2010年2月16日

浅倉久志さんご逝去

大変お世話になった浅倉先生が14日に心不全でご逝去されました。この報にただただうちひしがれています。落ち着いたら、浅倉先生との楽しい思い出をブログにきちんと残しておこうと思います。今は泣いてばかりです。浅倉先生はきっとご病気から解放されて、今頃のんびり羽を伸ばしておられると思います。矢野徹さんとも再会を果たしておられることでしょう。わたし自身、こんなに悲しい思いをしたことはここ最近ありませんでした……。

投稿者 YOUCHAN : 18:52 | コメント (0)

2009年11月25日

大事な仕事

KVの挿絵。


仕事に優劣はつけない。つねに誠実に描く。これをモットーにしていることは今も昔もずっとかわらない。けれど、ことヴォネガットに関しては別。カート・ヴォネガットが自分にとってどれだけ重要かはもう今更言うまでもない。つらいとき、救ってくれる。楽しいとき、共感する。日々のささやかなできごとにほろりときてしまう。遠いアメリカの地で生まれ育った異国の作家だけれど、わたしにとっては最高峰に位置する。

日本では早川書房からずーっとずーっと和田誠さんのこれまたすばらしい装丁でほぼすべての作品が出版されている。翻訳は伊藤典夫・浅倉久志の両氏。特に中期以降の翻訳は浅倉久志訳でほぼ網羅されており、ほろにがい本編を読み終えた後はいつだって浅倉久志氏の「訳者あとがき」が心優しいカーテンコールを引き受けてくれていた。

と言った具合に、本当に大好きな作家なのだけれど、本日発売のSFマガジン50周年記念号PART1に収録されたヴォネガットの短編「明日も明日もその明日も」の扉イラストを不肖ワタクシに描かせていただいた。和田誠さんには足下も及ばない。が、雑誌収録ということで大目に見ていただいたのだと思う。本当に光栄で光栄で、どうしようという気持ちでいっぱい。

気持ちだけはいっぱい込めた。初めて読むかも知れない方のネタバレになるような扉にはしなかったつもり。イメージも大きく壊さないようにしたと思う。そして好きなモチーフを盛り込ませていただいた。ヴォネガットファンの皆様、和田誠ファンの皆様、どうかどうかご容赦ください(わたしも和田さんの大ファンなんです)。

SFマガジン、50周年おめでとうございます。


S-Fマガジン 2010年 01月号 [雑誌]
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投稿者 YOUCHAN : 15:15 | コメント (0)

2009年9月21日

ポー大会だった

「19,20日にポー大会あるからどうぞ」と巽先生から手渡された1枚の紫色のフライヤーには、「エドガー・アラン・ポー生誕200年記念大会」のプログラムが書かれていた。「エドガー・アラン・ポーの世紀」を読み終わったことだし、これがとてもおもしろかったので行かねば!と、友人の美人書店員とともに両日参加してきた。二人ともキャンパスライフに無縁の人生、うきうきと待ち合わせて慶應義塾大学三田キャンパスへGO!

大会プログラムは、実を言うとわたしが想像していた以上にアカデミックで難しかった。特にバートン・L・セント=アーマンド氏(ブラウン大学名誉教授)の講演は通訳がなかった。でも普通にコトバが通じているし、質疑応答も英語だし......。気軽に参加しすぎたことを反省しつつも、それでも充実の二日間であったので、わたしなりに感じたことを記録しておこうと思った。

わたしにとっては二日目のシンポジウムがとても興味深い内容だった。トップバッターの鴻巣さんは、先述の「ポーの世紀」でわたしが一番感銘を受けた「ポーの影響は書き手ではなく読み手側に起きている」という論説を展開された方で、本に書かれていた内容を補完してくださったと思う。配布されたハンドアウトには、本では数行の引用止まりだった貴重な内容の写しがあり、これは読者にとってはありがたいボーナストラックだと感じた。やったね!と内心ガッツポーズ。

そして、安藤礼二さんは、ポーと同時代に生きた作家について取り上げていて、同じ時代に生きた作家が、奇しくも同じテーマ(外の世界ではなく内面や別世界)を描いてきたことに着目し、アメリカのポーと日本の平田篤胤を比較したり、東西の作家達の比較検討したりと、これがとても興味深かった。日本の平田篤胤から谷崎潤一郎、江戸川乱歩、寺山修司への一連の流れは非常に興味深いが、そういえば日本は第2世界大戦で、これまで第一線だった作家がいっせのせでリセットされてしまった経緯がある。これはその流れに影響はなかったのか、ふと気になった。このあたり、掘り下げてみたいと思った。

