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2008年12月30日
SはSFのS
Sparksのことを書いたらスグにこのエントリーも書こうと思っていたのに、仕事机周りを片付けだしたら全然終わらなかった。しかもまだ片付いてないし。年内に片付くのは無理かもしれない。とほほ。ということで、今年の個展のテーマだったSF。元々、カート・ヴォネガットが好きで、そのヴォネガットが亡くなったのが2007年。追悼の意味も込め、今年の個展をSFにしようと思い立った。これまでは、そんなにSFを読んではいなかったけれど、一昨年に読んだ浅倉久志先生の「ぼくがカンガルーに出会ったころ」が契機となって、どの作家を攻めていったらよいかの目星がついたのがラッキーだった。そして、ちょうどよいタイミングで発売された河出書房新社の「奇想コレクション」や、国書刊行会「未来の文学」シリーズの存在がとても大きかった。
それまで、「ヴォネガットはハヤカワから出てはいるけどSFではない」とずっと信じていた。だけど、スタージョンやディヴィッドスンを読んで、その認識が180度転換してしまった。あの発想、あの切り口、あの展開をSFと呼ばずしてなにをSFと呼ぶだろう。宇宙船が出てきたり、ヒロインが出てくるだけがSFではない。例えば、広瀬正「マイナス・ゼロ」のように、ミステリの持ち味を十二分に発揮したSFの存在だって忘れがたい。この間口の広さがとてもいいと思った。気づくのが遅すぎたけど、気づけてよかったなぁと本当に思った。
個展に話を戻すが、2006年に開催した個展でも小説をモチーフにしていた。けれど、ジャンルがまちまちで、ターゲットがよく絞れていなかったように思う。今回はSFに絞って、しかもわたしの嗜好に偏ったセレクションになったが、却って目指す方向性がはっきりできたようにも思う。絵そのものよりも、チョイスした小説をほめられることもあった。それはまたそれで嬉しかったりする。
また、今年は早川書房さんとお仕事させてもらえる機会を初めて得たことが、本当に大きかった。今年は2回描かせていただき、1回目はS-Fマガジン 2008年8月号「SFマガジンギャラリー」の掲載だった。2色刷りの5ページ展開で、その号の特集テーマにあったイラストレーターをチョイスされている、と伺った。わたしが描かせていただいた号は「スプロール・フィクション」特集で、わたしの世界観に合うからということらしかった。編集部の方々がわたしの作品の方向性をよく理解してくださっているのが実にありがたかった。また、修正依頼にしても、どういう意図でこういう絵にしたかを説明すると、その主張をとても大切にしてくださったのに驚いた。普段、有無を言わせぬ修正変更が当たり前になっていて、こういう感覚がとても久しぶりだったので、いたく感激したことを思い出す。あの感動はなかなかない。「SFマガジンギャラリー」は残念ながら12月号で終わってしまったので、滑り込みセーフで機会を頂戴したことに感謝している。
2回目はS-Fマガジン 2008年12月号 「ファンタジー小特集」の1編、キジ・ジョンスン著の「<変化(チェンジ)>後の北公園犬集団におけるトリックスター伝承の発展」の挿絵。犬をたくさん描いた。原稿を読んで、イメージを形にする。「本を読むのを仕事にする」をちょびっとかじったような、とても楽しい体験だった。小説が好きなんだなぁと改めて思う。雑誌に絵が載ることはそんなに大げさなことではないし、イラストレーターなら何らかの形で関わっていることではあるけれど、大事にしているSFの世界に、ちょっとだけでも関われたことが本当に幸せだと思ったし、明日につなげて行ければ......と思う。

来年2009年は、この世界がさらに広がればとてもとても嬉しい。そのためにも、来年もたくさんよい本を読んで、いい作家さんのいい作品に出会っていけたら、最高に幸せだと思う。
投稿者 YOUCHAN : 18:18 | コメント (0)
2008年12月28日
SはSparksのS
今年を振り返って、大きく二つの柱があったように思う。一つは、仕事の方向性で、SFへの関わりが少しだけどできてきたことと、もう一つは音楽の趣味についてで、Sparksがすごかったこと。この「二つのS」について、2008年を振り返る意味も込めて記録しておこうと思う。まずはSparksのこと。
