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鮎川哲也 アーカイブ

2007年5月 9日

黒いトランク

鮎川哲也のデビュー作です。
デビュー作といっても、それまでも別のペンネームで
すでにデビューしていて、活字にもなっていましたが、
「万年新人だった」と本人が称する状況が続いていたそうです。

「黒いトランク」は、クロフツの「樽」の孫のような作品です。
書き始めのきっかけは、横溝正史の「蝶々殺人事件」(のあとがき)
からヒントを得た、とありました。
が、緻密な捜査や、ひとつひとつアリバイを崩してゆく手腕は
正史というよりもクロフツ。
親よりも祖父に似てしまった孫、といったところでしょうか。

ここで描かれる事件は、汐留駅に届いた黒いトランクが
異臭を放っていたらめ、中身を検めたところ、一人の男の
腐乱死体が入っていたことから端を発します。
死体をなにかに詰めて発送する…ああ、まさにクロフツの「樽」を、
そして正史の「蝶々殺人事件」を髣髴とさせるではありませんか!

ところで、この「黒いトランク」は、現在
光文社文庫版と創元文庫版の二種類がありますが、
前者は講談社の初刊版、後者は数多く存在する改稿版の最終的な形です。
わたしはそんな予備知識もなかったため、
どっちがいいだろうかと書店で手にして迷い、
口絵に生原稿の写真が載っていた光文社版を手にしました。

光文社版の巻末には、改稿についても言及がありました。
また、この作品が世に出た経緯を鮎川本人が書き綴った文章が
2つ載せてあり、理解の助けになりました。
そして、「トリック図解」これがよくできてます!
読み終わってから見ると、うおお~~~と目からウロコが。
こういう資料性の高さは、やはり光文社。楽しかったです。

内容に関する感想ですが、正直、ラストがちょっと物足りなかった。
こつこつアリバイを崩してゆく旅を、鬼貫と共に読者もしてるので
やはりラストにはカタルシスがほしいかも~と思いました。
それから、殺害の動機はともかく、ああまでややこしい
トランクのトリックをわざわざ仕込んだ犯人の心理が、
あとから取ってつけたような印象がしました。

それから、この作品にはアリバイ崩しだけではなく、
戦争や、弱いものへの暴力に対する(憎しみに近い)感情が印象的です。
あの時代の作家達…いえ、作家に限らないですね、人々の、
戦争に対する感情は、想像を絶するものがあるように感じました。
これは、江戸川乱歩の「探偵小説四十年」を読んでも、
そこかしこにちらほらと読み取ることができます。
乱歩の場合は、鮎川に比べるともっと淡々としていますが、
根底は同じように苦々しいものがあったのではないかと察しました。

…と、ここは戦争論を述べるブログではありませんので
本題に戻りますが、ここまで感想の文章を長々と書いているのは
この話がとてもとても面白かったからにほかなりません。
謎解きのヒントになるようなことは、ここでは触れないようにしたつもりです。
ぜひ、ご一読を! 素晴らしいです。

●初刊本の復刻
黒いトランク 鬼貫警部事件簿―鮎川哲也コレクション
鮎川 哲也
光文社版


●最終版の復刻
黒いトランク
鮎川 哲也
4488403034

2007年5月31日

憎悪の化石

鮎川哲也の1959年の作品です。

「黒いトランク」では容疑者少なすぎない!?と
思ったりしましたが、今回は容疑者が1ダース!
しかも、最初の捜査は、熱海署の警部たちで、途中から
警視庁にバトンが渡されます。

とにかく、登場人物が多いです。
が、その煩雑さを感じさせない筆の力。これはすごいなぁ。
しかも、目されていた殺人の動機が二展三展し、
予想をどんどん裏切る展開が気持ちいい!
とても面白かったです。

前半は、熱海署の警部たちが懸命に捜査をしますが、
後半になって鬼貫&丹那コンビにバトンが渡されます。

読者は、彼らと一緒に捜査の旅に出ますが、
凡人探偵と一緒に旅をするこの感じは、
やはりクロフツを髣髴とさせると言われても
それは否定しなくてもよいのでは…と思います。
鮎川の場合、さらに日本人作家らしさがあいまって、
情緒溢れる作品になっています。

その情緒に色を添えているのが、文章の美しさだと思います。
ときどき垣間見せるペダントリーな描写も鼻につくことなく
ミステリ色に染まりかけた世界をふわりと知的に彩っています。

いやー、面白かったです。とてもとてもよかった!
タイトルもいいですね。


憎悪の化石
鮎川 哲也
4488403050

2007年7月22日

人それを情死と呼ぶ

初出は1961年週刊文春の作品。
わたしが読んだのは光文社文庫版で、
これは1977年角川版を底本に鮎川哲也自らが若干改訂を施したものです。
鮎川の改訂癖はスゴイですね。
鮎川マニアの人は、いったい同じタイトルの本を
何冊持っているのでしょうか。

鮎川哲也は、推理小説のなかでは
美しく読みやすい文章を書く作家だと思います。
水のようにするすると入ってくる感じは
独断ですが重松清に通じるものがあるように感じます。

「人それを情死と呼ぶ」というタイトルが示すとおり、
情死とされたものの、実は偽装殺人ではないのか、
と疑惑がもたれるところから物語が進行します。
そこにいたる描写のよどみない感じ、さすがだと思いました。
ひとつひとつのアリバイを裏付けてゆく過程も
多少の意外性を含みながらも、あくまでもリアルです。