また、前後するが、1日目では青柳いづみこさんによるピアノ演奏と講演があり、「アッシャー家の崩壊」をモチーフにしたオペラ劇が紹介され、これまた非常に美しいというかデカダンな感じがぐぐぐと心に迫った。かっこいいのだ。これは通しで見てみたい内容だった。


わたし自身、昔から内省的・退廃的・不条理な物語が好きで、ずっと愛読してきているが、おそらくそういう恐怖に浸ることでなにかのバランスを取っているように思う。わたし自身が退廃的な絵を描くことはないけれど、もしわたしの内面からこれらの不条理で残酷な文学世界を取り上げてしまったら、おそらくいつもの明るく楽しいイラストは描けていないのでは......と思う。わたしにとっての「癒し」とは「残酷さ」だと思う。高校生の頃から、夢野久作や戦前の探偵小説界にどっぷりはまっていたけれど、そういうことなのだろう。

「ポーは自分自身を映す鏡」という説があったが、おそらく多くの読者にとってもっとも共感する言葉なのではないかと思った。

エドガー・アラン・ポーの世紀
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投稿者 YOUCHAN : 23:29 | コメント (0)

2008年11月28日

もう年末ですが

Newsのほうに詳しいことは書いたのですが、本の雑誌別冊「文庫王国2008」の表紙を描かせて頂きました。イラストがこれまでの「本の雑誌」っぽくないので、どう取ってもらえるか期待半分・不安半分ですが、よろしくお願いします。12月5日頃に書店に並ぶそうです。

この本が出ると言うことは、もう年末で、今年もいろいろあったなぁ、と思いつつ、まだ12月にもなっていませんが、さすがに師走前夜な雰囲気、なんだか気ぜわしいです。みなさまも、風邪など引かないように気をつけてください。

ところで、本の雑誌のサイトの文庫王国の紹介コーナーを見ますと、目次が一足先に読めたりしますが、海外ミステリがスタニスワフ・レムの名前が。今年出た新刊の文庫ってピルクスですよね。上下巻の。あれってSFじゃなかっけ。や、SFは裾野が広いので、こういうこと、よくあります。うん。面白いなぁー。来年もいっぱい面白い本読んでいきたい所存です。


投稿者 YOUCHAN : 01:57 | コメント (0)

2008年10月13日

定本 久生十蘭全集

久生十蘭全集

到着しました、久生十蘭全集。ずっしり重いです。解題含めると、700ページ近くある。その上、月報付で、函に入っていて、ハトロン紙でくるまれている。いまどき、こんな風に丁寧につくられた本にはお目にかかったことがない。値段が値段なので、このくらいの作りは当然なのかもしれないけど、それでもやはり本に対する愛着が一味違う気がする。国書刊行会の本は何冊も持っているけれど、ダントツで上等な1冊。しかも、3ヶ月に1冊ずつ増える。全11巻。3年以上の年月をかけて、じっくりじっくり刊行される。

中身は、なんといっても文字組みの美しさにため息が出る。旧仮名遣いの本なのだが、あまり読みづらいと感じない。すらすら読める感じだ。解題の巻末には「魔都」の説明図が収録されているので、本文を読みながら、参照すると雰囲気がぐっと出そうな感じがする。おそらく原典から転載したものだと思う。いい感じだ。

とにかく、贅沢の一言につきる本だ。「ノンシヤラン道中記」からじっくり読み込んでみたいと思う。刊行おめでとうございます。

定本久生十蘭全集 1
久生 十蘭
4336050449

投稿者 YOUCHAN : 23:28 | コメント (2)

2008年5月 4日

SFセミナーと「論争」と

状況をほとんど飲み込めていないまま、5月3日を迎えた。SFセミナーである。歴史あるイベントらしいが、SFビギナーのわたしには、身の置き所がわからない。どうしようと戸惑っているうちに、あれよあれよと当日になったので、観念して(?)出かけた。

「スペキュレイティブ・ジャパン始動」には大いに興味があったので、これは楽しく拝聴した。あっという間の1時間だった。そのあと、休憩。気心の知れた人同士が、ランチに出かけてゆく。私自身はどうしたもんかと、とりあえず外に出ると、物販のブースに見慣れた人が。大橋さんだった。