Sparksはアメリカのバンドの名前で、わたしはただの一ファンなだけであるし、当然知り合いでもなければ、今年の来日公演を見に行けたわけでもない(仕事とバッティングしててフジロックに行けませんでした)。春頃、Sparksの21枚目のオリジナルアルバムのワールドプレミア公演をクライマックスに、それまでリリースしたアルバム全部がライブ公演されるというニュースが飛び込んできた。「21x21 Live」などと呼ばれ、場所はロンドンで、一夜一枚の割合で、3日くらい毎日公演して一日休みのペースで、ほぼ丸一ヶ月くらいかけてのライブ、ということだった。
そのライブの詳細が発表され、ロンドンっ子がうらやましい!と、mixiのSparksコミュのメンバーと共にため息をついた。そしたらなんと!そのライブの模様がインターネット生中継されることが判明した。ロンドンはその時期サマータイム、夜九時からスタートのライブは日本では朝の五時である。
ちょうどわたしは個展の準備の真っ最中の時期で、あまり個展以外に力を割く気がなかったので、朝起きるにしても寝る前であっても、さすがに朝の五時は無理だろうと思っていた。コミュのメンバーの中には、初日から中継を見た人もちらほらいた。すごいエネルギーだなぁと思っていた。
そんな折り、5月16日の夜は仕事が長引き、寝る時間が五時前になってしまった。せっかくだし、と思い、2夜目の「A Woofer In Tweeter's Clothing」の公演を見てから寝ようと思った。まぁ眠くなったら寝ればいいや、程度に思っていたが、ああ、それがまさしく運の尽き。
......どえらいものを朝っぱらから見てしまった。コレを見逃すことは大きな損失と気がついたわたしは、翌日からは毎朝五時前に起きることにし、結局その習慣を身につけてしまったのだった。ライブの期間だけだったけど。そして、ライブの日を追うごとに、コミュニティーでは「見てます」という書き込みが徐々に増えていった。該当するスレッドは、中継が始まる15分前くらいからチャットのような盛り上がりを見せ、期待や感想をみんなが書き込んでいった。わたし自身もコミュの常連になっていき、見知らぬ人同士、だんだん仲良くなっていった。
わたしはライブの様子をキャプチャーツールで画を取り込み、フォトアルバムにして「全体に公開」にした。ほかのメンバーにもキャプチャーをとる人がいて、フォトアルバムを一緒に作り合った。撮り損なったシーンをお互い補完する意味もあった、と思っている。それまで公開範囲を「友人まで公開」にしていた日記を「全体に公開」にまで広げた。マイミクさんでないコミュのメンバーがコメントを残せるように、あるいは閲覧できるように、と思ってのことだった。当然、日記の内容も、個展の準備のことと、Sparksの中継のことが交錯していた。
ライブのすばらしさは言うに及ばずで、そのときのことはブログにも残してあったけど、今思うとコミュニティの存在が大きかったことを強く感じる。さすがに一ヶ月近く毎朝ライブを見ることは大変で、ライブは楽しいのだけれど、疲れもたまっていった。個展もあったし、平日は普通に仕事もあった。それでも続けて見ることができたのは、コミュの存在だったと思っている。
音楽のすばらしさや臨場感をリアルタイムで語り合うこと。学生時代、周囲に同じような音楽を聴く友達がほとんどいなかったため、一人で音楽を聴いていた。しかし本当は、誰かと音楽を語り合いたかったんだと思う。YMOファンの文通仲間と盛り上がっていたのが唯一の楽しみだったが、地方に住んでいたので、なかなかライブにも行けなかった。だんだん音楽から疎遠になっていったのは仕方がないことだったと思う。
それを大人になってから、インターネットという場所を介して体験できたことはとても喜ばしいことだった。21x21のライブが終わって、しばらくわたしたちは放心した。寂しかった。ロンとラッセルに毎日会えなくなったことがまず何より寂しかった。わたしたちは、大好きなSparksをネタにして笑い合い、感動し、時には中継の途切れにやきもきした。ラッセルの歌の力に圧倒され、ロンの存在感に目が釘付けとなった。ついにはロンドンまで飛んでいったコミュのメンバーもいた。彼女の勇姿をライブカメラで見たときのあの感動。いったいあれはなんだったんだろう。眠いのをこらえてがんばってるお互いを励まし合う。寝ればいいのに、ばかだねわたしたち、なんて笑い合いながら。一日一時間そこそこの体験の中に、いろいろなことが起きた。音楽を、ライブを中継で見る、たったこれだけのできごと。これが終わったことが寂しかったのだ。
