第二文学山房

左:アインシュタイン交点(サミュエル・R・ディレイニー)
右:アンドロイドは電気羊の夢を見るか(フィリップ・K・ディック)

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アインシュタイン交点

アインシュタイン交点

無謀だと思った。「アインシュタイン交点」を絵にすることは。
第一、曖昧模糊としていて理解できなかった。
なのに、目まぐるしい色彩と造形の洪水が、行間から押し寄せてきたのだから、仕方ないじゃないか。
その第一印象を絵に描いておくことは悪いことじゃない。

まずは、もともとのタイトル「A Fabulous, Formless Darkness(摩訶不思議な混沌とした闇黒)」
という言葉に惹かれた。そして、冒頭のフィネガンズ・ウェイク、これにもう打ちのめされた。
冒頭の「あたりが暗くなる、(色が衰え/沈々と静まり)......」これだけが動機で「アインシュタイン交点」を描いた。

ところが、描き上がって気がついたことがある。
訳者あとがきで、伊藤典夫さんが「前回読んだ印象では、音楽を奏でる剣やら、ドラゴンやら、食肉花やら、
SFというより安っぽいヒロイック・ファンタジィと見まがうような物語。
ところがその背後に、これほどたくさんの意味と緊密なロジックが潜んでいたとは……」云々と綴ったくだりがあった。

……音楽を奏でる剣やら、ドラゴンやら、食肉花やらって、や……やばい、描いた絵もそのまんまだ! 
ファースト・インプレッション、ということで、どうかご容赦いただきたい。
再読を待って、湧いたイメージは、きっとまた違ったものだろう。
そのときに、もう一度挑戦できればいいと思っている。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか

アンドロイドは電気羊の夢を見るか

昨年、「ブレードランナー」のファイナル・カット版の上映があり、
ブレラン好きとしてはこれは抑えておかねば!と、夫と二人で新宿の映画館に向かった。
とにかく音がすばらしく、ストーリーは何度も見てるから目新しさはないけれど、
ともかくあんなに雨が降ってたっけ!?と改めて驚いた。
映画館を出ても、「ああ、そういえば外は雨だっけ」と錯覚を起こしたほどだ。
そして、映画館を出て一望した新宿の夜景ときたら! 
まさにブレランの世界観そのものだった。雨が降っていればカンペキだったろう。

ただし、原作のフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界観は真逆だ。
雨なんか一滴たりとも降らない。どちらかといえば、放射能をたっぷり含んだ砂塵吹きすさぶ、廃ビルだらけの世界。
乾いているのだ。リドリー・スコットが、この物語を映画化する際に取った意訳が、どれだけ思い切ったものか。
それに、すばらしい世界観だった。
そこに敬意を表したいと思うと同時に、やっぱ違うよね、という思いもあり、原作に沿ったビジュアルを心がけてみた。

生きている動物を飼うことがステイタスで、地位の象徴でもあった未来の地球。
賞金稼ぎをして、その大金で動物を買う「原作のリック・デッカード」は、映画よりももっともっと人間臭い。
全然かっこよくはない。だから、かっこいい絵にはしなかった。 これも一つの世界観だと思う。
ディックが織り込んだ、心象世界の描写に、わたしは触れられなかったが、そこに着目し、
表現したオリジナル文庫版の表紙を手がけたイラストレーター・中西信行さんにも改めて敬意を表したいと思う。