2008年4月17日

個展のお知らせ

最近、ココの更新が止まっていますが、本を読んでいないわけではなく、5月からの個展の準備に追われています。このブログにもかかわりの深い、「本」をテーマにした個展ですので、こちらでもお知らせしておきます。お近くの方は、ぜひぜひお運びください。

第二文学山房 ゑいじうはSFでいっぱい

YOUCHAN個展 第二文学山房 ~ゑいじうはSFでいっぱい~
(同時開催 音楽山房 ~ゑいじうの1Fは音楽でいっぱい~)

会期 2008年5月26日(月)~31日(土
11:00~19:00(最終日は17:00まで)
オープニングパーティー 2008年5月26日(月)17:00~19:00

会場 Coffee&Gallery ゑいじう
〒160-0007 東京都新宿区荒木町22-38
TEL:03-3356-0098
交通 東京メトロ 丸の内線「四谷三丁目」2番出口より徒歩7分
都営新宿線「曙橋」A1出口より徒歩3分
詳しい交通はコチラを。ゑいじうさんのサイトに写真入であります。

日記から、個展関連のエントリーを抽出したサイトもあります。コチラからどうぞ。
今は、準備中のエピソードなどを書いています。

2008年3月28日

九百人のお祖母さん(Nine hundred grandmothers)

九百人のお祖母さん (ハヤカワ文庫SF)
R・A・ラファティ  浅倉 久志
4150107572

その昔、入手していたものの、度重なる引越しやらなんやらでどこかになくしてしまったラファティ。偶然、古本屋さんで上製版を発見したので(しかもリーズナブルだった!)今度は無くしませんと誓いを立てて再購入した。

当時購入した文庫の表紙は、コミカルなおばあさんのイラストがちりばめられている、とてもPOPなものだったと記憶している。Amazonの画像がないなぁ。まぁいいや。80年代、ヴォネガットにかぶれ、その訳者の手によるものだし、書店ではのきなみ平積みだし、「爆笑」って帯に書いてあるし、だったら絶対面白いに違いないと思って購入した。ところが、ちっとも頭に入らなかった。当時、グレッグ・ベアで一度SFを挫折した経験があり、2度目の挫折だったため、SFは向かないんだと決め付けてしまったのを思い出す。

ところが、20年近くたって読み返して、ようやく理解できた。グレッグ・ベアはともかく(だってあちらはハードSF)、この面白さは、大人になってわかる代物だ。表紙に騙されてはいけない。

「九百人のお祖母さん」に収録されている短編は、意図的かもしれないが、後半に行くほど、どんどんタガが外れていく気がした。収録順については、浅倉久志氏が読後感を損なわないよう配慮されているので、それは間違いないかなと思う。印象的なのは、やはり表題作(この面白さ、当時じゃ絶対わからんわ)。そして、中でもとりわけナンセンスなのに好感度が高かったのはラストの「千客万来」。「日の当たるジニー」は奇想小説の最高峰っていう感じ。関西弁の「ブタっ腹のかあちゃん」、なぜに関西弁!? すごい面白いですわ。ゼッキョー、ゼッキョー!の「町かどの穴」はシュールでドタバタ!

そしてひとつ気がついた。ラファティの書く物語の、ちょっと常識とのバランスがずれているこの感覚は、ムーンライダーズの詞に近いものがある。個人的にはそう思った。同意が得られるかどうかは自信がないが、そんな気がした。うーん、なんかめちゃくちゃ個人的な書評になっちゃったなぁ。まぁいいか。

2008年3月17日

忘れ貝

忘れ貝
三咲 光郎
4163235205

Amazonの画像がないなぁ。いい表紙なんだけど。

この作家さんにしては珍しい、現代をモチーフにした作品で、テーマは「癒し」と言っていいと思う。私自身は「癒し」という言葉が好きではない。正確に言うと、今、世間で氾濫している「癒し」の使い方がいやなのだ。カワイイものやキレイなものを見たり聞いたりするだけで癒されるはずなんかない。それは一時的に慰められているだけで、しばらくすればまた痛みは戻ってくるのだから。

しかし、この小説では、「癒し」について真っ向から取り組んでいる。「癒し」とは、自力で得なければならない「力」であって、その後押しになるものが、環境であったり、家族であったり、他人であったりする。「癒し」としてそれらが作用するかどうかは、本人がどう立ち上がって、その場から一歩を踏み出すかにかかっている。