「あの一ヶ月は、まるで夏休みの強化合宿みたいだった」と例えた人がいた。まったくもって同感だった。21枚ものアルバムを完全に再現し、毎日ステージに立ったロンとラッセルに深い愛着を覚えたのは、この「強化合宿」の体験があったからだと思う。音楽はすばらしい。そして、音楽を通じて交流し合う友の存在もまたすばらしいのだと実感した。
投稿者 YOUCHAN : 01:33 | コメント (2)
2008年12月22日
B紙の謎
わたしが住んでいた、愛知県三河方面では、自由研究発表などに使う、やたらめったら大きな白い紙のことを「B紙」と呼んでいた。読み方は「びーし」。どういう由来なのかは知らなかったけど、とにかくアレのことはB紙と言う。
ところが、地元を離れ、この紙のことをB紙と言っても誰も理解しない。「模造紙じゃないの?」といわれるが、模造紙とはもっと安っぽい紙のことを言うんじゃないのか?となんだかしっくりしなかったが、とにかくB紙は方言だった。初めて気がついたのは大人になってからで、以来B紙は封印した。だって通じないもん。基本的に、三河の言葉はイントネーションが標準語に非常に近いので、あまり通じない言葉で苦労することはないが、B紙は盲点であった。ちっ。
そんなこんなで長い年月が経って、三河弁も標準語も相当怪しい言葉を日々繰り出している最近になって、某氏のmixi日記で、長岡の方言に模造紙を「大洋紙」と呼ぶらしい、といった内容のエントリーがアップされ、コメントに愛知県出身の人から「それはB紙です」、と自信たっぷりなお言葉が。
気になったのでWikipediaで調べてみると、模造紙は一般的、しかし名古屋など東海地方ではB紙、新潟県では大洋紙、富山県ではガンピ、九州方面では広用紙(ひろようし)、鹿児島県では広幅用紙(ひろはばようし)、愛媛県・香川県では、地域によって鳥の子用紙と模造紙とが混在している、とのこと。なんとまぁ名前がどうしてこんなに違ってしまったのだろうか。ちなみに、B全の紙だからB紙。それは知らなかった。そうだったのか。
方言と言えば、高校生の時に「はむ」という方言がわからなかったのが、わたし一人だった。三河弁で、おなかを抱え体を折り曲げてかがむ状態のことを「はむ」というらしい。が、初耳だった。これは、両親がきっと知らない言葉に違いないと思い、帰宅して「この状態ってなんて言う?」と、母の前でおなかを抱えてかがんで見せた。
母は言った。「はむでしょ?」
何故わたしだけ知らなかったのだろうか。方言の謎は深まるばかりである。
投稿者 YOUCHAN : 23:21 | コメント (0)
2008年12月16日
口唇ヘルペスだった

冬になると寄り添い率の上がるネコたちです。
ところで。口唇ヘルペスになっておりました。
おそらく自覚症状があった最初は12月3日(水)の夜、食事に行ったとき。
突然胃が痛くなってめまいと吐き気。どうしたんだろ?
座っていてもめまいがする状態が2日ほど続きましたが
その後落ち着いたので気にしてませんでした。
過労かな、くらいしか思ってませんでした。
ところが、金曜日の夜、なんだか唇がぴりぴりする。
乾燥してるからかな、とリップクリームを塗って仕事してたのですが、
みるみる腫れて水ぶくれに。
その後、口唇ヘルペスはすくすくと育ち、
月曜には水ぶくれが破裂、かさぶたになりました。
食事を経由して人に移すとやばいので、しばし宴会系は欠席に。
過労が原因なので、疲れが出ないように外出そのものをNGにしておりました。
結局なんだかんだで2週間くらい、ということになりますか、
今日16日で、ようやくマスクなくても人に会える程度にヘルペスも治りました。
日曜くらいから、ようやく食事のたびに出血しなくなり、月曜には口角がひきつれるくらい。
明日くらいにはきれいになりそうです。
ヘルペスになったのは初めてだったけど、友人・知人には
セミプロ級ヘルペッサー(←友人談)がたくさんいて、
再発のときの初期治療薬、アクチビアのことも教えてもらいました。
アクチビアはピリピリの段階で塗っておくとよいとのこと。
医師の処方箋がなくても薬局で購入できます。
また、日ごろ、チョコラBBを飲んでおくと予防になるという話も。
うーん、みんな詳しかったな~。
ヘルペスのサイトもあります。病院で小冊子も貰いました。
投稿者 YOUCHAN : 19:22 | コメント (0)
2008年12月 7日
文庫王国が届いたよ!

