしたくないし。
はて。
2004年11月 3日
納期は守れよ!
ウチは今、結構吾郎ちゃんブームで、ひそかに「笑の大学」に期待している。
特番があるらしいから、とNORIちゃんが録画しておいてくれた番組を
ウキウキと見始めたら、「みんなの家」が始まった。
「笑の大学公開記念」ということだったらしい。まーいーや。
家の設計を後輩デザイナー(唐沢クン)に依頼したココリコ田中夫婦。
ところが、唐沢クンは棟梁ともめて、締め切りが過ぎても図面を持ってこなかった。
ココリコ田中は、唐沢クンになぜ図面を持ってこないのか?と問いただす。
「僕はアーティストとしての部分を大事にしたいんだ」とか
「妥協はしたくない」とか、ごねる唐沢。
すると田中が「納期は守れよ!」って怒鳴った。
アーティストとしての完成度と、職人としての納期厳守を
唐沢に約束させるシーンだ。
わたしは、このシーンが一番印象に残った。
自分が納期に追われる仕事をしているからだろう。
三谷幸喜は、きっとこういう誰かにムカついてたんだろうな、とも思った。
2004年8月25日
物を生み出す
1点だけ先行公開いたします。

スケッチと見比べてみてね。
ところで、ここのところ、ずっとNORIちゃんが仕事の合間を縫って写真を撮っている。
ピンホールカメラと一眼レフの2本立て。まったく操作感の異なるこの二つに、
おそらく今までにないほど、じっくりと取り組んでいる。
「取り組む時期」が来たようで、この機を逃さないで欲しいと思う。
彼に今必要なのは、カメラの話より写真の話であり、対象についてであり、
もっとつきつめれば、生きることへの姿勢についてだ。
モノになるまでがんばれ、NORIちゃん。ワタシもがんばる。
わたしはといえば、ここ数日の強行軍のためか、疲れがとれない。
外出が苦手なのは、体力のないせいもある。
自分のペースを保持しつつ、淡々と制作したいです。
(といいつつ、今週は明日以降、出ずっぱりなんだけどな…。うむー)
がんばれ、わたしも。がんばれ、NORIちゃん。がんばれ、ここを見てくれてる皆も。
2004年7月25日
幸福とは
幸福とは決して満ち足りてると云ふことでない。艱苦の反対でもない。
これはmixiのトップページに「私の好きな言葉」として書いたもので、
内田百蠅涼†颪琉貔瓩魄†僂靴燭發痢†
艱苦(かんく)=悩み苦しむこと。つらく苦しいこと。艱難辛苦。
今、私が、うんうん悩んでいるのは、
これからまとめなくてはならない某企画の某作品こと。
これは、わたしにとって幸福な状態である。
満ち足りては居ない。どちらかといえば、怖い。
一般的に評価されている「シアワセ」とはきっと違うのだと思うし、
違っていて当たり前かなと思う。
あ。それをもっと簡単な言葉で表した歌がありましたね。
ハピネスは辞書にも載ってるとおりで 幸せなんて 人それぞれ
ハピネスはテレビでやってるとおりで 幸せなんて それぞれのプログラム
moonridersです。
2004年7月22日
悲しい知らせ
田中さんが亡くなった知らせを、出かけのホームでうける。
後悔ばかりが浮かんでは消え、浮かんでは消えた。
2004年7月 7日
野球はなくならない
わたしは野球は見ないんだけど(スポーツに興味がないのだ)、
最近のプロ野球オーナー云々には興味を持って見ていた。
堀江社長、このさい関口会長と組んで新リーグ作っちゃえよ!
とか思った。半分本気。本気とかいてマジと読む。
で、先月の輸入CD規正法のときと同じ感想を、わたしゃ持った。
そもそも「野球」は「プロ野球」がなくては成立しないものなの?
既存の器に頼りすぎてるような気がしない?
音楽の話になるけど、
やれCCCDだ、やれ輸入規正法だ、と音楽ファンは怒り心頭ながらも冷静だった。
大体、そういう措置をとるレコ会社に意見する音楽家は少ない。
CCCDがどういうことなのか、関心が薄いのだ。
音楽家の意識の低さが、こういうレコ会社をのさばらせた元凶じゃないの?