内容については触れられないが(できるだけ予備知識なしで読んでほしいと思った)、喪失感から立ち直れない人には、ひとつのきっかけを与えてくれる本だと思う。この小説のラスト、勉とその友人たちに後押しされるように歩を進めた美奈子の姿が、自分自身の立ち直りのイメージとも重なる。また、そんな風に一歩を踏み出せたらいいと思った。

こんな小説を書いてくれてありがとうございます。

2008年3月16日

マイナス・ゼロ

マイナス・ゼロ (集英社文庫 141-A)
広瀬 正
4087504913

NORIがすごく好きな作家さんで、いろいろな人から「YOUCHANも好きに違いない」と薦められてきた 広瀬正にようやく着手した。長編第一作で、解説は星新一。それにしても、古本のこの高騰ぶり、なんとかならないものか。興味を持った方が、お近くの図書館で借りられますように。

初めて読んだ広瀬正は、なんとミステリの筆致を持った作家だとわかった。壮大な謎解きにSFの手法をうまく絡めた、複雑な、しかもエンターテインメントとしても一級品の力作。長編第一作がこれというのはすごい。「ツィス」など、まだ味読……じゃなくて未読作品が控えているので、楽しみである。ページを繰る手が止まらない、とはこういう作品の事を指す。

特に、昭和初期の描写の鮮やかさは、今までになかったタッチだと思った。昭和のはじめといえば、写真でもモノクロしかないし、当時の探偵作家でさえも、描写をあえてモノトーンで描いているような印象すら受ける。が、広瀬のタッチは、色鮮やかに、たとえば銀座の町並みを描き出し、女たちの化粧についても描写する。技術的な裏づけを忘れない。ううむ、とうなる。

肝心の内容については、ネタバレになるといけないので極力控えるが、「先生」の描写がもっとあっても良かったのではないか。それから、遺伝子的にアレってどうなの!?と、タイムパラドックス以上に疑問点があった。タイムパラドックスを描いた作品のなかでは、ぎりぎり……いや、ちょっと行き過ぎちゃった感は否めないかな。そして、ラストは無理やりまとめに入りすぎてないだろうか。あっけなさ過ぎると思ったのだが……。

と、やや辛口に書いてみたものの、 面白かったことは事実。面白かったゆえに、期待値が高くなり、納得できないところについての不満が大きくなるのは、ミステリの宿命なのだ……ってコレSFだった。

復刊ブームの昨今、広瀬正の再復刊が待たれる。

2008年3月 9日

アインシュタイン交点(The Einstein Intersection)

アインシュタイン交点 (ハヤカワ文庫SF)
サミュエル・R. ディレイニー Samuel R. Delany 伊藤 典夫
4150111480


むぅ~~。どうしよう。困った。どう解釈すればいいだろう。再読しないと絶対ムリだ。ただ、ヴィジュアルが目まぐるしく浮かんでは消えるような描写はすごい。イマジネーションを掻き立てる。訳者による翻訳解説と、あとがきがなければ、こんなに困る本はない。とてつもない未来の原始のお話、という感じかな。行間から、音楽と色彩が飛び交う。残酷さも含めて様式美に昇華されちゃってる。そんな物語、と言っては強引過ぎるか。再読しないとムリ、わたしは。


2008年2月24日

ヴォネガット、大いに語る(Wampeters, Foma and Granfalloons)

ヴォネガット、大いに語る (ハヤカワ文庫版)
飛田 茂雄訳 カート・ヴォネガット著
4150501505

ヴォネガット、大いに語る (1984年) (サンリオ文庫)
飛田 茂雄 訳
B000J770FW


以前、友人に借りて読んだものの、もう一度読みたくなって、たまたま古本屋さんで発見し購入。運が良かった!(わたしが入手したのはサンリオ文庫版)

この本では、「スラップスティック」の構想が語られており、そして拡大家族の必要性がこれまたしつこいくらい説きに説かれている。彼の言っていることは、他の長編やエッセイやインタビューとなんら代わらない。彼は、言ってる事が全部同じ。何冊読んでも同じ。

しかし、ヴォネガットのエッセイのなかでも、この本と「死よりも悪い運命」は群を抜いて重い。内戦が続く現地への取材旅行がどちらにも含まれていて(「死よりも」はモザンビークの取材)、そのせいもあるのかもしれない。ビアフラのナイジェリアからの独立運動の失敗による、国民の危機的状況は、冗談でも言わなきゃやっていられない。といいながらも、もうすっかり笑う力すら残っていない。そんなヴォネガットが、そこにいる。生々しいのだ。人間くさいし、あがき、悩んでいる。

わたしはこの本を含む、残り3冊のエッセイの再販を、心から望む。かつて、エリオット・ローズウォーターは、人生について知るべきことは『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と言い、そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ!」。わたしたちは、「国のない男」だけじゃもう足りないんだ!

