違うかもしれない

NORIちゃんから「ヴォネガットを読むならどれがいい?」と
聞かれたので、ちょっと考えた末、「猫のゆりかご」を貸した。
そしたら、どうもいまいちだったらしい。
「ヴォネガットは違うかも」ということたっだ。

私自身、電車で読む文庫がなくなったので、
「猫のゆりかご」を貸したのと同時に、「ジェイルバード」を読み返していて
面白くて仕方がないとおもっていた。
なので、こっちのほうがよかったかなと思いつつ、
「猫のゆりかご」も読み返してみた。
が、やっぱ「猫のゆりかご」もおもしろい。
いや、やはり「猫のゆりかご」のほうがお勧めだと思った。

かくいう私、山口瞳の「血族」を読んでいる。
半分くらいまできているけれど、何かが違うという気持ちが抜けない。
前に読んだ山口瞳のエッセイがしっくりこなかったのだけれど、
トーンが全然違うと聞き、「血族」を期待したものの、
エッセイと根底が流れるものが同じだった。
系統が内田百間に近いので感性が合うかなと思ったけど
ちょっと違うみたい。漱石の「猫」がいまいちだったのに近い。
そういえば、系統が同じで、ヴォネガットの弟子(?)である
アーヴィングも、わたしにはイマイチだったのを思い出した。

音楽の場合、系統立てて聴くと、そんなにハズレないけれど、
こと文学となると難しいというのは、
なかなか不思議で面白いなと思うこのごろでありました。

猫のゆりかご
カート・ヴォネガット・ジュニア 伊藤 典夫

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