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2010年3月27日

OSAMUファン

ミスド40周年

ミスドが40周年を記念して原田治さんを期間限定で復活させている。このニュースを知ったのは実はバナー広告で、「ふぅん、ミスドかぁ……」って実は一度見過ごしてしまい、「……ん? あれOSAMUじゃなかった……?」と二度見状態で気がついた。そのくらいミスドとOSAMUキャラはしっくり馴染んでいるのだ。

そして、袋ほしさに今日出向いたミスドで、無事に紙袋ゲット! 袋にプリントされたシンプルなOSAMUキャラの可愛いこと可愛いこと! 今見ても古さを全く感じさせない。なんて洗練されているんだ。すばらしい。そして、とても嬉しい。

かつてわたしが一番好きだった文具ブランドは、圧倒的に「OSAMU'S MOTHER GOOSE」だ。バッグも櫛も文具は何でも揃えられる限りOSAMU GOODSで揃えた。幸いなことにOSAMU GOODSの売り場が近所の文具屋さんにあったのだけど、その一角だけもう独特の色使い・質感のアイテムであふれかえってた。『ファンシーグッズ』にありがちな甘さをあまり感じないし、ちょっとコワイ感じがまたよかった。中でも、ハーシーズを彷彿とさせるカラーリングの Jack & Gill のスクールバッグ、今思い出してもあのバッグが一番かっこいいと思う。原田治さんのサイトには載ってないので残念なんだけど……。

ミスドできっと大勢の人が再び魅了された(と思う)OSAMUキャラ。これを機に、ぜひとも OSAMU'S MOTHER GOOSE を復活して欲しいと思う。今の時代、このセンスが足りないんじゃないかと思う。最高にキャッチー。どこまでもポップ。誰よりもハイセンス。

投稿者 YOUCHAN : 22:31 | コメント (0)

ハッシュタグ

個展関連のTweetを抽出できるよう、Twitterのハッシュタグを作って今日から運用。Twitterはアカウントを持っていなくても誰でも観ることが出来るので便利。ぜひご覧下さい。

個展ハッシュタグ( #y_koten10 )まとめページ

投稿者 YOUCHAN : 17:54 | コメント (0)

2010年3月24日

Kindleのカバー

Kindleを貰ってから、外出時の電車ではもっぱらKindleを読んでいます。文庫がちょうど読み終わったところで切りが良かったせいもありますが、実際に慣れない英文を読めるかどうか試してみたい好奇心が勝ってしまいました。……結構読めます! いや、さすがヴォネガット、こういう言い回しだったのかと感心するコトしきり。英英辞典がデフォルトで入っているので、わからない単語はシームレスに調べられるので、なんとかかんとか、スローペースで読めています。それでもわからない言葉は、夜に翻訳の「スローターハウス5」で確認して、あっなるほど!と感心したりしてます。

一つ問題があって、日本ではKindle専用カバーが安価に手に入らないのと、あったとしても革製で非常に重い。これでは意味がないなぁと思っていたら、知人がKindleカバーを既存のブックカバーを使って手作りしていました。そのブログエントリーを拝読して、をを、これだ!と思い、わたしもさっそくマネしてみました。私が使ったのは布製の四六版のブックカバーです。

Kindleカバー

台紙とカバーに両面テープで本体を固定して動かないようにしています。両面テープなので強度が気になりますが、普通に使う分には問題なさそう。カバーだけを持ってぶん回したりしなければ、本体が落ちることはまずないと思います(とは言ってもいつかは粘着も落ちてくると思うので、ときどきメンテナンスは必要だと思います)。この「本体の固定」と軽量化の問題がクリアされる製品も、日本でも追々出てくると思いますが、それまではこれでしのごうと思います。

昨日、さっそくこれで出かけてみましたが、満員電車でこのタイプのカバーを使うときは、左側のカバーをぐるっと折り曲げて使います。省スペースでいい感じです。二つ折りに耐えられるよう、台紙とカバーはノドの部分を特に広範囲で接着します。

投稿者 YOUCHAN : 19:58 | コメント (0)

個展の準備

個展の準備

もうあと2ヶ月で個展なんですが、まだラフスケッチの段階です。遅れ過ぎなのですが、どうしたら「現時点ではこれが限界点」って言うような悔いのない作品が出来るか、うんうん悩みながらラフを描いているので、とても時間がかかっています。現時点で出来ているラフをざっと広げて写真に撮ってみました。どんな小説がどのラフなのかは、追々明らかにしていきたいです。そろそろDMも作らないと行けないので、ラフは一旦ストップして、作画に入ろうと思います。楽しみ!