どうせつくなら、気分のいい嘘をつこうじゃないか。未来は暗く、生きることはつらい。それでも人生は続く。なあ、赤ちゃん。こんな地球にようこそ。でも、きっと人の親切が、君の心を明るく楽しいものにしてくれる。

アメリカ人のこの作家は、そんなたわごとを一所懸命書き続けてきたおじさんなんだ。こんな人がいたなんて、それはきっと素敵なことに違いない。わたしはそう信じている。

余談:
原題の「Wampeters, Foma and Granfalloons」は、「猫のゆりかご」にでてくるボコノン教用語。「ワンピーター」は「カラース」の中心となるもので、「カラース」は特別な理由もなく人生に関係してくる人々の集まりのこと。「フォーマ」は無害な非真実。ボコノン教の経典とか。そして「グランファルーン」は、 間違ったカラースで、本当はありもしないのに何らかの関係があると考えている人々のグループ。たとえば、会社組織とか。なんと辛らつな。

2008年2月 7日

夏への扉(The door into summer)

夏への扉
ロバート・A・ハインライン 福島 正実
4150103453

心には冬景色 輝く夏を捕まえよう
だから リッキー・ティッキー・タビー その日まで おやすみ

...というのは、吉田美奈子作詞による、山下達郎の曲「夏への扉」。わたしは今になってようやく、この名著を読了した。四半世紀が過ぎ、あの歌の意味がこういうことだったのか!と理解した。すばらしい意訳だと思った。

本題。この物語が書かれたのが1957年、舞台になっているのは1970年。57年当時、70年というのは相当の未来に映ったのだろうが、さらに時間を遡ること2000年。もう果てしない未来だと思われていたに違いない! ああ、そうなのに、もうすでに時は2008年。ハイヤード・ガールも、フレキシブル・フランクもいない。それにしても、この瑞々しさときたら! 若々しさにあふれていた訳もとてもよかった。青春と恋と仕事と、そして猫。そう、猫なのだ、ピート!!

この物語は、ホントウに純然たるSFだ。SFというと、オタクでマニアックでちょっと近寄りがたい存在かもしれない。私が好んで読むSFも本道からはちょっと道をそれたものばかりなので、あまり偉そうなことはいえないが、「夏への扉」は、純然たるSFにして、とても優しく、楽しく、切ない。まさしく「文学」だと思う。

それにしても、たとえばCADの開発を予感させるような描写など、ハインライン、なかなかやります。ただ、タイムパラドックスに関する記述には、ちょっと「んー?」と思うところも、正直あった。けれど、この物語ではこういうことなのだから、いいのだ。

余談:本では「リッキイ・ティッキイ・テイヴィー」となっていて、「タビー」じゃなかった。ほんっとかわいかった。リッキイ。で、以下に挙げるCDに「夏への扉」が収められている。名作。

RIDE ON TIME (ライド・オン・タイム)
山下達郎
B00005UD3W

2008年1月27日

警官の血

警官の血 上巻
佐々木 譲
4104555053

警官の血 下巻
佐々木 譲
4104555061

今、書店に行くと平積みされまくりの話題の本なので、コレはと思い手にとって拝読したところ、たいへん面白かった。まず、なんといっても、人情味あふれる人物の描写がいい。特に、第1部「清二」は誰をとっても魅力的だった。第2部、第3部と進むにつれ、時代がどんどん現代に迫ってくる。今のわたしたちの世代にまでまたがってくるが、時代の移り変わりの鮮やな筆運びは、読んでいて気持ちがいい。

ラストが近づくにつれ、あれ?残りのこのページ数であれだけのことが解決するの!?と変な心配をしたものだが、......すごかった。あのラストは、鬼気迫るものがあった。ああいうラストは好きだ。

個人的には、清二の描写の細やかさが、民雄と和也にもほしかったなぁと言う気がした。が、上下巻、あっという間に読ませてしまう力がある。これは映画になるんじゃないかな。中井貴一あたりが適任かと。モチロン3部作で。どうでしょ?

