渦中の人

先日、重松清さんの「流星ワゴン」を一気に読み終えた。
とても面白い展開に、ページをめくる手が止まらない。
なのに、どうして読後感がすっきりしないのか。
NORIちゃんも、「流星ワゴン」にハマった。
「これを読むために電車に乗るのが楽しみ」とまで言っていた。
けれど、読了後、彼は「うーん」といったきり、言葉を失った。

ところで、先々月の個展の人待ち時間で、
わたしは梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」を読んだ。
児童文学ということもあり、平易な表現で綴られているし、
とても薄い本だから、ライトに読めていいかなと思ってとっておいたのだ。
読み終わるのに時間はかからなかった。
ところが、読後感は、その日一日の私を占領してしまった。

「流星ワゴン」と「西の魔女が死んだ」には、共通点がある。

 1) 大人とこども・親と子・家族の関係が描かれている
2) 死について触れられている
3) いじめ問題が関係している
4) ファンタジックな要素がありながら、甘くならない展開になっている

なにが違うのだろうか。
文学作品を比較していいとは思わないけれど、
共通点がここまであるのに、響くものが違うのはなぜだろうか。
ずっと考えてきたけれど、一ついえることは、
作家の立場なのかもしれない、と思った。

重松さんは、「自分が親になったから書けた作品」とあとがきにものこしている。
つまり、『渦中の人』なんだ。
渦中の人が、自分自身と重ね合わせて描いているから感動的であり、
身につまされるし、リアルなんだと思う。

一方の、梨木さんは、ご自身のことをあまり語らない方なので、その実態はわからない。
インタビューをほとんど受けない、という話を聞いた事がある。
だから、どういう立場の方かはわからないけれど、
「りかさん」「からくりからくさ」「家守綺譚」そして「西の魔女が死んだ」、
これらに共通する、湖のように森閑としている、あの感じ。それから、希望。

彼女は、『渦中の人だから「西の魔女が死んだ」を書いた』ようには思えないのだ。


もしかしたら「流星ワゴン」は、男性作家らしい作品の典型なのかもしれない、と思う。
あれだけ長い話を、飽きさせずにぐいぐいひっぱる展開、
魅力的なキャラクター(特にチュウさん)。
読んでよかった、と思った。いい友達に会えたような感じ。
ただ、自分は『渦中の人間ではない』から、釈然と出来ないのではないだろうか。

わたしは、「流星ワゴン」は「もしもあのとき~してたら」の「たら」「れば」について
描いた物語として捕らえ、途中くらいまでは実は大きく感情移入していた。
けれど、後半に向かうにしたがって、その感情移入が難しくなってしまった。
だから「うーん」となってしまったのではないか。

一方の「西の魔女が死んだ」は、読んだ後、しばらく放心状態が抜けなかった。
私の心のある部分を、そっとなでられたような感覚。
梨木さんの作品は、どれをとってもそういう読後感がある。

上手くいえませんが、なんとなく、そんな気がしました。

ところで「西の魔女が死んだ」は、文庫版のほうがオススメです。
先日、先に発売になっていた、単行本の方を書店で見かけたので、手にとってみたら、
ラストの大切な2行の扱いが、文庫版のほうが優れていたので。

あの2行に、涙したのだから、わたしは。

流星ワゴン
重松 清
406274998X

西の魔女が死んだ
梨木 香歩
4101253323