« 本陣殺人事件 | メイン | 獄門島 »

2006年2月22日

自分の感受性くらい

茨木のり子さんがなくなったそうです。
大変驚きました。

茨木さんといえば「自分の感受性くらい」をよく引用している方を見かけます。
とても厳しい、がんと頭を殴られるようなコトバの強さに
皆、心を打たれるのです。

しかし。しかし。

「自分の感受性くらい」は、戦争で茨木さんが失いそうになったもの…
美しいものや、心優しいなにもかもを否定することに慣れきってしまった
「自分自身」に向けて書かれたものであり、
一般的に言われてるように、第三者を叱るために書いたものではない、と
茨木さんが、大学生のインタビューに答えておられました。

わたしは、これを読んで、茨木さんの深いところを
触ってしまったような気がしています。
現代に生きるわたしたちが「戦っている」状況と
当時、本当の「戦争」に晒された者とでは比べようがないではないか…。
そこに頭をガンと殴られたように感じました。

茨木さんの詩には、戦争のこと、家長制度のこと、
古くからのしきたりに囚われているさまざまな事柄に触れた
すばらしい詩がたくさんあります。

どう読むかは、読み手の感性にゆだねられてよいはずです。
きっとこの先も「自分の感受性くらい」に共感する人は
増えていくことだろうと思うのです。
思うのですが、そうであれ、そのコトバの背景にある状況も
きちんと伝える必要があるのではないか、とも。
ああ、まったくもって表裏一体です。

ご冥福をお祈りいたします。

おんなのことば
茨木 のり子
4924684783

投稿者 YOUCHAN : 2006年2月22日 03:15

頂いたコメント

ご冥福をお祈りします。
YOUCHANに教えてもらって読んだその詩の力強さは、忘れません。

投稿者 の : 2006年2月22日 03:45

初めまして。私の考えは「戦争」という有無を言わせない重さの言葉で、この詩をそんな高いところへ持っていかなくても良いのではない
かと考えました。戦争を知らない現代に生きる私達は、どうしても戦
争を経験した人にはかないません。でもこの人の詩に感動し共感し、自分自身を失いそうになったことを改め、この時代を力強く生き抜くことができたら。。戦争を知らない時代の私達にも必要な大切な詩だと思います。
「時代のせいにするな」戦争であってもなくてもどの時代に生きても
誰のせいでもない。自分の感受性は自分で守れ。だからこの詩に皆が
魅せられるのではないかと。失礼致しました。

投稿者 sa : 2006年2月27日 19:05

saさん、コメントありがとうございます。
saさんのおっしゃること、わたしもそう思う反面、日記に書いたことを感じました。

わたしは、この詩が大好きで、背景にあるものを知って、とても驚きました。
誰も彼もが「それは仕方のないことだった」と納得していた時代。
その時代に生きた自分自身に「ばかものよ」と
律するその強さ、厳しさに打たれ、襟を正すような気持ちになりました。
(ここが一番大きいです)

文学や詩は、時代に応じて、または読み手の状況に応じ、
どう読まれ解釈されてもよいもののはずです。
が、それだけではなく、その作品が描かれた背景を知ることも、
ひとつの深い感動を呼び覚ます契機になる、と感じました。

投稿者 YOUCHAN : 2006年2月28日 03:43

コメントはコチラからどうぞ★

お名前とメールアドレスは必須です。
ご記入いただいたメールアドレスは管理人宛てに届きますが、
当Blog上には表示しません。安心して投稿してください。
頂いたコメントは、管理人承認後に公開します。しばしお待ちください。



保存しますか?