あれー!大橋さ~~ん、と声をかける。今日はどんなことで?と出展の趣旨をお尋ねすると、同人誌の物販だったということだった。卓上には2,3冊。売れてるのかな。「個展のPRですか?」と逆に訊ねられるも、いや、どうしていいもんかわからなくて......とアウェーモード全開の状態でしどろもどろ。大橋さんには、いろいろとお世話になっているが、今回、私が巽先生から本を受け取ることになっているお話をしてあったので、「そういえば、巽先生には会えましたか?」と気遣ってくださる。「いえ、どうしたもんかと思って......」「あ、だったらスタッフの人に案内してもらったらいいですよ」と、すたすたとスタッフの方のほうへ。ああ、今回もまた大橋さんのお世話になってしまった。ありがとうございます、と告げるのが精一杯で、てんぱっていたわたしはスタッフの方に誘導していただいて、パネラー控え室に通していただく。

わたしの姿を見つけた巽先生は、「お約束の本ね、はい、これ!」と、鞄から出してくださった。何の本かというと、昨年のワールドコンで、わたしの目前で売り切れたいわくつきのもの。巽先生がずっとこのことを気にかけてくださったそうで、「あのあと、サイン本をまた何冊か作ったんですよ。あなたの分は、取り除けておきますから、機会のあるときにお渡しします」と、先日某パーティー(これも先述の大橋さんに連れて行ってもらったもの)で再会した巽先生からお聞きしたときは本当に驚いた。

最初、「郵送しましょうか」とおっしゃってくださったが、それでは申し訳ないような気がして返事に窮していると、「あ、そういえば5月にSFセミナーがありますから、そのときでいい?」とご提案いただき、はい、ぜひ出席します!とお約束していたのだ。それで、わざわざお持ちいただいたのであった。(ちなみに、ワールドコンで「ああ、かわいそうに」とわざわざ別のご本を下さった荒巻先生は「そんなことあったっけ?全然覚えてないなー」とのことだった。そういうものだ)

その後、パネラーの皆様プラス数人のランチに同行させていただき、ものすごい方々との食事に緊張してあまり味がわからない。それにしても、なんておもしろい人の集まりなんだろうと感嘆する。異業種の人たちというのは、本当に面白い。それにしても、SF界の巨匠・大物勢ぞろい。こういう緊張感も、また楽しいもの(後から思えば)。

私自身は、ランチの後のお茶までご一緒させていただき、その後は失礼させていただいた。やはり個展の準備が気になっていたのもある。小川町から電車に乗って、さっそく拝受した本「日本SF論争史」を開いてパラパラと拾い読み。やはり伊藤典夫信者(?)としては、伊藤さんのページから読みたいというのは人情である。ところが、このページ、すこぶる興味深い。伊藤さんの章を一気に読み、ふぅ~とため息をついてしまった。

この本については、きちんと全部を読み終えてから、改めて書評を書くつもりでいるが、「論争」の意義と、その重要さについて、最近もやもやしていた気持ちが少し晴れたような気がした。内容は、その頃、アメリカで糾弾の的になっていたカードの「消えた少年たち」の擁護論を、日本人である伊藤典夫が展開、それが英訳され、彼の地でも大騒ぎになったというものだ。「消えた少年たち」のあらすじも書かれており、カードという作家についての予備知識がないわたしでも、その前後のあらましについては理解できる内容になっており、たいへん面白かった。

近頃、ネットでの議論が人格全否定につながりかねない状況になっていることに、わたしは少なからず畏怖を抱いている。絵描き風情がイデオロギーを語ることや、自身の信念を主張することは「重荷」でしかないのだろうか。そんな気がしないでもないこの頃を過ごしていたが、この本(の一部を読んだだけではあるが)から、わたしは大きな勇気をもらった気がする。「議論」や「論争」とは、「否定」ではないのだ。

巽先生に昨日のお礼のメールをすると、そのお返事に、「SF初心者のかたには絶好の一冊と存じます」と書かれてあった。「SFとはウソを描く文学である」と、昨日のパネルでもどなたかがおっしゃっていたが、言い換えれば「思想を育む文学である」と言ってもよいのではないか。SFは現実と虚構が入り乱れる、想像力が必要とされる文学だ。わたしたちは、もっと勇気を持とう。そして、歴史を学ぶことや、寛容を学ぶことができれば、きっと迷っている事柄の回答が一つずつ得られるのではないか。そんな風にも思う。(それにしても、大橋さんには改めて感謝。ホント、いい方です)