投稿者 YOUCHAN : 19:53 | コメント (0)

2010年3月20日

装丁画の仕事

二冊の装丁画

今月末は装丁画を私が担当した本が二冊発売されます。右が高校生の俳句を集めた新書「17音の青春2010」NHK出版)、左が太田忠司さんのショートショート集「星町の物語」理論社)。一冊ずつ紹介していきます。

 

17音の青春

この本は連絡が来てから納品まで半月ないくらいの超スピード制作で、装丁デザインを担当したOFFICE.103の岩上さんに負うところが大きかった(改めて岩上さんには感謝です!)。スピード感を持って仕上げた仕事で、その勢いが高校生の瑞々しさにつながってよい相乗効果が生まれているように思います。ちなみに、帯を取ると高校生がいる仕掛けの、新書サイズのソフトカバーです。華やかな印象に仕上がりました。ぜひぜひ書店で手にとってご覧下さい。色がきれいに出たのもこれまた嬉しい。

 

星町の物語

一方コチラは半年近くかけてあーだこーだとみんなで額をつきあわせて試行錯誤して生み出したモノ。編集の光森優子さんとデザインのタイプフェイスさんには妥協の文字がないのか!と。終わるのが惜しい仕事だったけど、出来上がってきた見本を見て、わたしが関与しなかったところ(造本や用紙、本文レイアウト等)隅々まで関わった人の手が行き届いて、まったく何という佇まいの一冊なんだろう、とため息が……。「星町」作者の太田さんにとって、ショートショートがどんなに特別な存在であるかはブログを拝読すればひしひしと伝わってくるのだけど、その思いに負けないだけの堂々たる完成度ではないかと思いました。

「星町の物語」カバーを取ったところ

「星町の物語」のキラキラなカバーを取ったところ。むむ。もうこれだけでも充分カッコイイ……。図書館でカバーが捨てられてもこれならダイジョウブだと思いました。角背なので、詩集のような上品な仕上がり。

星町地図

で、これが星町の地図。実はこれが目次。紙もステキなので、ぜひ書店で実物を手にとって欲しいです。

「星町の物語」も「17音の青春」も早いところではこの連休明けくらいから書店に並ぶと思います。それから、個展でこの二冊は原画を展示します。実際に装丁として仕上がったときと、絵単体で見たときの印象の違いもお楽しみ頂ければと思います。

投稿者 YOUCHAN : 16:42 | コメント (0)

今年の誕生日。

Kindle表示画面。

「原著も英英辞書引きながらなら読めるかなぁ」ぽそりとわたしが呟いたのを彼は聞き逃さなかった。

とういうことで、お誕生日にNORIからKindleが贈られた。今は個展の準備もあるから、は、はまらないぞ!と思ってはいるモノの、Amazon.comのIDを設定したら、Webの方でもさっそく反映されているし、1clickでさくっと買えるし、試し読みが出来るしで、非常に危険だ。Kindleのハードの使い勝手は直感的で、右下のトラックポイントをぐりぐり動かすと本文にカーソルが現れ、カーソルが示す単語の意味が下方に表示されるので、シームレスに辞書を引きながら本が読める。これはすごいことだー。うわー!!!

