SはSparksのS

今年を振り返って、大きく二つの柱があったように思う。一つは、仕事の方向性で、SFへの関わりが少しだけどできてきたことと、もう一つは音楽の趣味についてで、Sparksがすごかったこと。この「二つのS」について、2008年を振り返る意味も込めて記録しておこうと思う。まずはSparksのこと。

sparks splashSparksはアメリカのバンドの名前で、わたしはただの一ファンなだけであるし、当然知り合いでもなければ、今年の来日公演を見に行けたわけでもない(仕事とバッティングしててフジロックに行けませんでした)。春頃、Sparksの21枚目のオリジナルアルバムのワールドプレミア公演をクライマックスに、それまでリリースしたアルバム全部がライブ公演されるというニュースが飛び込んできた。「21x21 Live」などと呼ばれ、場所はロンドンで、一夜一枚の割合で、3日くらい毎日公演して一日休みのペースで、ほぼ丸一ヶ月くらいかけてのライブ、ということだった。

そのライブの詳細が発表され、ロンドンっ子がうらやましい!と、mixiのSparksコミュのメンバーと共にため息をついた。そしたらなんと!そのライブの模様がインターネット生中継されることが判明した。ロンドンはその時期サマータイム、夜九時からスタートのライブは日本では朝の五時である。

ちょうどわたしは個展の準備の真っ最中の時期で、あまり個展以外に力を割く気がなかったので、朝起きるにしても寝る前であっても、さすがに朝の五時は無理だろうと思っていた。コミュのメンバーの中には、初日から中継を見た人もちらほらいた。すごいエネルギーだなぁと思っていた。

そんな折り、5月16日の夜は仕事が長引き、寝る時間が五時前になってしまった。せっかくだし、と思い、2夜目の「A Woofer In Tweeter's Clothing」の公演を見てから寝ようと思った。まぁ眠くなったら寝ればいいや、程度に思っていたが、ああ、それがまさしく運の尽き。

......どえらいものを朝っぱらから見てしまった。コレを見逃すことは大きな損失と気がついたわたしは、翌日からは毎朝五時前に起きることにし、結局その習慣を身につけてしまったのだった。ライブの期間だけだったけど。そして、ライブの日を追うごとに、コミュニティーでは「見てます」という書き込みが徐々に増えていった。該当するスレッドは、中継が始まる15分前くらいからチャットのような盛り上がりを見せ、期待や感想をみんなが書き込んでいった。わたし自身もコミュの常連になっていき、見知らぬ人同士、だんだん仲良くなっていった。

Plagiarismわたしはライブの様子をキャプチャーツールで画を取り込み、フォトアルバムにして「全体に公開」にした。ほかのメンバーにもキャプチャーをとる人がいて、フォトアルバムを一緒に作り合った。撮り損なったシーンをお互い補完する意味もあった、と思っている。それまで公開範囲を「友人まで公開」にしていた日記を「全体に公開」にまで広げた。マイミクさんでないコミュのメンバーがコメントを残せるように、あるいは閲覧できるように、と思ってのことだった。当然、日記の内容も、個展の準備のことと、Sparksの中継のことが交錯していた。

ライブのすばらしさは言うに及ばずで、そのときのことはブログにも残してあったけど、今思うとコミュニティの存在が大きかったことを強く感じる。さすがに一ヶ月近く毎朝ライブを見ることは大変で、ライブは楽しいのだけれど、疲れもたまっていった。個展もあったし、平日は普通に仕事もあった。それでも続けて見ることができたのは、コミュの存在だったと思っている。

音楽のすばらしさや臨場感をリアルタイムで語り合うこと。学生時代、周囲に同じような音楽を聴く友達がほとんどいなかったため、一人で音楽を聴いていた。しかし本当は、誰かと音楽を語り合いたかったんだと思う。YMOファンの文通仲間と盛り上がっていたのが唯一の楽しみだったが、地方に住んでいたので、なかなかライブにも行けなかった。だんだん音楽から疎遠になっていったのは仕方がないことだったと思う。

それを大人になってから、インターネットという場所を介して体験できたことはとても喜ばしいことだった。21x21のライブが終わって、しばらくわたしたちは放心した。寂しかった。ロンとラッセルに毎日会えなくなったことがまず何より寂しかった。わたしたちは、大好きなSparksをネタにして笑い合い、感動し、時には中継の途切れにやきもきした。ラッセルの歌の力に圧倒され、ロンの存在感に目が釘付けとなった。ついにはロンドンまで飛んでいったコミュのメンバーもいた。彼女の勇姿をライブカメラで見たときのあの感動。いったいあれはなんだったんだろう。眠いのをこらえてがんばってるお互いを励まし合う。寝ればいいのに、ばかだねわたしたち、なんて笑い合いながら。一日一時間そこそこの体験の中に、いろいろなことが起きた。音楽を、ライブを中継で見る、たったこれだけのできごと。これが終わったことが寂しかったのだ。

「あの一ヶ月は、まるで夏休みの強化合宿みたいだった」と例えた人がいた。まったくもって同感だった。21枚ものアルバムを完全に再現し、毎日ステージに立ったロンとラッセルに深い愛着を覚えたのは、この「強化合宿」の体験があったからだと思う。音楽はすばらしい。そして、音楽を通じて交流し合う友の存在もまたすばらしいのだと実感した。