日本SF論争史
巽 孝之
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投稿者 YOUCHAN : 22:08 | コメント (0)

2007年11月21日

ヴォネガット復活

お帰りなさい、ヴォネガット

ハヤカワ・オンラインを見ると、ヴォネガットの本の7割がたが復活していました。復活したのは「タイムクエイク」「デッドアイ・ディック」「青ひげ」「ガラパゴスの箱舟」「チャンピオンたちの朝食」「ジェイルバード」。増刷おめでとう、ヴォネガットさん。

あとは「ホーカス・ポーカス」「スラップスティック」と、短編集「モンキーハウスへようこそ」、エッセイ集「パームサンデー」「死よりも悪い運命」。ハヤカワではないけど、「ヴォネガット、大いに語る」「さよならハッピーバースデー」。なんだ、いっぱいありますな。読者に神のお恵みを。

投稿者 YOUCHAN : 20:40 | コメント (0)

2007年7月25日

SFマガジン

いつ特集するかと待ちに待っておりました。ハイホー。

S-Fマガジン 2007年 09月号 [雑誌]
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追記。
なかなか楽しい内容だった。エッセイは若島正さんのものがよかった。
的を得てるなぁ。個人的な感想文なんか読みたくないし。
ブックレビューも、ハヤカワが重版すべき本が
まだまだこんなに残っているのをファンの目に焼き付けるのに役立ったろう。
そうでもしなけりゃ、そのあとに載っていたハヤカワのヴォネガット本の
広告がむなしいだけです。たのむよ~。

さて、そんなことはどうでもよくて、気になった点をいくつか。

まず、なぜ今回の特集で、先日発売になった「国のない男」の
存在がかくもスルーされているのだろうか。
堂々と「未訳」と、しかも何箇所も書かれておりました。
NHK出版が秘密裏に進めていたから?
そんなバカな。
わたしでさえ、はてぶの編集者日記で、何ヶ月も前から
この本が出る情報をつかんでいたのだから。

…期待してもいいのかなぁ。

それから、特集に本来寄稿すべき人が一切登場していない点。
圧倒的な印象で、伊藤典夫&浅倉久志両氏の名前が
そこかしこに出てくる。
「ヴォネガット翻訳文体を確立した巨頭」とまであるのに、
浅倉氏はインタビューの翻訳をしただけだし、
伊藤氏にいたってはこれっぽっちも登場してこない。
どーゆーことっすか?

また、筒井康隆氏とヴォネガットの出会いのくだりは
非常に興味が湧いた。けど、だったら何故筒井氏を出さないのか。

つまり、「肝心な関係者がぜんぜん出てないじゃん」という印象。

このあたりをクリアにしたヴォネガット読本でも
出してほしいものです。
表紙の絵もすばらしかったねぇー。
この表紙の新刊が出るのを夢見たいと思います。

投稿者 YOUCHAN : 17:14 | コメント (0)

2007年6月 6日

追悼、Kurt Vonnegut

ヴォネガットの番組だろうか、それを分割して
YouTubeにアップしてくれている人がいる。
もちろん字幕もないし、そもそも状態が悪い。けれど、
これがヴォネガット作品のエピソードを絡めた何かであることはわかる。
この頭の禿げた男はキルゴア・トラウト。イメージとはずいぶん違うけど。
時折、笑顔を見せながら熱心に語るヴォネガットの姿を
見ることができるのは、とても嬉しい。

と同時に、とても寂しい。
もう会うことは叶わない。会うだなんておこがましいけど。
それに、英語がわからないことをこんなに悲しいと思ったことはない。


Part2以降は下記の通り。
 ・Part2
 ・Part3
 ・Part4
 ・Part5
 ・Part6
 ・Part7
 ・Part8

投稿者 YOUCHAN : 23:00 | コメント (0)

2007年4月12日

さよなら、ヴォネガット

モンキーハウスへようこそ

だいすきな作家が11日に天国へ行きました。
カート・ヴォネガット。
1922年11月11日、インディアナ州インディアナポリスに
ドイツ移民4世として生まれた作家です。

悲しくて、切なくて、苦くて、皮肉たっぷりで、
なのに暖かくて優しい世界が一冊の本の中にぎゅっと
押し込まれていたヴォネガットの世界が好きでした。
すわり心地のよいソファのように。