と言いながら、わたし自身は取説やメールを読む程度にしか英語力がないので、まずは何度も翻訳を読み返して頭にたたき込まれている「スローターハウス5」から原著でトライすることにした。この冒頭の書き出しから鳥肌が……。ヴォネガットは英語でもヴォネガットだった(当たり前だけど)。訳文で感じていたヴォネガットの持ち味が、原著でも同じような感じで読めるこの不思議。伊藤典夫さんってすごいなぁと改めて思ったり。

投稿者 YOUCHAN : 16:30 | コメント (0)

今年のホワイトデー

大福と大賀仲良しショット

いつもホントに仲の悪い二人がめずらしく一緒にいる様子を、これまた珍しく写真に撮ることができた。そんなホワイトデーでありました。嗚呼、仲良きことは美しき哉。しかしながら、今日(3月20日)すごい剣幕でネコパンチを繰り出し合う喧嘩をしてました……。やっぱ仲悪い。

ホワイトデー

一方、人間はネコのようにパンチを繰り出すような喧嘩はしません。ということで、いただいたモノ。昨日ようやく食べ終わりました。箱も可愛いので取っておくのだ。

投稿者 YOUCHAN : 16:24 | コメント (2)

2010年3月12日

浅倉久志先生のこと。

浅倉久志先生の訃報からひと月近く経って、その間何をしていたかというと、まさに不幸中の幸いとばかり、仕事の締め切りが連日あり、作画に追われていたり、3月5日には徳間三賞のパーティーとその前にSF作家クラブの総会があったり、また、企画が動いてその資料を作っていたり、別件でサンプルイラストを描いていたりと、実に充実していた。けれど、心にぽっかり穴が空いてしまったような状態に陥っていたのは本当で、しばらく本棚に近づくのがいやだった。

個展の準備に忙殺される前に(すでに忙殺の段階には入っているけれど)、浅倉先生のことを書いておこうと思う。

さっき、「しばらく本棚に近づくのがいやだった」と書いたが、わたしの翻訳文学好きは浅倉久志仕込みであると言っても過言ではない。読了した本は、あふれかえる前にケースに詰めて、納戸にしまっておくのだが、気に入っている本や再読したいモノは書棚の一番いい場所に陳列しておく。そこに並ぶ翻訳本の内、三分の一くらいは訳者に「浅倉久志」と銘打たれている。エッセイ集が国書刊行会から出たときは嬉しくて嬉しくて小躍りした。今もリビングの書棚には、これらの本が一番いい場所に納まっていて、いつでも手に取ることが出来るようになっている。

わたしが初めて「浅倉訳」に出会ったのはカート・ヴォネガットの「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」。「スローターハウス5」で受けた衝撃そのままに、二冊目のヴォネガットとして選んだのがローズウォーターさんだった。そして『訳者あとがき』の穏やかな文章にすっかり魅了された。読後感を損なわない暖かな幕引きのコトバを、おそらく本文以上に何度も繰り返し読んだと思う。その次は「ジェイルバード」だったはず。伊藤典夫さんの名訳「猫のゆりかご」は、白状してしまうと、他のヴォネガット作品をある程度揃えてから手にしたのだ。ずっとずっと後になったその理由は「訳者が違うから」であった。当時19歳。なんとまあ。「スローターハウス5」であんなに感動したくせに……。(ちなみにこの頃は夢野久作をはじめとする探偵小説にもはまっていた。久作とヴォネガット……なんという取り合わせだろう)

ヴォネガットにすっかりはまった頃、文庫で「九百人のお祖母さん」が出た。わぁ、浅倉久志訳だぁー!と、迷わず手に取った。書店でお祖母さんのポップがゆらゆら揺らめいていた様子を今もハッキリ思い出せる。しかし、勇んで手に取ったのはいいが、当時のわたしにはラファティの良さがさっぱりわからなくて、実はギブアップした。ちなみにラファティの面白さに目覚めたのは二十一世紀に入ってから。なにやってんだか一体。それでも、「翻訳物なら浅倉印」というのが翻訳文学を選ぶ際の基準になっていたのは、ずっとずっと変わらなかった。なんだかわからないけど、とにかく安心して読めたのだ。ヴォネガット、ディック、ティプトリー、それから初めて聞く名前の作者による短編集……。彼らの傍には、いつもの『訳者あとがき』があった。

 