でも、心ある人々は「なにがあっても音楽はなくならない」と結論を出した。
昔、山下達郎がアカペラで「on the street corner」を出した理由として、
「電気がなくなっても声があれば音楽を続けられるから」と言った。
当時中学生だったわたしに、その言葉がキョーレツに残った。
手段に頼りすぎるな、といわれた気がした。
パソコンがなくちゃ作品が残せないわけはない。
手が動かなければ作品が残せないわけはない。
紙がなくちゃ作品が残せないわけはない。
たまたま、手段として、自分自身にとって得意な方法が
パソコンだったり、絵だったりしただけ。
遠回りしてでも、手段なんていくらでもある。
唯一の手段を死守するのは危険だとも思う。
話が脱線したけど、音楽は産業になる前から暮らしに根付き、
人々の心を支えてきた。だからなくならない。わたしもそう思う。
野球もそうじゃないのか?
2004年6月30日
かおるぶみ
女子なので、月に一度はダウンする。
デザイナーとして勤務してた頃も、応接室を占拠してダウンしてたのを思い出す。
疲れの出やすい夕方にダウン。夜になって復活。
一昨日の夜に読了した「居候匆々」の巻末に収録されていた
谷中安規「かおるぶみ」が今になってじわじわきている。
谷中氏は戦後まもなく栄養失調で亡くなった版画家である。
「居候匆々」の挿絵を担当したのが谷中氏である縁で
その遺稿が収録されている。
人の心の温かさに触れ「愛されている」と率直に喜び、
大切に育てている南瓜の蔓が育つさまを嬉しいと綴る。
栄養失調なのに。ひとりぼっちだったのに。
でもね。
戦争のごたごたで、消息のわからなかった友にめぐり合えて、
ホントに嬉しかったんだよね。
そして、新しい仕事の依頼が来て、きっととても幸せだったんだろう。
未来がいっぱいあったんだよね。
その案件に取り掛かる前に、彼は死んでしまった。
(きっと残念だったろう)
制作に取り組める、ということは、きっとこんなにも晴れがましく、
きらきらと輝いていて、嬉しいことなんだ。
そんなことを感じた。
今は夜の10時半。
腹痛も治まった。
これから、わたしも制作に取り掛かろうと思う。
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2004年6月23日
思いやり
常々、生きるということは「思いやること」だと思っている。
たとえば、絵を描く。文章でもいい。写真でも、なんでも。
独りよがりにならない作品にするには、見る人のことを思い描くこと、
つまり思いやりなんだな。
そして、適度な省略。簡略化することで、メッセージが届きやすくなる。
けれど、そのデフォルメが、時として
当たるはずもないと思っていた急所を射抜くことがある。
思いがけない人を傷つけることがある。
隠れていたやわらかな部分に真意があり、
そこをおろそかにして感覚が鈍くなっていくことも。
もう一度立ち返ろうと思う。
そういえば、こんなことを思い出した。
もう1年半くらい前。
上京してからおそらく一番古い付き合いのあるWさんが、家にやってきた。
なんの話をしてたのか忘れたけど、突然
「言おう言おうとずっと思っててさ、もう言っても大丈夫かなと思うんで、言うね」
とWさんは切り出した。
「YOUCHANの絵ね、痛々しいの」
Wさんはわたしのいろんな過去をリアルタイムで知ってる人なので、
その影をずるずる引きずっているわたしの作品を真っ向から否定した。
その描かれた絵は誰に向かって描いたものなのか。
メッセージを伝えたい相手は誰なのか。
などなど。
あまり深いことはここでは省略するけど、そんなことを夜更けまで話してくれたのだ。
そして、その数日後に、ミュージシャンのMさんからも同じことを言われてしまった。
Mさんはまだ知り合って日が浅かったのに、見破られていた。
形にすることを急ぐわたしを諭して、
「グロテスクにしちゃいけないよ」と指摘してくれた。
驚いた。
「どう描くか」「何で描くか」「どうやって形にするか」しか頭になくて、
自分の抱えている問題とは切り離していた。
だから、行き場のない感情が悲鳴を上げて作品に突出していたのだ。
このふたりからのメッセージがなかったら、今もぐるぐるしてたと思う。
モチロン、今も問題は山積していて、それは時折わたしの胸を締め付ける。
けれど、表現していくことにもっと素直に取り組むようになってから
ずいぶんと楽になった。
で、思う。やっぱり思いやりなのだ。
思いやりは、「偽りの明るさ」や「元気さ」を作品にかぶせるものではなく、
誰かに思いを伝え、伝わるように見せ方を工夫しよう、という
気持ちのこと。
そうだと思ってます。