さよなら、ヴォネガット。ありがとう。
たくさんの本を書いてくれてありがとう。
日本にも、たくさんあなたのファンがいます。
みんな、悲しい気持ちでいます。

あなたの作品を読めてよかった。
「スローターハウス5」も、「タイタンの妖女」も、「デッドアイ・ディック」も、
「タイムクエイク」も、「ローズウォーターさん」も、全て、全て大好きでした。
読むたびに、涙しました。
あなたの文章は、わたしを泣かせます。
なんでもないようなことに涙がでます。

あなたの新作が読みたかった。
あなたの公演が(それがたとえYouTube越しであっても)聞きたかった。
達者なようすを伺いたかった。

さよなら。ありがとう。さよなら。悲しい、悲しい。

ヴォネガットの訃報を伝えるニュース。
CNN.com Novelist Kurt Vonnegut dies at 84
BBC News Writer Kurt Vonnegut dies at 84
New York Times Kurt Vonnegut, Novelist Who Caught the Imagination of His Age, Is Dead at 84
INDYSTAR.com American voice, Hoosier icon dies

投稿者 YOUCHAN : 21:10 | コメント (0)

2006年10月11日

横溝正史の未発表作

横溝正史の生原稿5000枚、旧宅で発見 未発表も

鼻血の出そうなニュースが飛び込んできました。
5000枚ですって、5000枚!!!!! ダンボール4箱。
ど、どこが出版するんだろう。ちゃんとしたとこから出て欲しいし、
解説はちゃんとした人に書いて欲しいです。

横溝正史といえば、先日の個展で発表した「鬼火」。
これは「横溝正史らしくない」といわれる反面、
「こういう描写が本来正しいのでは」という賛同も。

どんなトリックがあろうとも、どんな凄惨な殺人が行われようとも
それはあくまでもトリガーであって、そこには必ず人間が描かれていた。
横溝正史はそういう作家であったと私は思います。

追々、横溝正史の作品も絵にしていくつもりですが、
わたしは血を描くより、心に蠢く邪な「闇」を描きたいと思います。
もっとダークに行かなきゃいけませんね。

鬼火

ファンの間で賛否両論だった「鬼火」。

投稿者 YOUCHAN : 18:43 | コメント (0)

2005年10月 9日

おんなのことば

おんなのことば
茨木 のり子
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はじめて茨木のり子さんを知ったのは、友人から上記の本を貰ったときだ。
正確には、「どこかに美しい村はないか」で始まる「六月」という詩が
昔、現代文の教科書に載っていたのが最初だと思うけれど、
言葉がことばとして沁みたのは、やはり大人になって
つらいときを乗り越えたあとからだ。

「自分の感受性くらい」が有名で、時々その詩を引用している人を見る。
勿論、この詩もとてもいいのだけど、厳しさが前に出てくるこの詩以上に
わたしは「汲む」に惹かれる。
人間の持つ弱さも認めつつも、自己の甘さに対しては厳しさを垣間見せる。
茨木さんのそんな視点は、やはりどこまでも優しいと思う。

わたしになぜこの「おんなのことば」を友達がくれたのか
そのときはわからなかった。
けど、9年が経った今、とても大切な一冊となって、
ときどきわたしの曲がった背中をぴしゃん!と正してくれる。


  大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
  ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
  失語症 なめらかでないしぐさ
  子供の悪態にさえ傷ついてしまう
  頼りない生牡蠣のような感受性
  それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
  年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
  外にむかってひらかれるのこそ難しい
  あらゆる仕事
  すべてのいい仕事の核には
  震える弱いアンテナが隠されている きっと……

  (「汲む -Y.Yに-」より一部抜粋)

茨木のり子

投稿者 YOUCHAN : 23:57 | コメント (2)

2004年11月19日

ミラボー橋

  ミラボー橋の下 セーヌは流れ
  わたしたちの恋も せめて思い出そうか

で始まる、アポリネール「ミラボー橋」。
資料として家のどこかに眠っているはずの詩集を探すけど見つからない。

たしか堀口大學の訳だったよなぁと思って検索すると

  ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ
  われらの恋が流れる わたしは思い出す

と、どれを見てもそうなっている。
あれれれ? なんか語呂が悪くないかい?

