あの頃、マリー・ローランサン

Twitterで知ったときは「何故!?」と思った。ただただボーゼンとした。加藤和彦。トノバンはいつだって飄々と音楽をしている存在だと思っていた。自殺とのイメージがつながらなかった。最近では土屋昌巳と屋敷豪太と小原礼とバンドやってるニュースを見聞きして、うわーなんだそれ!?すごいメンツだ~と思ってたくらいで、本当に全然結びつかない。

わたし自身、トノバンを聴いていたのは二十歳くらいだった。大貫妙子の「アヴァンチュール」のアレンジか楽曲提供だかをトノバンがしていたので気になって、アルバムを手にしたのがきっかけだった。それが「あの頃、マリー・ローランサン」だった。画家のマリー・ローランサン本人のことにもかなりはまっていた時期で、ギョーム・アポリネールがマリーとの悲恋を歌った「ミラボー橋」は諳んじるほど読み返した。ター坊のアルバムにもローランサン周辺にも共通しているのだけど、トノバンの音楽で描かれる恋人達や芸術家達のスタイリッシュでひたむきな姿は、丸ごと当時のわたしのあこがれだった。

あこがれは輝きばかりではなく、喪失したものへの愛惜も含まれる。トノバンの「優しい夜の過し方」、今聴いても鳥肌が立つほど感動する。

それにしても、最近になって(正直、再結成に興味が全くなかったためチェックが遅れ、ものすごーくわたし自身損してきた)YMOの、あの健やかなまでに成熟した、美しく、優しく、端正な音楽に触れたばかりで、トノバンの訃報は悲しすぎる。今の音があるはずだと思う。懐かしさではなく、経験を重ねた人だけが奏でることの出来る音が。YMOでそれを感じた。涙が出た。大きなうねりの中、変わらない淡々とした毎日を愛おしく見つめるそのまなざしは、かつてのYMOにはなかった。今の、21世紀のYMOにはそれがある。

トノバンの自死は、直接面識のないファンであるわたしにとっても断絶だった。逝ってほしくなかった。本当にそう思う。悲しくて 悲しくて とてもやりきれない、と歌ったのは誰でもないトノバンだったのに。

あの頃,マリーローランサン


アヴァンチュール

The City of Light

アポリネール詩集 (新潮文庫)