2008年1月20日

首無の如き祟るもの

首無の如き祟るもの
三津田 信三
4562040718

横溝正史を「最後の探偵小説作家」と呼ぶらしいが、一度絶滅してしまった探偵小説がまるでトキやコウノトリのように復活した...初めて読んだ三津田信三を、わたしはそんな風に感じた。設定、時代背景、猟奇的な犯罪、なまめかしさ、どれをとっても推理小説というより探偵小説と呼ぶにふさわしいテイストだった。すばらしい。

読者は、この禍々しい物語の犯人が誰で、どう犯罪が行われて、その動機は何かを、神経を研ぎ澄ませて、作家が綴るコトバ一つ一つをかみ締めながら読む。それでも、あのラストの大どんでん返しには驚かされるし、確かにフェアだよなぁ...と思いながらも、そこに気を止めず読み進めてしまったことを悔しく思った。再読の必要性に迫られる一作だ。1回目は単純に楽しむため、2回目は確認をするため......。ヤラレター! このどんでん返しは、想像つかなかった。トリックの複雑さはクロフツの「樽」を少し思わせ、覆い尽くす黒く不気味なムードは、やはり横溝正史の遺伝子だと思った。夢野久作っぽくはない。

ただ、大ラスの不気味さは、「ドグラ・マグラ」の『ブゥーーーーーーーン』に匹敵すると感じた。このラストが描きたいがために、作者はこの形式を取ったのだろうか。作家の筆を借りる形で、物語が進む方式はこれまでもあったが、これは......。

ひとつ気になったのは、主要人物のひとり・使用人の斧高の言動がとても6歳に感じなかったこと。これはもう読んでて気になって気になって仕方がなかった。それから、見取り図は入れてほしかった。建物の配置が複雑だったし、せっかくここまで探偵小説魂を引き継いでいるのだから、見取り図はほしかったなぁー。

戦後ミステリの好きな方なら、クスリと笑ってしまうようなトリヴィアがいっぱい詰め込まれている点も見逃せない。だって、主要登場人物の一人に江川蘭子ですよ! これを知ったら、もう読むしかないでしょう。

2008年1月18日

人間以上(More than human)

人間以上 (ハヤカワ文庫 SF 317)
シオドア・スタージョン 矢野 徹
4150103178

Amazonの画像がないな。スタージョン1953年の長編作で、矢野徹による訳が1963年と、半世紀も前のもの。3部構成で、特に第2部の「赤ん坊は三つ」がすばらしかった。と思ったら、「Baby in three」という短編で最初発表されたものだったらしい。登場人物も多岐にわたり、3部構成を通じて共通の登場人物が出てくるものの、オムニバスの中にオムニバスが入っているような複雑な構成だったが、結構すんなり読めた。構成が巧いな、と思った。

読んでるときには、次の展開が気になって、面白かった。面白かったんだけど、私自身、超能力モノ・超人モノが不得手と言うこともあり、読後感は「うーん」だった。宗教観の差もあるのかな? いや、スタージョンの短編を読む限りはそのあたりは特に感じなかったので、やはり超人モノが苦手なんだなと思った。以前読んだ矢野徹の「折紙宇宙船の伝説」の読後感に非常に似ていた。「人間以上」の影響が大きいのではないだろうか。「人間以上」による影響と言えば、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の発想の源になったと言う説もあるが、たしかにそれは感じた。特に、イワンに相当する赤ん坊の存在とか、超人ならではの悲しみと矛盾に対する苦しみなど、テーマや描写に相通じるものを感じた。古典的な名作なのだと思う。

ところで、わたしが読んだのは、ポケミスと同じ装丁の大変古いもので、以前、富士鷹屋で購入したものだ。この古本、巻末には訳者の検印がある。そう、「矢野」というハンコなのだ。これをたまたま筒井好きの某編集者に見せたとき、「矢野さんのハンコじゃない!!」とすごい食いつきだった。いーでしょいーでしょ。はっはっは。

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イラストレーターYOUCHAN(ユーチャン)による、読書記録ブログです。読み終わったばかりの本からかつて読んだ本にいたるまで。「偏った趣味、深くない造詣、だけど楽しい」がコンセプトです。おやすみの日などに、少しずつ書いています。感想は気軽にコメントしてください。なお、メールアドレスとURLは管理人に届きますが、表示されませんのでご安心ください。
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