SFセミナーと「論争」と

状況をほとんど飲み込めていないまま、5月3日を迎えた。SFセミナーである。歴史あるイベントらしいが、SFビギナーのわたしには、身の置き所がわからない。どうしようと戸惑っているうちに、あれよあれよと当日になったので、観念して(?)出かけた。

「スペキュレイティブ・ジャパン始動」には大いに興味があったので、これは楽しく拝聴した。あっという間の1時間だった。そのあと、休憩。気心の知れた人同士が、ランチに出かけてゆく。私自身はどうしたもんかと、とりあえず外に出ると、物販のブースに見慣れた人が。大橋さんだった。

あれー!大橋さ~~ん、と声をかける。今日はどんなことで?と出展の趣旨をお尋ねすると、同人誌の物販だったということだった。卓上には2,3冊。売れてるのかな。「個展のPRですか?」と逆に訊ねられるも、いや、どうしていいもんかわからなくて......とアウェーモード全開の状態でしどろもどろ。大橋さんには、いろいろとお世話になっているが、今回、私が巽先生から本を受け取ることになっているお話をしてあったので、「そういえば、巽先生には会えましたか?」と気遣ってくださる。「いえ、どうしたもんかと思って......」「あ、だったらスタッフの人に案内してもらったらいいですよ」と、すたすたとスタッフの方のほうへ。ああ、今回もまた大橋さんのお世話になってしまった。ありがとうございます、と告げるのが精一杯で、てんぱっていたわたしはスタッフの方に誘導していただいて、パネラー控え室に通していただく。

わたしの姿を見つけた巽先生は、「お約束の本ね、はい、これ!」と、鞄から出してくださった。何の本かというと、昨年のワールドコンで、わたしの目前で売り切れたいわくつきのもの。巽先生がずっとこのことを気にかけてくださったそうで、「あのあと、サイン本をまた何冊か作ったんですよ。あなたの分は、取り除けておきますから、機会のあるときにお渡しします」と、先日某パーティー(これも先述の大橋さんに連れて行ってもらったもの)で再会した巽先生からお聞きしたときは本当に驚いた。

最初、「郵送しましょうか」とおっしゃってくださったが、それでは申し訳ないような気がして返事に窮していると、「あ、そういえば5月にSFセミナーがありますから、そのときでいい?」とご提案いただき、はい、ぜひ出席します!とお約束していたのだ。それで、わざわざお持ちいただいたのであった。(ちなみに、ワールドコンで「ああ、かわいそうに」とわざわざ別のご本を下さった荒巻先生は「そんなことあったっけ?全然覚えてないなー」とのことだった。そういうものだ)

その後、パネラーの皆様プラス数人のランチに同行させていただき、ものすごい方々との食事に緊張してあまり味がわからない。それにしても、なんておもしろい人の集まりなんだろうと感嘆する。異業種の人たちというのは、本当に面白い。それにしても、SF界の巨匠・大物勢ぞろい。こういう緊張感も、また楽しいもの(後から思えば)。

私自身は、ランチの後のお茶までご一緒させていただき、その後は失礼させていただいた。やはり個展の準備が気になっていたのもある。小川町から電車に乗って、さっそく拝受した本「日本SF論争史」を開いてパラパラと拾い読み。やはり伊藤典夫信者(?)としては、伊藤さんのページから読みたいというのは人情である。ところが、このページ、すこぶる興味深い。伊藤さんの章を一気に読み、ふぅ~とため息をついてしまった。

この本については、きちんと全部を読み終えてから、改めて書評を書くつもりでいるが、「論争」の意義と、その重要さについて、最近もやもやしていた気持ちが少し晴れたような気がした。内容は、その頃、アメリカで糾弾の的になっていたカードの「消えた少年たち」の擁護論を、日本人である伊藤典夫が展開、それが英訳され、彼の地でも大騒ぎになったというものだ。「消えた少年たち」のあらすじも書かれており、カードという作家についての予備知識がないわたしでも、その前後のあらましについては理解できる内容になっており、たいへん面白かった。

近頃、ネットでの議論が人格全否定につながりかねない状況になっていることに、わたしは少なからず畏怖を抱いている。絵描き風情がイデオロギーを語ることや、自身の信念を主張することは「重荷」でしかないのだろうか。そんな気がしないでもないこの頃を過ごしていたが、この本(の一部を読んだだけではあるが)から、わたしは大きな勇気をもらった気がする。「議論」や「論争」とは、「否定」ではないのだ。

巽先生に昨日のお礼のメールをすると、そのお返事に、「SF初心者のかたには絶好の一冊と存じます」と書かれてあった。「SFとはウソを描く文学である」と、昨日のパネルでもどなたかがおっしゃっていたが、言い換えれば「思想を育む文学である」と言ってもよいのではないか。SFは現実と虚構が入り乱れる、想像力が必要とされる文学だ。わたしたちは、もっと勇気を持とう。そして、歴史を学ぶことや、寛容を学ぶことができれば、きっと迷っている事柄の回答が一つずつ得られるのではないか。そんな風にも思う。(それにしても、大橋さんには改めて感謝。ホント、いい方です)

日本SF論争史
巽 孝之
4326800445