社会への根っこ

先日、ヴォネガットの新刊「国のない男」を読了したので、
本に関する感想などなどを「書かでも」のほうに載せました
(興味があったらそちらも併せて読んでください)。

「ガラパゴスの箱舟」を読み終えたところだったので
ヴォネガット節に浸りたいと思い、エッセイ「死よりも悪い運命」を
読んでいましたが、その最中に新刊を入手。
中断してこちらを先に読みました。

「死よりも悪い運命」は、エッセイ「パームサンデー」の続編で、
おそらく位置づけとしては「国のない男」は
「死よりも」の続編と見ていいと思いますが、
年々、その怒りの度合いは増しまくってて、
最後の「国のない男」では、とにかくアメリカに怒りまくってた。

この本を読み終わって、思い出したことが。

いつだったか、「あなたは社会的なことにも関心が高くてえらいね」
みたいなことを同業者に言われたことがあった。
社会と切り離してイラストレーターという職業が、
これっぽっちでも成り立つとでも思っているのだろうか?

イラストレーターは、クライアントの意向を
一瞬の印象で受け手(消費者)に伝えることが仕事です。
極論かもしれないけど、人の一生を左右しかねない責任すらある。
わたしは、自分の信念に反するような理念を掲げる
企業や団体の仕事なんか、絶対したくないです。
社会への関心うんぬん言う以前に、わたしたちは社会に大きく
関わって生きているし、その責任がある。

わたしたちは、ヴォネガットのように
言葉を用いて、直接的に(ときには間接的に)、
間違いを間違いと指摘をし、講演をしたり文章をいろんなところに寄せたりは
(こういうブログを除いては)しない立場であるけれど、
忘れてはいけない。
わたしたちは、いつだって社会につながって生きている。

実を言うと、「死よりも悪い運命」は、ある理由で読まなかった本です。
訳者あとがきでも触れられていたけど、アメリカによる
ヒロシマへの原爆投下についての言及が、どうしても納得いかなかったから。

でも、今は読まなかったことを後悔しています。
ヴォネガット亡き今となっては、疑問を手紙にしたためて
送ることが出来なくなってしまった。人はいつまでも生きているとは限らない。

まずは知ること。