表紙イラストを描いた「おすすめ文庫王国2008年度版」が今日、郵便受けに入ってました。表紙を飾れるのは(しかも!大好きな本がテーマの本の表紙に!)嬉しいです。去年、あんなに本屋で見かけた本に関われるとはホント思いもよりませんでした。編集担当のUさん、お声をかけてくださってほんとにありがとうございました。表紙の王様の横に積んである文庫、結構細かくいろんな版元のデザインを盛り込みました。印刷でぎりぎり再現できて一安心。実は一番時間かかりました。どれがどの版元か当てて笑ってやってください。

奥付に感動を新たにするおいら。ううう。
届いて早々に中身をチェック。むおお、SFの1位はこれかー!! 確かにコレは重要だったとわたしも思いましたが。書店でPOPをみかけて写メ撮りまくったし。でも1位かー。びっくりしました。海外ミステリの1位はレムのアレでした。読まなくちゃいけませんね。「文庫版元評価座談会」は、今年から成績表に。性別も絶妙で大笑いしました。新潮は確かにいい子ですよ。出てる本は上質だし、造本も丁寧だし、本文が紙のぎりぎりまでくるような乱暴なことは絶対無いし。ってどこの版元を比較してるんだオレは。ブックオフと新刊書店の棚を比較してどの作家が一番多いか調査とか、さすが本の雑誌。くだらなさすぎて大笑いしました。などなど、その他、笑いどころ満載。本好きな人なら楽しめること間違いなしです。お近くの本屋さんでお手にとってくださいね。
投稿者 YOUCHAN : 23:09 | コメント (0)
2008年12月 4日
Think,Think Unthinkable, Think Again

Newsにも書いたのですが(最近このパターン多いな......)、ようやく発売となりました。Future(フューチャー)といいます。5冊1,000円です。個人的にはこれが一番気に入っておりまして、なんといっても手帳と一緒に持ち運べるとこがいいです。他のプロジェクトメンバーは「文具」としてノートを捕らえていますが、わたしにとっては「画材」の延長。用途がおそらく大きく違いそうです。
スケジュール管理をするには手帳が必須で、わたしはシステム手帳を使っていますが、ここにラクガキを描くのは非常にしづらい。無地のリフィルも入れてはありますが、実に描きにくいです。絵を描くことに特化したノートというのは必要なのだと思います。その点このノートは実によい。当たり前ですが、システム手帳のようにリングが無いので、作業の妨げにならない。クロッキー帳のように大きなものでは身構えてしまうけど、これはサイズもいい。心置きなくアイデアスケッチを描き込めます。ポストカードサイズというのもポイント高いです。
このFutureを始め、TPN製品群の表紙の絵は、セクションパッド(方眼紙)の裏に描いています。紙を裏返してラフの上に置き、それをライトテーブルの上に置いてラフをすかしながら描いています。セクションパッドを使うのは、ペンのすべりがちょうどよいことと、フリーハンドで描いているので、垂直・水平をとる上でガイドになってくれるからです。

いつもはデジタルで描いていますが、ペン画に限ってはアナログです。「PIN」という安いペンを使用しています。ペン先がすぐに割れるし、潰れて太さが変わったりするけど、このペンが一番描きやすい。ペンを止めるときにインク溜まりが生じにくい、結構早く乾く、安い、どこでも手に入れられる、といった点がメリットです。このペンにとっては、こういうノートのほうが描きやすいので、案外いい組み合わせかも。かも。
ところで、タイトルに持ってきた「Think,Think Unthinkable, Think Again」というのは、このFutureの専用カバー「Back Too」に刻印されているキャッチで「考えてみよう、想いもつかないことを考えてみよう、でも、時には考え直してみよう」という意味です。竹村さんのセンスが冴え渡ったいいキャッチです。人柄もにじみ出てる気がしました。わたしは表紙を描いただけですが、関わってるCOBUさんはじめ、リュウドさんにしてももう頭下がりっぱなしです。
てな感じで、おそらく世界一早いFutureレビュー、でした。(というより「表紙絵の謎に迫る」の回だったかも鴨)
Thinking Power Project >> Future & BackTOO