浅倉久志先生のこと。

浅倉久志先生の訃報からひと月近く経って、その間何をしていたかというと、まさに不幸中の幸いとばかり、仕事の締め切りが連日あり、作画に追われていたり、3月5日には徳間三賞のパーティーとその前にSF作家クラブの総会があったり、また、企画が動いてその資料を作っていたり、別件でサンプルイラストを描いていたりと、実に充実していた。けれど、心にぽっかり穴が空いてしまったような状態に陥っていたのは本当で、しばらく本棚に近づくのがいやだった。

個展の準備に忙殺される前に(すでに忙殺の段階には入っているけれど)、浅倉先生のことを書いておこうと思う。

さっき、「しばらく本棚に近づくのがいやだった」と書いたが、わたしの翻訳文学好きは浅倉久志仕込みであると言っても過言ではない。読了した本は、あふれかえる前にケースに詰めて、納戸にしまっておくのだが、気に入っている本や再読したいモノは書棚の一番いい場所に陳列しておく。そこに並ぶ翻訳本の内、三分の一くらいは訳者に「浅倉久志」と銘打たれている。エッセイ集が国書刊行会から出たときは嬉しくて嬉しくて小躍りした。今もリビングの書棚には、これらの本が一番いい場所に納まっていて、いつでも手に取ることが出来るようになっている。

わたしが初めて「浅倉訳」に出会ったのはカート・ヴォネガットの「ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを」。「スローターハウス5」で受けた衝撃そのままに、二冊目のヴォネガットとして選んだのがローズウォーターさんだった。そして『訳者あとがき』の穏やかな文章にすっかり魅了された。読後感を損なわない暖かな幕引きのコトバを、おそらく本文以上に何度も繰り返し読んだと思う。その次は「ジェイルバード」だったはず。伊藤典夫さんの名訳「猫のゆりかご」は、白状してしまうと、他のヴォネガット作品をある程度揃えてから手にしたのだ。ずっとずっと後になったその理由は「訳者が違うから」であった。当時19歳。なんとまあ。「スローターハウス5」であんなに感動したくせに……。(ちなみにこの頃は夢野久作をはじめとする探偵小説にもはまっていた。久作とヴォネガット……なんという取り合わせだろう)

ヴォネガットにすっかりはまった頃、文庫で「九百人のお祖母さん」が出た。わぁ、浅倉久志訳だぁー!と、迷わず手に取った。書店でお祖母さんのポップがゆらゆら揺らめいていた様子を今もハッキリ思い出せる。しかし、勇んで手に取ったのはいいが、当時のわたしにはラファティの良さがさっぱりわからなくて、実はギブアップした。ちなみにラファティの面白さに目覚めたのは二十一世紀に入ってから。なにやってんだか一体。それでも、「翻訳物なら浅倉印」というのが翻訳文学を選ぶ際の基準になっていたのは、ずっとずっと変わらなかった。なんだかわからないけど、とにかく安心して読めたのだ。ヴォネガット、ディック、ティプトリー、それから初めて聞く名前の作者による短編集……。彼らの傍には、いつもの『訳者あとがき』があった。

 

2007年にヴォネガット逝去のニュースが飛び込んできて、わたしは一度もヴォネガットにファンレターを書かなかったことを後悔した。「大切なことを沢山教えて貰いました、ありがとう」となぜ伝えなかったんだろう。本当にそのことを悔やんだ。そうこうしているうちに、ヴォネガットの最後の著書(エッセイ集)がハヤカワでない版元から出るというニュースが。しかも、訳者が浅倉久志訳でも伊藤典夫訳でもないという。どうなっているんだ!?と、発売されるや否や購入、帰りの電車で読み始めた。……何かが違う。書いてある内容は「タイムクエイク」とかなりかぶっている。なのに。何が違うのかわからない、けれども、いつものようにヴォネガットの世界に飛び込めない。

ヴォネガットに手紙を出せなくて後悔したことを思った。こんな形でヴォネガットを読むのではなく、ちゃんといつものように読みたい。そう思って、わたしは早川書房に手紙を出した。(この頃はまだハヤカワとのつきあいはなかった)。「浅倉久志さんの訳で出してください」と。数日後、早川書房からは丁寧なハガキが届いた。無理です、と。当たり前だ。

その数日後、丁寧な筆跡の封書が届いた。差出人に「浅倉久志」とあった。腰が抜けそうなくらい驚いた。返事を下さいとは書かなかったのに。本物!?えー!!!本当に驚いた。そして、その手紙には、ファンレターを貰ったのがとても久しぶりで感激したこと、あの本についてはやはり無理でしょう、ということが書かれていた。これがきっかけで、浅倉先生と手紙をやりとりするようになった。

そして、横浜で開催されたワールドコンで浅倉先生にサインを頂いて感激の対面を果たしたのだけど(この辺の顛末は当時のブログ「ワールドコンに行ってきた」参照)、やはりワールドコンで巽孝之教授と知り合うきっかけが生まれたり、その後にSFマガジンでお仕事をさせて頂いたり、SF界に徐々に縁がつながっていった。そしてSF作家クラブに入会したり(これは巽先生のお力添えが大)、周辺でいろいろあったのだけど、節目節目で浅倉先生にはいつもお世話になった。わたしが2009年のSFマガジンの読者賞(イラストレーター部門)を頂いたとき、真っ先に祝辞をくださったのは浅倉先生だった。また、二年前の個展にも足を運んでくださって、その場に居合わせたお客さんみんなが直立不動になってしまったのを思い出す。そして、わたしが好きそうな翻訳が出るたび、浅倉先生は一冊送って下さった。特に2008年は出版が多く、月に三冊出たときには「さすがにばてました」と「訳者謹呈」の札に書かれてあった。わたしが最後にいただいたのは、ヴォネガットの「お日さま お月さま お星さま」だった。イブに届いたその本には、クリスマスカードが添えられていた。

浅倉先生にとってわたしはファンの延長のちっぽけな存在だ。それなのに、そんなわたしにもすごく優しく、真摯に接してくださった。本当に大きな存在だった。もう新訳が読めないなんて信じられない……。改めて、追悼の意を捧げたい。読者としては人生の半分以上お世話になり、知人としては二年半もの間お世話になり、ありがとうございました。どうかゆっくりお休み下さい。

 

余談。
浅倉先生逝去の報の後、しばらく他の本が読めなくなって、ヴォネガットをパラパラと読み返していた。が、ホントはそんなことしている時間はない。個展の準備が大幅に遅れているのだ。そこで、個展の題材にヴォネガットを一つ選ぶつもりだったので、モチーフを探すという理由で読もう、と自分自身を納得させ、「追憶のハルマゲドン」を再読した。なかなか短編でいつものヴォネガット節を堪能することは難しいのだけど、これは珍しく「いつもの調子」が発揮された短編作品で、以前大絶賛したことがある。今回読み返してみて、改めてこれはすごいぞと思った。ヴォネガットというプールにどぼんと飛び込んで、クロール、バタフライ、平泳ぎ……なんでもござれ! そんな感覚は、やはりヴォネガットならではだ。そしてそれは「浅倉久志訳」でなくては味わえない醍醐味なんだろう。ヴォネガットを読み終えるのがいつも惜しいのは、きっとそういう理由なんだ。なんと幸せな読書体験だろう!