いろいろ調べてみたら、堀口大學ではなかった。
飯島耕一だった。

堀口大學といえば、ローランサンとの交流もあったはずで
アポリネールとローランサンと来れば堀口大學という刷り込みが合った。
けれど、訳詩として優れているのは 飯島耕一の「ミラボー橋」ではないかと。
王道を行くもの(人)ばかりがよいというわけではないのですね。

ちなみに飯島耕一版も、本によっては訳が違うようで、

  夜は来い鐘は鳴れ
  日は過ぎ去ってわたしは残る

というのが青土社版『アポリネール全集』第一巻(飯島耕一)で、
わたしの記憶にある訳は

  夜は来い鐘は鳴れ
  日は過ぎ去りわたしは残る

だったはずです。彌生書房版ですね。なんとか詩集を見つけなくては…。

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アポリネール詩集
アポリネール 飯島 耕一
彌生書房
1967-06


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投稿者 YOUCHAN : 02:05

2004年8月25日

漱石の洋服

今日も電車に乗ったので、百蠅諒幻砲鯑匹鵑任い拭†
(全集はさすがに持ち運べない)
その中で知った、マニアックなトリビア。

夏目漱石の千円札の肖像画は、明治天皇崩御の際に
撮影された写真をベースにしていることは有名である。
そのとき着用していた洋服は、歿後、
漱石を敬愛してやまない内田百蠅慮気謀呂辰拭†

しかし、百蠅鷲當未砲修陵良†鮹緲僂靴討い拭†
その上、百蠅呂匹鵑匹鸞世辰討靴泙ぁ††遼イぬ椶††院†
とうとうその大切な洋服を着つぶしてしまった。
どうせ着つぶしてしまうなら、着ずに大事にとって置けばよかった、と
百蠕萓犬聾絏†靴燭箸いΑ†

借金のかたにしてしまわなかっただけマシである。

投稿者 YOUCHAN : 01:38

2004年8月11日

ヴォネガットさん、あなたに神の祝福を

20世紀の終わりの「タイムクエイク」以来、
筆を折ってファインアートの世界に身をおいていたヴォネガットが
どうやらコラムを発表しているらしく、
そのうちの1本を翻訳してくれた方がいた。

ブラヴォー!ウェルカムバック、ヴォネガット!

I Love You, Madame Librarian

マイケル・ムーアの「華氏911」をさして、
「作品タイトルはレイ・ブラッドベリの偉大なるSF小説『華氏451』の
パロディである」と解説。
当のブラッドベリが「パクッたなパクったな」と息巻いた「華氏451」を
ヴォネガットはかくも鮮やかに言い表した。

復活は、とにかく嬉しい。

正直なところ、911の後、ヴォネガットならどう書くのだろうかと思った。
世界がこんなになっちまったよ、Mr.ヴォネガット。
ヴォネガットさん、あなたのアイロニーと愛情に満ちた新作を、
今だからこそ読みたいよ。
コラムという形でもペンを摂り、発表してくれたことに
心からの歓迎を意を表したい。

世界に対する悲しみと同じ量だけの喜びをこめて。

プーティーウィッ!

投稿者 YOUCHAN : 21:17

2004年7月16日

東京焼盡[2]

出先の帰りの電車の中で読み終わった。

「戦禍の市井の人々の暮らし」を書き綴ったものといえるだろう。
日記なので、随筆のように読みやすくはないが、
それゆえにリアルに胸に迫るものがあった。

世の中が、見えない「なにか」の力で、どんどん異常になっていくさまを
人々はうんざりしながらも受け止めて、助け合いながら
(時には嫌がらせもあるけど)生きていた。
これまでの他の百鬼園随筆とは一線を画すものだろうが、
これはこれで紛れもない傑作ではないか。
そう思いました。

終戦記念日まであと1ヶ月。

東京焼盡
内田 百†


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投稿者 YOUCHAN : 02:52

2004年7月11日

東京焼盡

毎夜、寝る前に本を(というか、百蠅髻貌匹鵑任い董†
今は「東京焼盡」を読んでいる。
百蠕萓犬硫箸†箸Δ箸η海┐討靴泙辰燭箸海蹐砲気靴††辰拭†
まさに急転直下ともいえる筆さばきというのか。
内田百蠅里垢瓦気髻△泙震椶療†燭蠅砲靴拭†

「クルやお前か」で、クルツの好きなお刺身の
ほのぼのと暖かな描写が、
突如、クルツの不吉な描写へと翻ったのを思わせる。
ああ、そうだ。
「翻る」というにふさわしい。
そして、あまりにも圧巻。
「文が書ける」ということと、「表現できる」ということは
こうも違うと思い知る。

