野球はなくならない

わたしは野球は見ないんだけど(スポーツに興味がないのだ)、
最近のプロ野球オーナー云々には興味を持って見ていた。
堀江社長、このさい関口会長と組んで新リーグ作っちゃえよ!
とか思った。半分本気。本気とかいてマジと読む。

で、先月の輸入CD規正法のときと同じ感想を、わたしゃ持った。

そもそも「野球」は「プロ野球」がなくては成立しないものなの?
既存の器に頼りすぎてるような気がしない?

音楽の話になるけど、
やれCCCDだ、やれ輸入規正法だ、と音楽ファンは怒り心頭ながらも冷静だった。
大体、そういう措置をとるレコ会社に意見する音楽家は少ない。
CCCDがどういうことなのか、関心が薄いのだ。
音楽家の意識の低さが、こういうレコ会社をのさばらせた元凶じゃないの?

でも、心ある人々は「なにがあっても音楽はなくならない」と結論を出した。

昔、山下達郎がアカペラで「on the street corner」を出した理由として、
「電気がなくなっても声があれば音楽を続けられるから」と言った。
当時中学生だったわたしに、その言葉がキョーレツに残った。

手段に頼りすぎるな、といわれた気がした。
パソコンがなくちゃ作品が残せないわけはない。
手が動かなければ作品が残せないわけはない。
紙がなくちゃ作品が残せないわけはない。
たまたま、手段として、自分自身にとって得意な方法が
パソコンだったり、絵だったりしただけ。
遠回りしてでも、手段なんていくらでもある。

唯一の手段を死守するのは危険だとも思う。

話が脱線したけど、音楽は産業になる前から暮らしに根付き、
人々の心を支えてきた。だからなくならない。わたしもそう思う。

野球もそうじゃないのか?