2007年にヴォネガット逝去のニュースが飛び込んできて、わたしは一度もヴォネガットにファンレターを書かなかったことを後悔した。「大切なことを沢山教えて貰いました、ありがとう」となぜ伝えなかったんだろう。本当にそのことを悔やんだ。そうこうしているうちに、ヴォネガットの最後の著書(エッセイ集)がハヤカワでない版元から出るというニュースが。しかも、訳者が浅倉久志訳でも伊藤典夫訳でもないという。どうなっているんだ!?と、発売されるや否や購入、帰りの電車で読み始めた。……何かが違う。書いてある内容は「タイムクエイク」とかなりかぶっている。なのに。何が違うのかわからない、けれども、いつものようにヴォネガットの世界に飛び込めない。

ヴォネガットに手紙を出せなくて後悔したことを思った。こんな形でヴォネガットを読むのではなく、ちゃんといつものように読みたい。そう思って、わたしは早川書房に手紙を出した。(この頃はまだハヤカワとのつきあいはなかった)。「浅倉久志さんの訳で出してください」と。数日後、早川書房からは丁寧なハガキが届いた。無理です、と。当たり前だ。

その数日後、丁寧な筆跡の封書が届いた。差出人に「浅倉久志」とあった。腰が抜けそうなくらい驚いた。返事を下さいとは書かなかったのに。本物!?えー!!!本当に驚いた。そして、その手紙には、ファンレターを貰ったのがとても久しぶりで感激したこと、あの本についてはやはり無理でしょう、ということが書かれていた。これがきっかけで、浅倉先生と手紙をやりとりするようになった。

そして、横浜で開催されたワールドコンで浅倉先生にサインを頂いて感激の対面を果たしたのだけど(この辺の顛末は当時のブログ「ワールドコンに行ってきた」参照)、やはりワールドコンで巽孝之教授と知り合うきっかけが生まれたり、その後にSFマガジンでお仕事をさせて頂いたり、SF界に徐々に縁がつながっていった。そしてSF作家クラブに入会したり(これは巽先生のお力添えが大)、周辺でいろいろあったのだけど、節目節目で浅倉先生にはいつもお世話になった。わたしが2009年のSFマガジンの読者賞(イラストレーター部門)を頂いたとき、真っ先に祝辞をくださったのは浅倉先生だった。また、二年前の個展にも足を運んでくださって、その場に居合わせたお客さんみんなが直立不動になってしまったのを思い出す。そして、わたしが好きそうな翻訳が出るたび、浅倉先生は一冊送って下さった。特に2008年は出版が多く、月に三冊出たときには「さすがにばてました」と「訳者謹呈」の札に書かれてあった。わたしが最後にいただいたのは、ヴォネガットの「お日さま お月さま お星さま」だった。イブに届いたその本には、クリスマスカードが添えられていた。

浅倉先生にとってわたしはファンの延長のちっぽけな存在だ。それなのに、そんなわたしにもすごく優しく、真摯に接してくださった。本当に大きな存在だった。もう新訳が読めないなんて信じられない……。改めて、追悼の意を捧げたい。読者としては人生の半分以上お世話になり、知人としては二年半もの間お世話になり、ありがとうございました。どうかゆっくりお休み下さい。

 

余談。
浅倉先生逝去の報の後、しばらく他の本が読めなくなって、ヴォネガットをパラパラと読み返していた。が、ホントはそんなことしている時間はない。個展の準備が大幅に遅れているのだ。そこで、個展の題材にヴォネガットを一つ選ぶつもりだったので、モチーフを探すという理由で読もう、と自分自身を納得させ、「追憶のハルマゲドン」を再読した。なかなか短編でいつものヴォネガット節を堪能することは難しいのだけど、これは珍しく「いつもの調子」が発揮された短編作品で、以前大絶賛したことがある。今回読み返してみて、改めてこれはすごいぞと思った。ヴォネガットというプールにどぼんと飛び込んで、クロール、バタフライ、平泳ぎ……なんでもござれ! そんな感覚は、やはりヴォネガットならではだ。そしてそれは「浅倉久志訳」でなくては味わえない醍醐味なんだろう。ヴォネガットを読み終えるのがいつも惜しいのは、きっとそういう理由