ひとつだけ、どうしても気になった点というのは
女性の描写が一辺倒であるところでした。
鮎川作品に登場する男性は、皆、際立った個性をもち
魅力的であるのに、なぜ女性キャラの魅力に欠けるのだろう。

「黒いトランク」や「憎悪の化石」では
女性キャラというのはそんなに重要ではなかったと思います。
「トランク」に登場する唯一の女性は
鬼貫の捜査の原動力として描かれているに過ぎなかったし、
「化石」では、極論から言えば女性が男性になったところで
そんなに意味に違いはなかったと思います。
が、「情死」での女性キャラクターは、とても重要な存在であり
「聡明な女性」と評されている由美と
「美しい妻」の照子が入れ替わったところで
どう違いがあるのかわからない。そこが、ほんとうに残念。

ラストの余韻は美しいと思いました。
面白くて一気に読み進めてしまう手腕に、今回もやられたー
という感じですが、細かいところが気になってしまったのは
この作家の文章がわかってきたせいもあるかもしれません。

…と、いろいろ書きましたが、とても面白かったためです。
太鼓判押せます。ドン!

人それを情死と呼ぶ―鬼貫警部事件簿 (光文社文庫―鮎川哲也コレクション)
鮎川 哲也
4334731791

2007年8月24日

黒い白鳥

黒い白鳥 (創元推理文庫)
鮎川 哲也
4488403042

1959年の作品。
「宝石」に1回100ページ単位で掲載されていたらしい。
冒頭に、乱歩による絶賛文が掲載されているが、いやホント、名作です。
練りに練られた、という印象で、とにかく隙がない。
複線だらけ。ささいな失敗すら、複線。
途中で「んんっ!?」と思うたび、なんどか読み返して
うう、そういうことか!と唸る。推理小説の醍醐味がある。

労組と会社との対立の最中に、社長が殺される。
社長に恨みを持つもの、社長の死によって得をするもの、の
2方向から、被疑者を絞り込んでいく。
その過程に出てくる新興宗教の存在が、もっとくさいのかな
とおもっていたら、そこはあんまりたいしたことなかった。
読者が(というかわたしが)よそに目を向けていると、
突如あまり注目していなかった人物にスポットライトがあたって
状況がぐるぐると変化してゆく。思いがけない展開に驚いた。
特に事故のシーンからの展開はすさまじいと思った。

鬼貫が聞き込みの最中に、いぶかしげな顔をする相手に対し、
「いや、これは関係者11人全員に聞いて回っているんです」云々
と述べる件があった。
これって、同時に執筆されていた「憎悪の化石」だよね。
思わずクスリ。こういう「クスッ」が、きっと随所にあるに違いない。
鮎川歴が浅いわたしには、ここのところと、
「黒いトランク」の件しか見つけられなかった。楽しいなぁ。

鮎川の作品では旅の描写が多い。モチロンこれは旅情を誘う。
電車で読むのがぴったり。
それは多くの人も認めるところだろうけど、のみならず
食べ物の描写でも振るってると思う。
鬼貫同様、わたしもお酒はいけない口だが、ビールが美味しそう。
今年みたいに暑い夏、ビール好きの人が読んだら、
絶対読後に飲むと思った。

女性の描写は、これまで読んだ中では一番好感を持った。
というか、文江がいい。
美人はこうであってほしい。かっこよかった。うんうん。

2007年12月31日

今年よかった本

おそらく一種の逃避だと思いますが、今年もよく本を読んだ。古い本から新しいものまで。いろいろと。そのなかで、特に印象的だったものをピックアップ。

・「砲台島」三咲 光郎
砲台島 (ハヤカワ・ミステリワールド)
戦時下をモチーフにした作品が多い作家さんで、実を言うと、結構突っ込みどころが多い。多いのだけど、クライマックスの壮大さには舌を巻く。凄い巧いと思う。あと引く作家さん。かなりツボです。いい編集さんと組んで、時代考証や、思想、言葉遣いを徹底しながら書いたらもっといいだろうなと思う。

・「犬は勘定に入れません」コニー・ウィリス
犬は勘定に入れません...あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎
長いんだけど、めちゃくちゃ面白かった!「ドゥームズデイ・ブック」といい、「犬勘定」といい、キャラクターがすごくいい。とにかく巧い。大森望さんの翻訳もすばらしい。女性コトバが洗練されている。

・「黒いトランク」鮎川哲也
黒いトランク (創元推理文庫)
クロフツの「樽」を髣髴とさせるのは、設定が似てるだけじゃないと思う。読み終わったあと、もう一度読み返したくなる。重さとドラマがあるなー、と。それにしても、かなり複雑!そのあたりも「樽」といい勝負。

・「デス博士の島その他の物語」ジーン・ウルフ
デス博士の島その他の物語 (未来の文学)
比類なき物語!深読み必須。「アメリカの七夜」は謎だらけ。ラストの「眼閃の奇蹟」で、気持ちが救われた感じがした。短編集なのにね。一冊を通じてものすごかった。巧くいえないなぁ。ああ、じれったい。

・「デッドアイ・ディック」カート・ヴォネガット
デッドアイ・ディック (ハヤカワ文庫SF)
今年はヴォネガット逝去のショックが大きくて、著書の大半を読み返したが、なかでも「デッド」は凄いと思った。調子がいい、構成がうまい、あっと驚くサプライズがそこかしこにある。やがてページの残りが少なくなり、物語の終わりに気がつくと読者たるわたしは、寂しい気持ちになる。

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