読後に、改めて感想を記したいが、あまりにも感動したので
急遽書き記すことにした。

ヒャクテンマン展の作業をしよ〜っと。

投稿者 YOUCHAN : 16:48

2004年6月30日

十蘭

寝る前に読む本がなくなってしまった。
「居候匆匆」を二晩で読みきってしまったためだ。
いつもはAmazonで購入しているのだけれど、
さすがに1冊もないとなると心もとないので、青葉台に行って調達してきた。
ほんとは「阿房列車」がほしかったけど、なかったので、
「間抜けの実在に関する文献」と「一病息災」を購入した。

ついでに、スチのりとワイヤーを購入。もうすぐ立体展なので、その準備だ。

ところで、「読む本がない」というのは本当は嘘。
今は、内田百蠅暴乎罎靴燭い世院†
百蠕萓犬††錣辰燭蕁△い茲い莎彑現粛†棺犬肪綣蠅陵縦蠅世†
まだまだかかると思う。

久生十蘭全集は、さかのぼること17〜8年前。
学校の帰りに三省堂書店に寄るのが日課で、
毎日のように夢野久作・久生十蘭・小栗虫太郎の全集の棚の前に
陣取っては手に取り、ため息をついていた。
わたしは貧乏学生だったので、全集なんて買えるはずもなかった。

けれど、1冊づつ、と思い、夢野久作全集を買い始めた。
全巻そろえられたのは、社会人になってからだったと思う。
久生十蘭や小栗虫太郎は手が届かなかった。

何年か経って、久生十蘭全集の古本を、全巻一度に
手に入れる機会に恵まれた。
うれしかったな。

うれしかったんだけど、手に入れたら、それで満足してしまった。
まだ一ページも読めてない。
別の機会に買った、「久生十蘭〜遁走するファントマ」を
読んで、ああ、十蘭面白いな、と思った。
次は、十蘭だ。けれど、今じゃない。今は、百蠅覆里澄†

十蘭の反省があり、わたしは百蠅楼豕で磴い鬚靴覆ぁ†
大切に読みたいのだ。2,3冊のストックがあればいいじゃない。
ねぇ。

読むタイミングでなければ、本は読めない。
本があるから読むのではない。
読みたい本と出会ったときが、きっと読むときなんだと思う。

投稿者 YOUCHAN : 03:01

2004年6月29日

拾い読み

読了した本を、気の向くままに拾い読みをする癖がある。
今は「ノラや」が仕事机の傍らにある。
とくにクルツの死にゆく描写は、かつて最期を看取った嬉楽の思い出と重なる。

「一たび生を享けたものに、その跡が遺らぬ筈はない」

生きることの尊さを感じるコトバである。

「ノラや」だけではない。
内田百蠅諒絃呂砲蓮△海Δいι措未†鐔蠅砲△襦†
じんわり滲み入る。だから、手放せないのだ。

投稿者 YOUCHAN : 01:33

2004年6月24日

「波頭」追記

犬とか猫とか」で書いた『波頭』の件で追記です。

この犬を捨てに行くエピソードは、百蠅†技佞世辰浸†紊†
生徒の書いた作文を添削中に出会ったものがベースになっていたらしい。
まあだかい」収録の『門の柳』を読んで判明した。

どうやら印象的な学生の作文を拝借して、
あんな叙情的で残酷な作品に仕上げた、ということのようであった。

投稿者 YOUCHAN : 15:28

2004年6月11日

ノラや

今、わたしは内田百螢屐璽爐如△修硫佗佞洩鬚砲覆辰燭里†△海痢屮離蕕筺廚任△襦†發箸呂箸い┐弌†K野さんに1年半前に借りて、そのまま忘れてたのを、引越しのごたごたで見つけ読み出したのが発端。

愛するペットを亡くした経験のある人にとっては、身につまされますが、読後感は暖かいものがじんわりと心に残る傑作です。百蠕萓犬陵イ靴気砲佞譴†1冊。


ノラや

内田 百けん

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投稿者 YOUCHAN : 23:44

2004年6月10日

いなか、の、じけん

最近よくメディアで使われている「心の闇」というコトバ。
このひとつの答えが、この本に収録されている短編連作の
「いなか、の、じけん」、そして「巡査辞職」に描かれています。
当事者でなければ理解し得ない世界があります。
このことを、60年も前に夢野は書き記しています。